阪急電車の曽根駅で降りて歩いて5分、「萩の寺」に着いた。この一年の弟子の活躍、勝ち運を願う初詣である。
村山聖を思わせるぽっちゃりした像に出会う。
私は毘沙門天が好きなので、何度か来たことがある。
星岡茶寮ゆかりの魯山人観音
弟子の活躍を願って絵馬に願いを書いた
よく見るとユーモラスな句である。
どこも寄らないで家に戻る。これでこの一年の祈願は大丈夫である(と信じよう)
阪急電車の曽根駅で降りて歩いて5分、「萩の寺」に着いた。この一年の弟子の活躍、勝ち運を願う初詣である。
村山聖を思わせるぽっちゃりした像に出会う。
私は毘沙門天が好きなので、何度か来たことがある。
星岡茶寮ゆかりの魯山人観音
弟子の活躍を願って絵馬に願いを書いた
よく見るとユーモラスな句である。
どこも寄らないで家に戻る。これでこの一年の祈願は大丈夫である(と信じよう)
阪急川西駅で能勢電鉄に乗り換えて、妙見口まで行く。妙見ケーブルやリフトが今年の12月4日までで閉じる記事を見てしまった。驚きと同時に、何が起きても不思議でない今の時代の怖さをまた味わう…
懐かしく,寂しい思いを抱えながらも、自然の気持ちで早めに行くことにした。
昔、一門の奨励会のハイキングでバーベキューをしに行ったことを思い出す。それ以外にもケーブリからリフトに乗って、何度も行ったことがある。妙見山は山自体が信仰の地と言われる。阪田三吉王将も何度も通ったし、妙見山に向かってお参りしている。
ニコンのレンズにソニーのボディーの一眼レフカメラとデジカメを持って出かける。世俗から離れて過ごす日でもあるのかなあ…最近は現代の時代に追い付けなくて迷うことが多く、我が身を知り、こなせない自覚を持つ日々かもしれないなあと思っている。
昔と同じようにカメラを持ってフラリと旅に出る暮らしに体が向かう…
2023年8月31日
阪急で清荒神から宝塚に出て、JR宝塚に乗り換える。新三田で乗り換えて丹波篠山まで行く。そこで福知山線に乗り換えて谷川でJR加古川線に乗り換えて栗生で神戸電鉄に乗り換えて三木上の丸で降りる。5回乗換えがあるので、待ち時間も入れてゆったりの旅である。あいにくの曇り空で、風景はすっきりしないが、暑さ対策の冷房は効いていて、列車内は喫茶店にいるようで助かる。
三木上の丸からナメラ商店街を通り、親切な方に訊いて少し坂を上り、三木市立堀光美術館に入る。「雲丹亀利彦展 日本画 心の可視化」に入る。幻想的な中に気品が漂う作品で、妻の好きな画家の古賀春江の絵を思い出す…
三木城跡と言えば別所長治公が受けた、秀吉からの「兵糧攻め」の話が有名である。私は思わず目を閉じてしまうのだが…胆力のある城主だったと思う。
日帰りの小さな旅だが、車窓から見える風景は魅惑たっぷりの田園地帯である。ミニシアターで映画を見ているような気分だ。帰りも乗り換えが悪くて時間がかかるが「物足らずして心深まる」旅だったなあと思う。帰宅してどっぷり眠る。今度はどこに行こうかなあ…
朝にふと思い立ち「のんびり電車に乗るたびにでることになった。阪急電車で清荒神から宝塚に出てJRに乗り換える。JR宝塚から新三田駅で降りてしばし普通電車を待つ間に待合室で弁当を食べる。
新三田駅から丹波篠山に向かう。そこで乗り換えて福知山までのんびり走る電車の車窓を眺める…
ほとんど電車に乗っているだけで、着いた福知山駅ではミスドに入り全身を冷やしてから?帰りの電車を待つことにした。外に出てどこかに行こうかとも思ったが、この暑さでは無理。
昔のニコンF3の50ミリ1,2のレンズにソニーのデジタル一眼レフを買って装着して、久しぶりの撮影の旅に出てみた。今の私には少し重いボディだが、昔の撮影旅行を思い出しながら、撮った。デジカメでも撮っているが、やはり一眼レフの感触がいいなあと思った。今日の写真は一眼レフで撮ったもの。
喫茶「レストイン・デカンショ」を撮る
孫悟空が居そうな雲が広がる
青空と白い雲と薄い緑の山と林で十分な景色だ
暑さに負けて水もおだやかだが、この川沿いに恐竜の発掘地がある
無人駅に無人待合室のいい風景
道があると人の存在が浮かぶ
雲は天才だ
福知山駅のホーム
雑草が茂り工場が見える
明暗の分かれる空を見る
2023年7月5日水曜日
三重県伊賀市の島ヶ原の西念寺に行く。永代供養墓の件である。車で行くか電車で行くか迷ったが、島ヶ原駅でタクシーを呼ぶのも大変そうなので、車にした。
久しぶりの高速道路だったので、宝塚から奈良まで行くのに中国道と近畿道、第2阪奈道路までインターチェンジのところで緊張する。木津川から163号線に入りほっとした。
道の駅「お茶の京都 みなみやましろ村」で村定食「原木しいたけコロッケ」を食べる。美味しかった。
島が原駅に到着する。
西念寺に向かうが、少し道を間違えて戻る。小雨模様だった。
西念寺の庭には大きなカヤの樹がある。和尚さんが出迎えてくれた。初めてお会いした時に「聖の青春」を読まれていたそうで、ご縁にびっくりされていた。
小雨の中の読経…静かな時間が過ぎる。あれこれ浮かんでくるが、歳月の早さに気持ちを噛みしめる。
お礼を述べてお寺を後にする。
あまり可愛くない?アオサギだが、存在感があった。
帰りは下の道を走って帰ることにしたが、大阪で外環状線に乗ってしまい、時間がかかった。私は道に詳しくないのでナビに頼ったのが間違いだった?
