現在日比谷図書館で美術展が開かれています。1階特別展示室に144点前期・後期で絵が入れ替わります。ルドゥーテという画家が描いたバラや植物の絵が展示されています。「花のラファエロ」「薔薇のレンブラント」などと呼ばれており、誰もが見たことのある有名な絵を書いた画家です。私のお気に入りで特にバラの絵が好きで複製を家じゅうに飾っています。特に色の淡さが好きです。他の植物や果物の絵は色がちょっと濃い目で、あまり好みではありませんが薔薇は淡くはかないところが良いです。同時にばらの絵が描かれたチエンバロのコンサートも開かれました。まず絵を見ていただきましょう。
誰もが一度は目にしているでしょう。この色合いが何とも。オールドローズの美しさをよくよく引き出しています。実際とはちょっと違いますが。こんなにぴんと立たないし上を向かないし1本ずつ独立しないし。枝が伸びないし…などなど現実とは違いがありますが。リアルなことは間違いないです。特にこのばらのようにたくさんの花びらがつぼのように咲いているものが良いですね。とげも多く葉は薄め。時代は革命前マリー・アントアネット(フランス王妃)と革命後ジョゼフィーヌ(ナポレオンの皇后)に仕えたという事です。両者とも薔薇好きな女性でばらとともに肖像画に描かれています。この二人に仕えたことで立派な本ができ後々に伝えられたのです。革命後も残りさらに発展を遂げたという事はラッキーとしか言いようがありません。オールドローズと呼ばれているのは薔薇が進化を遂げてきたからで長年にわたり交配、品種改良を続けてきたからです。もともとはこんなに大きくはなく春しか咲かず黄色はごく少なく量も多くなく、病気に弱く、赤は黒すみ、首が細く開くと下を向くといったバラの欠点を改良してきた結果なのです。

ばらは古代からあり、記録に残っているのはメソポタミアの歴史に登場しますが薔薇好きで有名なのは何と言っても古代ローマ人です。おもに香りが珍重され香油が作られました。イスラム圏での薔薇の栽培が盛んになりばら苑も作られていました。メッカでは宗教上薔薇水が大量に使われていました。ヨーロッパにも薔薇はありましたが種類も少なくイスラム圏の文化水中の高さから、はなくこの辺が中心となって栽培されていました。それが十字軍の遠征によりヨーロッパへもたらせて行きました。十字軍によってさまざまな文化が中東からヨーロッパへもたらされ薔薇もそのひとつだったのです。当時はヨーロッパより中東のほうが文化的に高かったという事です。時代を経てヨーロッパでもバラ栽培が盛んになり王朝文化とともにますます興隆を極めてゆきます。ベルサイユの暮しには欠かせない花となってゆきました。肖像画に登場するマリー・アントアネットは薔薇とともに描かれています。その後フランス革命ののちナポレオンの時代にも薔薇は愛され特にナポレオンの妻ジョゼフィーヌは自分の宮殿マルメゾンの庭に庭園を作りさまざまな種類の花を育てさせていました。特にバラやダリアがお好みだったようです。プラントハンターといい世界中から様々な植物がヨーロッパへともたらされます。ガーデニングの楽しみというより薬の原料を求めてという意味合いが強かったと思われます。日本からもいろいろと運ばれてゆきました。特にアジサイなど有名です。マルメゾンの薔薇を描いたのがルドゥーテだったのです。この宮殿にたくさん集められていたからこそさまざまな種類が描けたのです。我々は幸いなことに彼女たちが見ていたものよりはるかに立派なバラを見ているわけです。1867年HT(大輪の現代薔薇)が作られて以来完璧な形が作られ剣弁高芯といわれるとがった整った薔薇が完璧さを求めるように競って作られました。それと逆行するようにイギリスではいわゆるイングリッシュローズが作られるようになりました。アンティークと呼ばれる昔の彷彿とする花びらがとがらずくしゃっとして芯が見える剣弁高芯とは真逆の薔薇が好まれるようになっていきましたがコンテストの中心はやはり完璧な剣弁高芯でしょうか。

日本では少ないですがヨーロッパで好まれる形がスタンダードといわれる下に葉のない背の高い上が広がった形の作りです。下の葉は全部取り去り幹だけにしその代り上部はなるべくこんもりと丸く整えられます。宮殿の庭などにコンテナ植えにされたり直植えされていましたがいかにも手がかかった風情は庭園にふさわしいといえます。私も購入して育てましたがうまくいきませんでした。やはり無理な不自然な形なので弱いのかもしれません。
今後もばらは発展を遂げていくでしょう。人類は今までにない青薔薇を目指しています。まだまだすっきりした明るい青にはなっていません。朝顔ヤデルフィーニュームのような美しい青いバラが登場する日も近いかもしれませんが、個人的には自然にさからってまでも欲しいとは思いません。ばらはバラ色。

