十何年ぶりにアサヒカメラと日本カメラを購入した。
昔はいつも購入していた。
オイラが月例コンテストに、血道を上げていたのは20年前の話しになる。
その時は2誌とも購入して、コンテストの選者の傾向と応募者の顔ぶれを見て一喜一憂していました。
それからオイラはコンテストを卒業してしまって、田中長徳さんの「間違いだらけのカメラの買い方」でライカ狂になりカメラジャーナルとカメラ雑誌は必ず購入していた。
それが、カメラジャーナルは廃刊となり、安原一式と秋月をだして安原製作所は廃業してしまい、世の中はフイルムカメラからデジタルへ移行して、カメラ雑誌はパッタリ買わなくなってしまった。
買う必要性がなくなったというのが正直なところで、ネットでレビューが出ているし、カメラは使い捨てというより3ヶ月程度使って、また新しいカメラに切り替える、プロならばレンタルで借りる時代になったのではないかなぁ・・・
カメラに命が無くなってしまい、普通の道具に成り下がってしまったのだ。
それと同時に写真は世の中への影響力をなくしてしまったのだ。
また自主規制するような世の中になってしまい人の顔を写っていることに編集者や写真家は臆病になってしまったのだ。
昔はいつも購入していた。
オイラが月例コンテストに、血道を上げていたのは20年前の話しになる。
その時は2誌とも購入して、コンテストの選者の傾向と応募者の顔ぶれを見て一喜一憂していました。
それからオイラはコンテストを卒業してしまって、田中長徳さんの「間違いだらけのカメラの買い方」でライカ狂になりカメラジャーナルとカメラ雑誌は必ず購入していた。
それが、カメラジャーナルは廃刊となり、安原一式と秋月をだして安原製作所は廃業してしまい、世の中はフイルムカメラからデジタルへ移行して、カメラ雑誌はパッタリ買わなくなってしまった。
買う必要性がなくなったというのが正直なところで、ネットでレビューが出ているし、カメラは使い捨てというより3ヶ月程度使って、また新しいカメラに切り替える、プロならばレンタルで借りる時代になったのではないかなぁ・・・
カメラに命が無くなってしまい、普通の道具に成り下がってしまったのだ。
それと同時に写真は世の中への影響力をなくしてしまったのだ。
また自主規制するような世の中になってしまい人の顔を写っていることに編集者や写真家は臆病になってしまったのだ。