「怠惰」の定義のために

2006-09-09 12:59:17 | 怠惰の定義
犯罪の根っこは、「自立」「怠惰」「高慢」・・・なのかもしれないと書いてきました。
「自立」の次は「怠惰」
怠け者だから自立できない、高慢は精神的自立に矛盾する・・・という関係がありそうな気がするので、それぞれ独立した概念ではなく、関連する。

―怠惰の議論(8/18)―において、「怠惰を批判する」という思考から、「善なる目標設定を促す」・・・と書きました。
怠けの事例を出して犯罪の根源の論点とする立場で考えるのでなく、怠けるのは目標がないからという立場で、その善なる目標設定を促す社会環境を考えるということ。

何をしたいのか、何をなすべきなのか・・・という目標・・・。
中学、高校、大学生に聞いても、その親に聞いても、「目標を探すために勉強している」とお答えになる方がおられます。

ん~???ちょっとだけ・・言葉を足しましょうか・・・

「自立することが目標で、自立の方法を勉強しています」

シンプルでいいかも・・・でしょ?
そして、今見聞き体験することは、どんなことも自立に役立つことばかり・・・という前向き思考に。(怠け批判する必要がない)

少なくとも・・・「目標はまだない」と答えるよりマシかも、また、目標が見つからない、将来が不安だなどという発想にも繋がらない気がしますけど。

「怠惰」「怠け」を解決する目標設定について、さらに・・・、
一人ひとり話を聞いて、適性判断して、進路を指導する、という社会システムに慣れてしまうが故に、期待と異なると、その社会システム(学校教育や家庭教育、職場環境など)を批判してしまう。受身の目標であることに気が付かなくなる。

「自立することが目標で、自立の方法を勉強しています」
「親の役割は、親の愛情は・・・子を自立させることだわ・・・それが家族の幸せ、それが家族の目標よ」

個々の怠けを制約するより、善なる目標設定で行為規範を促す・・・ね!

障害がひとつ・・・
目標があっても、継続できないという怠けで劣等感に陥る・・・。
「継続」は、克己心や忍耐がイメージされ、やっぱり失望するのですが、
継続は、誰もが「獲得できる天才」「生まれた後に身につけることができる天才」
トレーニングプログラムは、探せばいくつもあるものです。

学校の教科に、
「自立教育」と「継続教育」・・・・・独立科目で・・・どう?


「怠惰」の議論2

2006-08-20 14:16:54 | 怠惰の定義
犯罪の心理をさかのぼると・・・、人にはあって当たり前の「怠惰」が根っこかもしれない。そして、「怠惰」は批判することで制御するのでなく、善なる目標設定を推奨することで、意識しないで怠惰は制御されるかもしれないとも書きました。
今日は、この流れの論点に、さらに追加してみます。(まぁ、しつこい!)

「高慢」とこれが生み出す「偏見」

優越感情と劣等感情の関係解釈ということ、かもしれません
個の力は、体力、知力。それらを活用して収得・蓄積される財力。
単純にこの3つで話を始めます。これらの力は、個々で差があるものなので、区別や差別が必然です。相対的に勝るものは高慢になりがちです。体力や財力に劣る場合でも、知力で高慢になる場合も。
「高慢」になることは相手を見下す、馬鹿にするということ。相手を見下すことで優越感情になろうとする、見下された方は恨みを醸成させ犯罪の起因となる。
あるいは、見下されまいという意識が生み出す嘘、弁解や責任回避・・見栄・虚勢が心理にある犯罪動機。
・・・こんなような関係解釈かな。

ここで-犯罪防止のための「愛」の定義2-で述べた「物事全て〇X△」で考える。
「物事の価値は、己の〇X△をあるがままに認識して、Xや△を〇にしようとする姿勢が〇だということの理解」
すなわち、力を得ようと努力する行為が〇なのであって、また、力がないことの恨みや妬み、他者批判、責任転嫁などがXなのであって、力のない事がXなのではない。逆に力のあるモノのそれによる「高慢」「偏見」はXであること。

「相互理解」「尊敬」「平和」「平等」「公正」などが、反意語かな・・・

これも、犯罪防止の論点の一つではなかろうかと・・・


「怠惰」の議論

2006-08-18 10:15:46 | 怠惰の定義
犯罪の根源は、「怠惰」なのかもしれないと書いてきました。
しかし、実は根源ではないかもしれない。
もう少し私のしつこさにお付き合い願います。

「怠惰」「怠け」は、人の評価なのか、自分自身の評価なのか?・・・さらには、社会の評価なのか?

身近な人に「怠け者」と思われたくない:親兄弟親族友人や特定のあの人には・・
憲法に勤労の義務があるように、社会制度そのものの監視。
これらは、「してはならない」という制約を課すことですよね・・・。

人は、あって当たり前のものとして「怠け」を持っている、という理解の下では、「してはならない」というものはストレスとなる・・よね。また、制約や規制は違反者が出て当たり前ということも。

ここで、結論。
「怠け」は、他人と比較しない自分自身の評価・満足。
怠け者ではない真実の評価は自分自身。
ここで発想を逆にして・・・目標がある人は怠けを意識しない充実の時間を過ごす・・・と思うことにする。

「善なる目標に向かうプロセスは、外観(事の大小、遅い早い、出来の良し悪し等)に個人差があっても誠実・勤勉である」という認識を普及させるのはいかがでしょう。
社会の役割は、善なる目標の選択肢や、成功事例の紹介などとなるのかな。

目的達成や善なるものの普及は、前向き思考で行う・・・・
「犯罪防止は制約と同時に、逆の概念(前向き思考)の強調で行う」

犯罪の根源の議論は、
「怠惰を批判する」という思考から、「善なる目標設定を促す」・・・
ん~・・・どうかな