車は将棋教室ルートと近くの買い物ルートしか乗らないようにしているので、いい刺激にはなった。
帰宅して、しきりに妻がある「廃墟」の話をする…
奈良の「大神神社」に行くことにした。おおみわ神社と呼ぶ。清荒神から大阪で地下鉄に乗り換え難波。そこから近鉄電車で鶴橋で乗換えで桜井でおりた。それから臨時バスでむかう。着いてからともかく食事して、三輪明神、大神神社の参道を歩く。私の足でも歩けそうなので、古い街並みを進む。映画「男はつらいよ」の最後のシーンに出てきそうな、正月の祭り風景だった。
参道から鳥居をくぐり本殿に向かう階段で苦戦した。左ひざの痛みで歩くのがきついので、準備していた杖を使うことにした。初詣は元気な人ばかりだなあ…そろりそろりと歩く。本殿はごった返していたが、何とかお参りできた。たこ焼きを食べて、出店を見て歩く。私は子どもの頃、お面が好きだった。
帰りはJR三輪駅から電車に乗って桜井へ。それから近鉄電車で居眠りしながら帰路についた。正月の賑わいの幸せな気分とひざ痛の暗い気持ちが交差する。この一年もスタートだ。
この一年 占うような 吉探す
1月7日関西将棋会館に行く用事ができたので、その前に東大阪の布施に行くことにした。お目当ては「金太郎」というパン屋さんや「紀伊國屋」というレストランである。
少し早く着いたので、布施の商店街や下町散策をする。このあたりに「と金クラブ」という将棋クラブがあったなあ…昔、住み込みの塾生の頃に「将棋世界」を運んで持って行った記憶がある。
初めて歩いた気もするが、古い街並みと庶民的な暮らしの匂いがあって、懐かしかった。こんなにいいところなら、また来ようと妻を話しながら歩いていたが、寒さもあってか歩行がきつくなってきた。駅前界隈を歩いただけなのに…10分歩くと3分休憩の感じである。
昼前に紀伊國屋さんで食事して、その後は金太郎でパンを買い込んで関西将棋会館に向かうことにした。写真を撮る素材が多くて楽しかったが、歩きにくい弱点も身に染みて、あれこれ考える…
真っ白なキャンパスに自分の思いを描くような写真が撮れたらなあと思うが、ひたすら、あるがままにものを撮るしかないかなあと悟る面もある。歴史を感じさせて、人の暮らしと匂いがしみ込んだ風景がいいなあと思う。
年内の仕事が終わり、どこかに行こうとなって①笠松競馬②城崎温泉③神戸散策などが候補だったが、福知山線鈍行の旅に決まった。車窓を見ながらのんびりのはずだったが、意外に列車が混んでいた。篠山口で乗り換えて福知山に行く普通列車は二両しかなくて満員だった。
福知山に着くと昨晩の積雪50センチの影響で、雪景色である。そのせいもあって早々と歩行がきつくなった。杖を持ってくるべきだった?お城に上るのもあきらめて、食事する。なかなか空いていなくて、中華の店があって助かった。その後で福知山温泉に行こうと思ったが、この歩行では無理と判断して帰ることにした。「福知山まで中華を食べに来たようなものかなあ」妻のつぶやきに同意する。レトロ商店街散策も見送る。
それでも出かけてきてよかった。暮れの福知山線車窓の風景は飽きなかった。
第3回こども竜王戦の審判で京都に向かう。阪急電車の西院から京福電鉄の路面電車に乗った。鳴滝から宇多野あたりの風景で不意に(40年前にこの駅で降りて友人の下宿に会いに行ったことがある気がする)思い出す。I君は中学の親友だったが、それ以来音信不通である。私が高校を卒業して就職したころと重なる…今まですっかり忘れていたのに、なぜだろう?年を取ると過去の方が記憶が鮮明になる兆しなのだろうか。ふたりとも愛想がないので、部屋でお茶を飲みながら話をして過ごした。医者志望だったがどうしているかなあ。
氷室駅について下車する。駅舎の上で湯気が立ち上っていたので写真を撮ったが、写っていないようだ。私がしゃべると饒舌で中身がない方向に向かうので、風景を見るときは心静かに目で歩くようにしている。気に入った風景に向き合うと。ひたすら酔いしれることもある。仁和寺に早くついて、久しぶりに写真を撮った気がしたが、30分すると膝が痛んで立ち止まる。
少し早めに着いたので、仁和寺を散策する。昔、ひとけのない冬に何度か来たことがある。人と離れて人の温かさを知る心情だろうか。将棋を指すようになって、自分がさほど性格の暗い人間のタイプでないのが分かったが?楽しいという言葉を聞くと少しばかり抵抗感がある。子どもの頃からはしゃいだり、みんなと仲よく遊ぶのが苦手だったせいもあるだろうなあ…利己的で自己主張の多くなった時代ゆえに、静けさや慎み深さが懐かしく感じるのは、すでに古さで凝り固まった頭のせいでもあるのだろう。以外に私は腰が引けっぱなしの生き方なので、遠くを見たりまじかには人のいない風景がすきでもある。