面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

二代目林家三平

2009年03月10日 | 落語
平成爆笑王に!林家いっ平が2代目三平襲名(サンケイスポーツ) - goo ニュース


いよいよ林家いっ平が父の名・三平を継ぐ。
大阪の小米朝は、父・米朝ではなく父の師匠の名跡を継いだが、「上方の大名跡」とは言っても、生前の米団治を知る人はもはやほとんど無く、いまやその弟子にあたる米朝の名前の方が大きいくらいであり、新しい「米団治」を作っていくことができる。

しかし、三平はそうではない。
爆笑王として一世を風靡した姿は、まだ多くの人々の脳裏に焼きついている。
しかも、その高座姿もDVDなどのメディアで見ることもできる。
先代・三平のイメージをオーバーラップさせられやすいうえに、先代のイメージがまた強烈なだけに、どうしてもいっ平の三平は小粒に見える。
いや、先代ほど突き抜けた面白さが出るかというと、まだ未知数とは言いながら、個人的には甚だ疑問である。

二代目三平は、敢えて先代と同じような漫画風の落語で「爆笑王」を目指すか!?
はたまた、全く違うキャラクターを確立して正統派古典落語の名人を目指すか!?
どうにも“金持ちの甘チャン息子”のイメージがぬぐえない、マザコンに見えて仕方のない二代目三平。
先代三木助のイメージから逃れられなかったかのようにもがき苦しんだ、故・桂三木助の二の舞にならないことを祈る…

ところで、今回の襲名披露イベントでのビートたけしは、最高のエールを送っていた。
「(初代)三平の遺産を狙った峰竜太(義長兄)、林家正蔵の看板を狙った春風亭小朝(元義次兄)、頭に注射を打った(次姉の)泰葉に負けず、あなたは金とコネだけで見事に後継者となりました。」
仰るとおり!
もう本当にその通りなのだから、いっそ思い切り開き直って、「林家三平」という噺家を、0から作り直してもらいたい!
いつまでもオカアチャンに挨拶してもらってる場合ではない!


三下がり かっこ

2009年03月10日 | 落語
この日記タイトルで「ピン」ときた人は、相当の落語通か演芸関係者、あるいは本職の噺家さんだろう。

家にある落語のビデオテープを整理していて、「上方演芸ホール」というNHKの番組に出演した桂米団治の高座を見て驚いた。
なんと、出囃子が「三下がり かっこ」になっているではないか!?

一定以上の年数を経た噺家には、それぞれ決まった出囃子がある。
有名どころでは桂春団治の「野崎」。
江戸では文楽の出囃子でもあるが、大阪では春団治の“顔”とも言える。
あの曲を耳にしただけで、春団治の高座姿が鮮やかに脳裏に浮かぶ。

雀三郎の「じんじろ」や現・染丸がまだ染二だったころの「藤娘」、露の五郎(現・五郎兵衛)の「勧進帳」に文太の「さわぎ」、故人になってしまったが松鶴の「舟行き」や枝雀の「ひるまま」等々etc.
可朝の「ああそれなのに」や若い頃の吉朝の「芸者ワルツ」も、とぼけた感じで楽しかった。
噺家のイメージと出囃子とは密接に結びつく。
寄席でこの出囃子を聞いただけで、次に出てくる噺家に対する期待が膨らんで、楽しさ倍増にして勝手に楽しんでいる。

そして、米団治の「かっこ」。
前名の小米朝時代の出囃子が何だったか忘れたが、米団治を襲名して出囃子を変えたということだが、この「かっこ」は、師匠であり父親である米朝の出囃子だったもの。
米団治襲名披露公演を結局一回も行くことができず、また以前にも演芸番組での米団治の高座を録画したことがあったが一回も見れずにきたため、出囃子が変わったことを知らなかった。
大きな名前を襲名したので出囃子も変わったのだろうとは思っていたが、まさかこの曲に変わっていたとは本当に驚いた!

「かっこ」は、師匠・米朝の師匠である先代米団治の出囃子でもあったそうなので、今回の“措置”はごく当り前のことではあるが、この曲を“受け継いだ”という事実は相当重い。
往年の落語ファンにとっては、「かっこ」を聞けば米朝をイメージしてしまうのは、いかんともし難い癖のようなもの。
ところが、寄席でこの曲が流れてきても高座に上がるのは米団治。
どうしても米朝がオーバーラップしてしまい、米団治に対する評価が無意識のうちに厳しくなるのではないだろうか。

また、「かっこ」を現米団治に譲ったということは、裏を返せば、もう米朝がこの曲で高座に上がることは無いということだ。
最近の米朝は、高座に上がることはあっても単独で噺を演じるのではなく、弟子達と一緒に昔話や観客からの質問に答えるなど、“よもやま話”をするだけになっている。
とは言うものの、「かっこ」を譲ってしまったということは、もう二度と米朝の“落語の高座”は見られないということでもあるかもしれない、という事実が寂しい…

大名跡とともに出囃子「三下がり かっこ」を受け継いだ米団治。
米朝にしてみれば、「後は任せたぞ」というエールでもあるのではないだろうか。
上方落語界が、いつまでも米朝頼みでいるわけにはいかないのだ。
「米朝の息子」という呪縛から解放された米団治が、今後大きく飛躍することを願ってやまない。