突如、中国の写真だが、これは雲南の三江というところに旅をしたときの一枚である。道路に似合わない車が通り、通行の人が迷惑がっている。このときに「泥棒!」という声で(もちろん中国語だが)一斉に人が動いた。中国はヤジ馬熱が凄くて、華々しいのである。そろそろ旅がしたくなっている。しょうがないので写真での旅となった。
中国の雲南へ家族三人と野間五段とで初めて旅をしたとき列車内の写真である。 予約をしていなかったので、窓口で何とか切符を取っての桂林から昆明まで36時間硬座の旅だった。初めは座れなくて、満員のなかで立っていた。車掌さんに指定席を頼んだが満員で空いていなかった。この旅の洗礼は強烈で、今考えると無理気味だったのだが、きつかった分印象に残っているそうだ。私はシルクロードの列車の旅で48時間、24時間、12時間などに乗りながら旅をしたことがあるので、10時間だと短く感じたりした。なかなか席を空けてくれなくて中国の人を恨めしく思っていたが、日本人とわかり途中で座らせてくれたり、親切にしてくれ始めて、筆談したりで何とか36時間をこなせたのだった。
もうこういう旅は無理のようだ・・
もうこういう旅は無理のようだ・・
以前、途中まで掲載していた中国の風雨橋の旅からの写真だ。少しバテ気味のときは、こういうカットがいい。何だか画面から中国語が聞えてきそうだ。
本来、子どもは世界各国でさほど変わりがないはずだ。変わっているとしたら、大人の影響が大きいのではないだろうか。ニワトリと卵ではないように思う。
「子どもをぶん殴ってやればいいのよ」物騒な言葉だが、今日の電車の中で、おばちゃん3人組が教育の話をしているのが聞えてきた。「先生が親に、こうこうしかじかで、お宅の子どもを叱りますよ、連絡してからならいいんじゃないの」次第に盛り上がっていたのだった。
本来、子どもは世界各国でさほど変わりがないはずだ。変わっているとしたら、大人の影響が大きいのではないだろうか。ニワトリと卵ではないように思う。
「子どもをぶん殴ってやればいいのよ」物騒な言葉だが、今日の電車の中で、おばちゃん3人組が教育の話をしているのが聞えてきた。「先生が親に、こうこうしかじかで、お宅の子どもを叱りますよ、連絡してからならいいんじゃないの」次第に盛り上がっていたのだった。
インド北部のアーグラにある「タージ・マハル」である。このときは行きのバスの冷房がきつくてお腹をこわして困った。アーグラのツアーバスに乗ったのだが、当然みたいにガイドも英語だった。途中でイギリス人のカップルに撮影係を依頼されて、ずっと一緒に回る。(回らされた?)このとき、イギリス人のカップルは、物売りの現地のインドの少年に手厳しかった。何かを垣間見たようだった。
私は観光バスを降りて自由行動に変えた。せがまれて、お金でなくて飴玉を渡し、少年と仲良くなった。「ジャスト、モーメン」と言って、観光バスが着くたびに物売りに出かける。終わるとウインクして戻って来た。少年の仕事なのだ。あれこれカタコトの英語で話をした。別れるときはさみしそうだった。
私は観光バスを降りて自由行動に変えた。せがまれて、お金でなくて飴玉を渡し、少年と仲良くなった。「ジャスト、モーメン」と言って、観光バスが着くたびに物売りに出かける。終わるとウインクして戻って来た。少年の仕事なのだ。あれこれカタコトの英語で話をした。別れるときはさみしそうだった。
インドのブッダガヤはお釈迦様が悟りを開いた菩提樹のあるところだ。ニーランジャナ川は、厳しい修行の合間に、お釈迦様が沐浴をしたところらしい。
初めに子ども達が私の所に寄ってきて、それからお母さんが物珍しいので見物に来たようだ。そこで写真を撮らせてもらう。実はこのとき、つきまとうガイドや物売りから逃れて、ようやく静かに川を散策しているところだった。何しろ、断っても断っても、毎朝勝手に宿泊先(お寺に泊まった)の私のベッドに来て「ハロー!グッモニーン」とニコニコして入ってくるのだ。ゲンナリする私を見ても、「ノープロブレム!」である。あるとき別の観光地でバッタリ会う。「オーミスタ、モリ、ハロ-!」と元気いっぱいなのだ。このたくましい生命力というか、エネルギーには負けたと思った。
