『植物 オヤジ』

日々出会う植物たちの「たくましさ」と「美しさ」を再発見する、ハードボイルド・ボタニカルライフ。音楽、美食なども。

アロエは何を目指すのか

2014年07月15日 | 日記


アロエを買ってみた。

どこにでもあるが、どこでもちょっとずつ姿形が違う。
軒先でほったらかしにされ続けたアロエはさらに味わいが増している。
そのワイルドなフォルムは美しい。
美は乱にあり、というところか。
美しい形は夜に良く似合う。
とげとげが変化を作りラインをさらに強調する。
ただ、にょろにょろした姿はタコの足にも似ていて笑える。



モノクロームにしてもラインは際立つ。
アロエと違い直線的な美しさだ。
東山植物園の温室の住人で、幅は約120センチくらいある。
ここまで大きくなると○○さん、と呼びたくなる風格だ。

くねくねと伸びても、まっすぐ伸びてもとにかく天を目指して今日を生きる。
アロエの姿は大昔のヒット曲「異邦人」を思い出してしまい、只今頭の中をオートリピート中で困った。
「鳥や雲や夢までも」つかもうとしているようにも見えるのだ。

夢までつかめ、緑のたこ足達、アロエよ!


  嗚呼、ボタニカル!








溶けた脳ミソ

2014年07月13日 | 日記


リトープス。

この子等とは相性が悪い。
日向はきらい。
風はほしい。
水はきらい。
寒いのきらい。
雨はいや。
蒸れたら溶ける。

何様のつもりだ!


リトは脳ミソというか、お尻というかインパクトのある形はまるでニコチャン星人だ。
http://www.youtube.com/watch?v=EjcQB8BwYu0
(2分40秒あたりでニコチャン登場。名古屋弁でしゃべってたのには笑った)

5月からすでに3個の脳ミソが溶けた。
この鉢の中央は溶けた残骸だ。
一番気を遣ってきたのに気がつけばこの仕打ちだ。
「いつでもしんでやる~」と宣言し続け、本当に死んだ。

死んでしまえ。


人の気も知らずにわがまま勝手なやつだったのだ。
自業自得というものだ。
とはいえ、やつれ果ててしぼんだ姿を見るのは悲しい。
一度は一緒に暮らした仲なのだ。
やはり胸が痛む。

別居中の妻はこの子等と仲がいいようだ。
こちらは別に相性が悪くて別居している訳ではない。
オレは単身赴任の身だ。
明石の自宅ではこの脳ミソ・リト達が数十人いて
ときおり冗談のような花を咲かす。

    

脳ミソというか、お尻というか、その真ん中から突き出る花は
作り物のようだが、愛嬌もあり美しい。

Natural Selection
ベランダの者達よ、生きられるものだけ生き延びろ!

  嗚呼、ボタニカル!

ベランダの箱入り娘

2014年07月12日 | 日記



台風の風よけではない。

近所のワイン屋の策略にはまっただけだ。
ワイン屋はオレがハコもの、カゴものに弱いのを知ってるかのように
店先にコルクの山とともに輸入ワインの木箱をいくつも並べていた。
一個1,000円。

「買うしかない」
あるだけ買いたかったが車のないオレはそんなに持って帰れない。
断腸の思いで2個だけで我慢した。

はて、何に使うか?
買ってから使い道を考えるのはいつものことだ。
慣れている。
最もふさわしいところに処遇してやるのがベランダのマネジャーたるものの務めだ。
特別のアイデアもなく、6月25日に投入した紅一点、かわいい愛娘を入れてみた。
「箱入り娘」だ。

悪くない。
過保護と言われても結構。
先日、断腸の思いで首をちょん切った(摘心した)日々草は教科書通り横に大きく育って
毎日新しい笑顔をオレに見せてくれる。

悪くない。
かくして、オレのベランダは過保護な一人娘と、放任チームに選別されつつある。
放任チームはベランダの雑草野郎、ハーブ軍団とヘッドロック野郎、ヤマホロシだ。
雑草野郎についてはまた今度語ろう。

もう一つの箱はアンスリウムの置き台に身を落とした。

    

ハコとグリーンは仲良しだ。
もともと同じ植物族だから当たり前か。
従者を従え今日も輝け、娘たち。

  嗚呼、ボタニカル!

真夏の田舎娘たち

2014年07月10日 | 日記


芙蓉
おかず屋さんちの夏の歩道を彩る。

オレの顔より大きい、大輪の花だ。
顔が大きいだけでどことなく垢抜けない田舎っぽさがある。
聞けば一日花で、こんなに大きいのに
毎日咲いて毎日しぼむらしい。

もったいない。
顔が大きいだけで、「はかない」というより
「もったいない」と思ってしまう。
一日で終わるとは蝉どころではない命の短さだ。
ばん、とたくさん大きな花をつける姿は
夏らしくて見ていて気持ちがいい。
しめったこの名古屋の夏の暑さを一瞬忘れさせてくれる。
田舎娘よ、今日一日を自分のために咲き誇れ。


    

 嗚呼、ボタニカル!





花は官能である、か。

2014年07月06日 | 日記


ご近所のユリ。
危険な色彩だ。
その官能的な色と配色、デザインは人を引きつける。
はたしてオレは近づき、ガン見してしまう。
傍から見るとオレの方がよほど危険だ。
この色彩は音楽のようでさえある。
グレン・グールドのピアノ、ゴルトベルク変奏曲を聴いているような気分がした。




笑える形だ。
石垣のモンスターは花咲く直前だ。
なんだかアラレちゃんに出てくるキャラのようで可笑しい。
なんで頭から花が突き出す?
但し、これはサボテン、多肉植物界の常識ではある。
こういうものなのだ。
こやつの花はバンっと咲いて、一日で終わり。
何とも潔い。
なのでこの次見に来たときはもう花は終わっているだろう。
残念だが見張っているわけにも行かない。
ご近所ではあるが、そんなことしたら通報されていい訳に困る。


   

花の姿はこのサボ地蔵さん達に見届けてもらうことにした。
モンスターが放つ一瞬の花火を見届けろ!

 嗚呼、ボタニカル!