神戸に行った1月3日の写真だ。1月2日はミス。
こういったモニュメントは題名をみないで触れるときと、題名をみて触れるのでは微妙に違ってくるみたいだ。左右されるというよりも、テーマが象徴されすぎて意識が固まるからだろうか。
無題というのも多い。無題なら何も書かないのがいいのだろうが、これも微妙に違う。
写真もそうだが、人間の目や意識は始めからの思い込みが大きい。違った角度でとらえる柔軟さが大切な気がする。
こういったモニュメントは題名をみないで触れるときと、題名をみて触れるのでは微妙に違ってくるみたいだ。左右されるというよりも、テーマが象徴されすぎて意識が固まるからだろうか。
無題というのも多い。無題なら何も書かないのがいいのだろうが、これも微妙に違う。
写真もそうだが、人間の目や意識は始めからの思い込みが大きい。違った角度でとらえる柔軟さが大切な気がする。
今年映画になるそうな小説「阪急電車」の初めのシーンにこの「生」が出て来るそうだ。電車の中からもはっきりと見える。震災が近づくと忘れえぬこととして、目に焼きつきそうなシーンである。
自分自身も震災からは何かが変わったと思う。目に見えない何かを背負っているので、自分だけの生ではないように思っている・・
あきらめとこだわりとが自分の中に日々混在しながら、立ち止まったり進んだり、下がったり走っつたりしている・・
自分自身も震災からは何かが変わったと思う。目に見えない何かを背負っているので、自分だけの生ではないように思っている・・
あきらめとこだわりとが自分の中に日々混在しながら、立ち止まったり進んだり、下がったり走っつたりしている・・