子供の前で喫煙しているシーンが多いという指摘をうけて販売を中止した児童書があると新聞記事がでていた。
最近世の中おかしくなっていないかなぁ・・・?
TVで学校帰りに行方不明になり殺害という事件があると、全国一斉に父兄やその祖父母が子ども達の登下校に付き添って監視する。
それもお揃いの安物ビニールでできたジャンパーを着て、後ろにはパトロールとか監視員という名前まで書いてある。
何も、この行為が悪いといっているわけではないが、なんだか奇妙に思うのですね。
世の中に、こんな犯罪を犯す人は一人か二人ですよ。それを日常的にいつでも起こるんじゃないかと疑心暗鬼になって、監視する社会になっているように思うのです。
そして片一方では一年間で自殺者が30000人もいるのに、自殺はやめましょ!という呼びかけすらない。
多い多いと報告しているだけだものなぁ
不思議と思います。
最近は自殺という名前すら規制しているらしくて自死という言葉をあてている。
何だかおかしい。
「売春」を「援助交際」と言い換え、「首切り」を「自主退職」又は「派遣切り」「雇い止め」とも言い換え、ホームレスの年末の炊き出しを「テント村」とか「年越し村」
言葉を置き換えることでイメージを変える。真綿に包んでわからなくする。
どうも脱線しました。
最近世の中おかしくなっていないかなぁ・・・?
TVで学校帰りに行方不明になり殺害という事件があると、全国一斉に父兄やその祖父母が子ども達の登下校に付き添って監視する。
それもお揃いの安物ビニールでできたジャンパーを着て、後ろにはパトロールとか監視員という名前まで書いてある。
何も、この行為が悪いといっているわけではないが、なんだか奇妙に思うのですね。
世の中に、こんな犯罪を犯す人は一人か二人ですよ。それを日常的にいつでも起こるんじゃないかと疑心暗鬼になって、監視する社会になっているように思うのです。
そして片一方では一年間で自殺者が30000人もいるのに、自殺はやめましょ!という呼びかけすらない。
多い多いと報告しているだけだものなぁ
不思議と思います。
最近は自殺という名前すら規制しているらしくて自死という言葉をあてている。
何だかおかしい。
「売春」を「援助交際」と言い換え、「首切り」を「自主退職」又は「派遣切り」「雇い止め」とも言い換え、ホームレスの年末の炊き出しを「テント村」とか「年越し村」
言葉を置き換えることでイメージを変える。真綿に包んでわからなくする。
どうも脱線しました。
十何年ぶりにアサヒカメラと日本カメラを購入した。
昔はいつも購入していた。
オイラが月例コンテストに、血道を上げていたのは20年前の話しになる。
その時は2誌とも購入して、コンテストの選者の傾向と応募者の顔ぶれを見て一喜一憂していました。
それからオイラはコンテストを卒業してしまって、田中長徳さんの「間違いだらけのカメラの買い方」でライカ狂になりカメラジャーナルとカメラ雑誌は必ず購入していた。
それが、カメラジャーナルは廃刊となり、安原一式と秋月をだして安原製作所は廃業してしまい、世の中はフイルムカメラからデジタルへ移行して、カメラ雑誌はパッタリ買わなくなってしまった。
買う必要性がなくなったというのが正直なところで、ネットでレビューが出ているし、カメラは使い捨てというより3ヶ月程度使って、また新しいカメラに切り替える、プロならばレンタルで借りる時代になったのではないかなぁ・・・
カメラに命が無くなってしまい、普通の道具に成り下がってしまったのだ。
それと同時に写真は世の中への影響力をなくしてしまったのだ。
また自主規制するような世の中になってしまい人の顔を写っていることに編集者や写真家は臆病になってしまったのだ。
昔はいつも購入していた。
オイラが月例コンテストに、血道を上げていたのは20年前の話しになる。
その時は2誌とも購入して、コンテストの選者の傾向と応募者の顔ぶれを見て一喜一憂していました。
それからオイラはコンテストを卒業してしまって、田中長徳さんの「間違いだらけのカメラの買い方」でライカ狂になりカメラジャーナルとカメラ雑誌は必ず購入していた。
それが、カメラジャーナルは廃刊となり、安原一式と秋月をだして安原製作所は廃業してしまい、世の中はフイルムカメラからデジタルへ移行して、カメラ雑誌はパッタリ買わなくなってしまった。
買う必要性がなくなったというのが正直なところで、ネットでレビューが出ているし、カメラは使い捨てというより3ヶ月程度使って、また新しいカメラに切り替える、プロならばレンタルで借りる時代になったのではないかなぁ・・・
カメラに命が無くなってしまい、普通の道具に成り下がってしまったのだ。
それと同時に写真は世の中への影響力をなくしてしまったのだ。
また自主規制するような世の中になってしまい人の顔を写っていることに編集者や写真家は臆病になってしまったのだ。