誰もが一度は目にしているでしょう。この色合いが何とも。オールドローズの美しさをよくよく引き出しています。実際とはちょっと違いますが。こんなにぴんと立たないし上を向かないし1本ずつ独立しないし。枝が伸びないし…などなど現実とは違いがありますが。リアルなことは間違いないです。特にこのばらのようにたくさんの花びらがつぼのように咲いているものが良いですね。とげも多く葉は薄め。時代は革命前マリー・アントアネット(フランス王妃)と革命後ジョゼフィーヌ(ナポレオンの皇后)に仕えたという事です。両者とも薔薇好きな女性でばらとともに肖像画に描かれています。この二人に仕えたことで立派な本ができ後々に伝えられたのです。革命後も残りさらに発展を遂げたという事はラッキーとしか言いようがありません。オールドローズと呼ばれているのは薔薇が進化を遂げてきたからで長年にわたり交配、品種改良を続けてきたからです。もともとはこんなに大きくはなく春しか咲かず黄色はごく少なく量も多くなく、病気に弱く、赤は黒すみ、首が細く開くと下を向くといったバラの欠点を改良してきた結果なのです。

ばらは古代からあり、記録に残っているのはメソポタミアの歴史に登場しますが薔薇好きで有名なのは何と言っても古代ローマ人です。おもに香りが珍重され香油が作られました。イスラム圏での薔薇の栽培が盛んになりばら苑も作られていました。メッカでは宗教上薔薇水が大量に使われていました。ヨーロッパにも薔薇はありましたが種類も少なくイスラム圏の文化水中の高さから、はなくこの辺が中心となって栽培されていました。それが十字軍の遠征によりヨーロッパへもたらせて行きました。十字軍によってさまざまな文化が中東からヨーロッパへもたらされ薔薇もそのひとつだったのです。当時はヨーロッパより中東のほうが文化的に高かったという事です。時代を経てヨーロッパでもバラ栽培が盛んになり王朝文化とともにますます興隆を極めてゆきます。ベルサイユの暮しには欠かせない花となってゆきました。肖像画に登場するマリー・アントアネットは薔薇とともに描かれています。その後フランス革命ののちナポレオンの時代にも薔薇は愛され特にナポレオンの妻ジョゼフィーヌは自分の宮殿マルメゾンの庭に庭園を作りさまざまな種類の花を育てさせていました。特にバラやダリアがお好みだったようです。プラントハンターといい世界中から様々な植物がヨーロッパへともたらされます。ガーデニングの楽しみというより薬の原料を求めてという意味合いが強かったと思われます。日本からもいろいろと運ばれてゆきました。特にアジサイなど有名です。マルメゾンの薔薇を描いたのがルドゥーテだったのです。この宮殿にたくさん集められていたからこそさまざまな種類が描けたのです。我々は幸いなことに彼女たちが見ていたものよりはるかに立派なバラを見ているわけです。1867年HT(大輪の現代薔薇)が作られて以来完璧な形が作られ剣弁高芯といわれるとがった整った薔薇が完璧さを求めるように競って作られました。それと逆行するようにイギリスではいわゆるイングリッシュローズが作られるようになりました。アンティークと呼ばれる昔の彷彿とする花びらがとがらずくしゃっとして芯が見える剣弁高芯とは真逆の薔薇が好まれるようになっていきましたがコンテストの中心はやはり完璧な剣弁高芯でしょうか。

日本では少ないですがヨーロッパで好まれる形がスタンダードといわれる下に葉のない背の高い上が広がった形の作りです。下の葉は全部取り去り幹だけにしその代り上部はなるべくこんもりと丸く整えられます。宮殿の庭などにコンテナ植えにされたり直植えされていましたがいかにも手がかかった風情は庭園にふさわしいといえます。私も購入して育てましたがうまくいきませんでした。やはり無理な不自然な形なので弱いのかもしれません。
今後もばらは発展を遂げていくでしょう。人類は今までにない青薔薇を目指しています。まだまだすっきりした明るい青にはなっていません。朝顔ヤデルフィーニュームのような美しい青いバラが登場する日も近いかもしれませんが、個人的には自然にさからってまでも欲しいとは思いません。ばらはバラ色。