海嶺〈上〉角川書店このアイテムの詳細を見る |
これも、沈黙の1ヶ月の間に読んだ本。
例によって、メトロ文庫で黄ばんでぼろぼろになった1冊。
タイトルが本当の「海嶺」とどう関係するのか?との専門馬鹿的な興味にも引かれた。
三浦綾子で読んでいない1話であったこともあり、なにか宝物を見つけた感覚であった。
ただし、そこには上巻しかなかった。
電車内ですぐに読み終えてしまい(この手の小説はほとんど瞬間斜め読みなので)、
その後の続編を求めてことあるごとに本屋によっていた。そして、早稲田大学へ行ったとき、見つけた!
やった!と思った。
ほぼ150年前、幕末期が場面。
嵐に遭い、14ヶ月漂流したのち、生き残り、波乱の人生を送るはめになってしまう清い心の少年が主人公である。
アメリカインディアンの奴隷、クリスティアン商人に拾われ、その後、イギリスへ。
英語が出来るようになり、生き残った他の2人と共に、一つ一つことばを探りながら、聖書の日本語への翻訳を果たす。
その間、クリスティアンの教えを受ける。動揺する。
いかにも三浦綾子の小説だ。
国へ帰るために必死に、クリスティアンの教えを拒もうとする。
7年をかけて、そしてついに愛する婚約者のまつ日本へ!
あと一歩!目の前に夢にまで見たふるさとがある!そこに愛する人がいる!
しかし、国外へ出た者は一切の帰国の許されない日本。
無慈悲な絶望の結末である。
そして、香港、マカオでのその後の人生の経路を少ない記録からたどる。
その時の救いはなんであったのか?
そこに少々、三浦綾子的くささがあるかもしれない。
私は宗教に飲み込まれることはないが、その人間の魂を救う力はすごいと思う。
三浦綾子自身、難病におかされる肉体とこころの葛藤をキリスト教と出会うことで救われたことを多くの場面で語っていたことを思い出した。今はもういない。亡くなったという悲しいニュースを聞いた時のことを思い出した。