犯罪の根っこは、「自立」「怠惰」「高慢」・・・なのかもしれないと書いてきました。
「自立」の次は「怠惰」
怠け者だから自立できない、高慢は精神的自立に矛盾する・・・という関係がありそうな気がするので、それぞれ独立した概念ではなく、関連する。
―怠惰の議論(8/18)―において、「怠惰を批判する」という思考から、「善なる目標設定を促す」・・・と書きました。
怠けの事例を出して犯罪の根源の論点とする立場で考えるのでなく、怠けるのは目標がないからという立場で、その善なる目標設定を促す社会環境を考えるということ。
何をしたいのか、何をなすべきなのか・・・という目標・・・。
中学、高校、大学生に聞いても、その親に聞いても、「目標を探すために勉強している」とお答えになる方がおられます。
ん~???ちょっとだけ・・言葉を足しましょうか・・・
「自立することが目標で、自立の方法を勉強しています」
シンプルでいいかも・・・でしょ?
そして、今見聞き体験することは、どんなことも自立に役立つことばかり・・・という前向き思考に。(怠け批判する必要がない)
少なくとも・・・「目標はまだない」と答えるよりマシかも、また、目標が見つからない、将来が不安だなどという発想にも繋がらない気がしますけど。
「怠惰」「怠け」を解決する目標設定について、さらに・・・、
一人ひとり話を聞いて、適性判断して、進路を指導する、という社会システムに慣れてしまうが故に、期待と異なると、その社会システム(学校教育や家庭教育、職場環境など)を批判してしまう。受身の目標であることに気が付かなくなる。
「自立することが目標で、自立の方法を勉強しています」
「親の役割は、親の愛情は・・・子を自立させることだわ・・・それが家族の幸せ、それが家族の目標よ」
個々の怠けを制約するより、善なる目標設定で行為規範を促す・・・ね!
障害がひとつ・・・
目標があっても、継続できないという怠けで劣等感に陥る・・・。
「継続」は、克己心や忍耐がイメージされ、やっぱり失望するのですが、
継続は、誰もが「獲得できる天才」「生まれた後に身につけることができる天才」
トレーニングプログラムは、探せばいくつもあるものです。
学校の教科に、
「自立教育」と「継続教育」・・・・・独立科目で・・・どう?
「自立」の次は「怠惰」
怠け者だから自立できない、高慢は精神的自立に矛盾する・・・という関係がありそうな気がするので、それぞれ独立した概念ではなく、関連する。
―怠惰の議論(8/18)―において、「怠惰を批判する」という思考から、「善なる目標設定を促す」・・・と書きました。
怠けの事例を出して犯罪の根源の論点とする立場で考えるのでなく、怠けるのは目標がないからという立場で、その善なる目標設定を促す社会環境を考えるということ。
何をしたいのか、何をなすべきなのか・・・という目標・・・。
中学、高校、大学生に聞いても、その親に聞いても、「目標を探すために勉強している」とお答えになる方がおられます。
ん~???ちょっとだけ・・言葉を足しましょうか・・・
「自立することが目標で、自立の方法を勉強しています」
シンプルでいいかも・・・でしょ?
そして、今見聞き体験することは、どんなことも自立に役立つことばかり・・・という前向き思考に。(怠け批判する必要がない)
少なくとも・・・「目標はまだない」と答えるよりマシかも、また、目標が見つからない、将来が不安だなどという発想にも繋がらない気がしますけど。
「怠惰」「怠け」を解決する目標設定について、さらに・・・、
一人ひとり話を聞いて、適性判断して、進路を指導する、という社会システムに慣れてしまうが故に、期待と異なると、その社会システム(学校教育や家庭教育、職場環境など)を批判してしまう。受身の目標であることに気が付かなくなる。
「自立することが目標で、自立の方法を勉強しています」
「親の役割は、親の愛情は・・・子を自立させることだわ・・・それが家族の幸せ、それが家族の目標よ」
個々の怠けを制約するより、善なる目標設定で行為規範を促す・・・ね!
障害がひとつ・・・
目標があっても、継続できないという怠けで劣等感に陥る・・・。
「継続」は、克己心や忍耐がイメージされ、やっぱり失望するのですが、
継続は、誰もが「獲得できる天才」「生まれた後に身につけることができる天才」
トレーニングプログラムは、探せばいくつもあるものです。
学校の教科に、
「自立教育」と「継続教育」・・・・・独立科目で・・・どう?