昨日、偶然にこの扇子が出てきた‥村山聖八段、山崎隆之四段の祝賀会で作ったものだが、覚えていなかったので懐かしく感じた。山崎八段が夏のあいさつに来てくれたので、村山君がメッセージを送ってくれたのだろうか‥
私も日々何らかの葛藤、模索、焦燥、混迷、諦観の中で暮らしているが、あまりにも多いので(明日も明後日も明日か明後日の風が吹くだけだ‥)の心情でもある。見かねた村山君の励ましの扇子に見えた‥
耐えて待つのは村山聖の根幹の姿勢であるが、私は耐えているつもりが「ジリ貧で待つ」姿勢が根幹にあるのが哀しいかなあ‥
山崎四段の「流水」は初めてみたようで、いい言葉である。あらためて懐かしい扇子だなあと思った。
私も日々何らかの葛藤、模索、焦燥、混迷、諦観の中で暮らしているが、あまりにも多いので(明日も明後日も明日か明後日の風が吹くだけだ‥)の心情でもある。見かねた村山君の励ましの扇子に見えた‥
耐えて待つのは村山聖の根幹の姿勢であるが、私は耐えているつもりが「ジリ貧で待つ」姿勢が根幹にあるのが哀しいかなあ‥
山崎四段の「流水」は初めてみたようで、いい言葉である。あらためて懐かしい扇子だなあと思った。