初めに子ども達が私の所に寄ってきて、それからお母さんが物珍しいので見物に来たようだ。そこで写真を撮らせてもらう。実はこのとき、つきまとうガイドや物売りから逃れて、ようやく静かに川を散策しているところだった。何しろ、断っても断っても、毎朝勝手に宿泊先(お寺に泊まった)の私のベッドに来て「ハロー!グッモニーン」とニコニコして入ってくるのだ。ゲンナリする私を見ても、「ノープロブレム!」である。あるとき別の観光地でバッタリ会う。「オーミスタ、モリ、ハロ-!」と元気いっぱいなのだ。このたくましい生命力というか、エネルギーには負けたと思った。
ガンジス河に朝がやってくる。私達は二,三人で船頭を雇って、この小舟で隣町まで行くことにした。外出禁止令がでていて、これを待っていては帰国便に乗れなくて、日本に帰れなくなると思ったからだ。ひとつの冒険だったが、そこはインドである。何とかなるものなのだ。明け方の日が昇るのを待って、漕ぎ出す。このときの静かなガンガーを私は一生忘れないだろうなあと思った。きれいだった。
「ノープロブレム」この英語を何度聞かされたことか。全くあてにならない言葉だが、インドはそういう国なのだ。無事に着いたときはほっとした。
「ノープロブレム」この英語を何度聞かされたことか。全くあてにならない言葉だが、インドはそういう国なのだ。無事に着いたときはほっとした。
ホテルからガンジス河に出るまでに、私には苦手な野良犬が数匹いつもたむろしていた。目をつむりながら、知らん振りして道の真ん中を歩いて行くのだが、冷や汗をかく。河沿いでは、毎朝、沐浴の人で満員だった。
クミコハウスでは、初めは大広間で雑魚寝だったが、数日たって信用されたのか?個室に移れた。食事のときは、宿泊者もみんな手伝う。昔の民宿みたいなものだ。ある日、近くで暴動が起きて、外出禁止令が出た。何事かと出てはいけないラインまで見に行くことにした。イスラムとヒンズーの小競り合いだったみたいだ。
面白がって道を走り出した若者が、警官にポカリと警棒で殴られた。ホテルに戻ると、河沿いも警官がパトロールしている。不思議な光景だった。
クミコハウスでは、初めは大広間で雑魚寝だったが、数日たって信用されたのか?個室に移れた。食事のときは、宿泊者もみんな手伝う。昔の民宿みたいなものだ。ある日、近くで暴動が起きて、外出禁止令が出た。何事かと出てはいけないラインまで見に行くことにした。イスラムとヒンズーの小競り合いだったみたいだ。
面白がって道を走り出した若者が、警官にポカリと警棒で殴られた。ホテルに戻ると、河沿いも警官がパトロールしている。不思議な光景だった。
1989年の夏、インド旅行に行ったときの写真で、同宿の日本人の学生に撮ってもらった。ヒゲ面でいかにもアジアの浮浪者?である。フィルムはリバーサルでなくて、普通のネガカラーだが、このときから旅にカメラを持つようになった。
ひとりで空港に降りたとき、足がすくんで外に出られなくて、明るくなるまで待った。掃除をしている少年とカタコトの英語で知り合い、インドの旅が始まった。
不思議なことに、日本人の学生がこともあろうに私にくっついて来て(多分私が初めての旅人とは見えなかったのだろう)宿探しや飯屋まで私が世話をした。途中で面倒になって、別行動を取った。帰りの空港で一緒になったとき、カルチャーショックで物言わぬ青年になっていて、悪いことをしたなあと思った。このときの旅では、熱に浮かされた学生の面倒も見た。そもそも私も熱を出して二晩寝込んだのである。旅はひとりで、なるべく日本人がいない宿を探したりした。バラナシーでは「クミコハウス」で日本人が多いところだった。さすがに心もとなくて、日本語を頼るのだった。
ひとりで空港に降りたとき、足がすくんで外に出られなくて、明るくなるまで待った。掃除をしている少年とカタコトの英語で知り合い、インドの旅が始まった。
