この写真は子どもの頃に住んでいたところを訪ねたときの一枚で、母と一緒に撮った。この市営住宅には小学2年生から中学3年生までの8年間母と兄、姉の4人で住んでいた。
まだそのまま残っていたのにびっくりしたが、ほとんど空き家でもあったようだ。ここでニワトリを飼ったり、カメを育てたり、犬のお産もした?のである。学校は徒歩2分だったので、ずる休みのときは外に出られなくて家に籠って将棋の本を読んでいた。あるとき母が突然帰ってくる気配がして、あわてて天井に逃げこんだ記憶がある。私は小さかったので入り込めたようだ。
子犬を捨てて来なさいと言われて、泣きながら捨てに行った記憶もある・・やっていることは今とほとんど変わりない気がする。
まだそのまま残っていたのにびっくりしたが、ほとんど空き家でもあったようだ。ここでニワトリを飼ったり、カメを育てたり、犬のお産もした?のである。学校は徒歩2分だったので、ずる休みのときは外に出られなくて家に籠って将棋の本を読んでいた。あるとき母が突然帰ってくる気配がして、あわてて天井に逃げこんだ記憶がある。私は小さかったので入り込めたようだ。
子犬を捨てて来なさいと言われて、泣きながら捨てに行った記憶もある・・やっていることは今とほとんど変わりない気がする。
庭にある源さんのお墓には仲間がいっぱいいるようにしている。源さんは動物と人間が変わらないことを教えてくれた気がする‥そのせいか私は間違いなく人間よりも動物に近くて、身近に親しまれる傾向にあるようだ‥
動物チャンネルを見ていると、生きていくために自然界のある意味で残酷な掟をかいまみることもあるが、子ども達に一番教えないといけないことのようにも思う‥私は子どもの頃から、時代劇の映画をみても主人公に斬られる側に気持ちが移って「イタッ」と感じてしまうヘンな子どもだった。その意識は今も変わりない気がする。
動物チャンネルを見ていると、生きていくために自然界のある意味で残酷な掟をかいまみることもあるが、子ども達に一番教えないといけないことのようにも思う‥私は子どもの頃から、時代劇の映画をみても主人公に斬られる側に気持ちが移って「イタッ」と感じてしまうヘンな子どもだった。その意識は今も変わりない気がする。
庭のざくろの花が咲き始めた‥この花はいっぱい咲くのだがほとんど落ちてしまう。残った花がざくろの実につながっていくので、その数がとっても気になる。いっぱい咲いていっぱい残ってほしいのだ。
こうやって毎年同じことを繰り返していても、一期一会なのは変わりないことなのだと思うようになった。理屈はもういいからという面と、感情的なことだけではあかんという面と、混ざり合って生きていく。
今年のざくろは何個実るかなあ‥
こうやって毎年同じことを繰り返していても、一期一会なのは変わりないことなのだと思うようになった。理屈はもういいからという面と、感情的なことだけではあかんという面と、混ざり合って生きていく。
今年のざくろは何個実るかなあ‥
昨日で松平幸秀騎手が引退した。調教師の道に進むそうだ。人生の岐路には別れがつきものだが、ファンへのサインをする表情は男らしい雰囲気が漂っていた‥人生は選択と決断だ。そう感じた。
来阪の兄弟子、滝誠一郎八段も引退された‥(竜王戦の対局が残っているので正式な引退は後になる)「歳月は人を待たず」という言葉があるが、今の時代は「世の中は人を待たず?」のような気がする‥何かと言えば自己責任を問われるが、もう少しおおらかな時代の方がいいなあと思う‥「許す」「見守る」「かばう」そういう感性が消えているのだろうなあ‥
来阪の兄弟子、滝誠一郎八段も引退された‥(竜王戦の対局が残っているので正式な引退は後になる)「歳月は人を待たず」という言葉があるが、今の時代は「世の中は人を待たず?」のような気がする‥何かと言えば自己責任を問われるが、もう少しおおらかな時代の方がいいなあと思う‥「許す」「見守る」「かばう」そういう感性が消えているのだろうなあ‥
今日は(昨日は?)園田金曜ナイターに行く。東京から来阪の兄弟子、滝誠一郎八段と一緒である。本来は尼崎競艇の方がよかったかもしれないが?ここは園田金曜ナイターの一手である。
馬券は苦戦で、何かもうひとう歯車がかみ合わない‥悔しい思いをするのだが、こうやって兄弟子とこられるのが最高の幸せだろうか?
馬券は苦戦で、何かもうひとう歯車がかみ合わない‥悔しい思いをするのだが、こうやって兄弟子とこられるのが最高の幸せだろうか?