不思議なことに、日本人の学生がこともあろうに私にくっついて来て(多分私が初めての旅人とは見えなかったのだろう)宿探しや飯屋まで私が世話をした。途中で面倒になって、別行動を取った。帰りの空港で一緒になったとき、カルチャーショックで物言わぬ青年になっていて、悪いことをしたなあと思った。このときの旅では、熱に浮かされた学生の面倒も見た。そもそも私も熱を出して二晩寝込んだのである。旅はひとりで、なるべく日本人がいない宿を探したりした。バラナシーでは「クミコハウス」で日本人が多いところだった。さすがに心もとなくて、日本語を頼るのだった。
猫はどの国でもニャオーであって、外国語ではない。思考回路も猫の言葉で考えるのだろう。人間だけがその国の言葉で物事を考える。
私は日本語を聞きたくない為に外国に行っていた時期もあった。「日本語が聞けないと不安でしょうね」そう言われて(違うのだけどなあ・・)
外国語を話せる人がうらやましいが、私は日本語はおろか、動物語しか話せないのかもしれない。
私は日本語を聞きたくない為に外国に行っていた時期もあった。「日本語が聞けないと不安でしょうね」そう言われて(違うのだけどなあ・・)
外国語を話せる人がうらやましいが、私は日本語はおろか、動物語しか話せないのかもしれない。
上海で、タクシーとバイクの接触事故みたいだった。中国はコネ社会なので、こういった場合でも、親族に偉いさんがいる方がほぼ勝ちみたいである。お互いに言い争うだけでなく、ヤジ馬を味方につけるかどうかも大きい。大きな声の割りに、どこか間延びしたような雰囲気もある。
さてこの事故の決着は?知らぬが仏ですね。
さてこの事故の決着は?知らぬが仏ですね。
中国の朝は、小鳥のさえずりから始まるといっていいくらい、庭でも公園でも、自分の好きな小鳥の世話を楽しんでいるようだ。そのせいか、小鳥屋さんには立派な篭が多い。自慢合戦でもあるようだが、ひとたび鳥の話になると、わが子可愛さがでるのだろうなあ。
小鳥は世話をする人によって、生き生きしているかどうか異なるようだ。以前、三木市の小鳥屋さんをみて、よけいにそう思った。
小鳥は世話をする人によって、生き生きしているかどうか異なるようだ。以前、三木市の小鳥屋さんをみて、よけいにそう思った。
バスの中から見た風景で、中国の大理から麗江に向かう途中だったと思う。旅の楽しみのひとつが、車中から見る風景で、飽きることがない。もしも、自分がここで生まれて住んでいたとしたら、どんな暮らしをしているだろう・・空想は尽きないが、そう考えるとどこの土地にも愛着が湧いてくる。もしも自分がこれからここに住むとしたら・・旅は自分の違う人生を夢見る時間かもしれない。
中国の雲南、三江の風雨橋めぐりの旅、小さな白い犬が土間に寝転んでいる。何の店だったか記憶がない。ある骨董屋さんに入ったとき、新聞を見せられてしきりに説明を受けたが、私は中国語がわからない。そう答えているのに、熱心に見せられて、その後で日本の新聞を持って来られる。頭をフル回転させて、相手が何を言おうとしているのか想像する。ふいにひらめいた。自分がその新聞に出ているので見せたかったのだ。考えて見ると、私は動物と対話するのも、言葉でなくてボディランゲージ?なるものかもしれない。
中国,麗江の猫である。猫に鎖がつけてあるが、勝手にどこかに行かないようにでなくて、捕まってしまうからだろう。中国では野良猫が存在しないのかもしれない。この猫は大事に飼われて上品な気がした。
猫は気ままで自由である、とはいえないような・・
猫は気ままで自由である、とはいえないような・・
中国、雲南の大理は日本人に人気のある街だ。この写真は大理の朝に散歩に出かけたときの一枚。ひとりの子どもが子犬を連れて、他の子どもたちがついてくる。
昔懐かしい、夏休みの光景だ。外に出て遊ぶ、道具はいらない。
「おっちゃん、うまく撮ってよ」と言ったかどうか、私は中国語がわからないが、そう言ったと思う。以心伝心である。
昔懐かしい、夏休みの光景だ。外に出て遊ぶ、道具はいらない。
「おっちゃん、うまく撮ってよ」と言ったかどうか、私は中国語がわからないが、そう言ったと思う。以心伝心である。