五蘊の空論

2012-04-19 21:23:53 | 般若心経考
空論は空(くう)の論とでも言うつもりでしたが、ひねらないでそのまま五蘊が空論かどうかという思考をしてみましょう。


五蘊(色、受、想、行、識)
人を五つに分解できるという解釈ですね。
色は肉体あるいは物質ですが、人の肉体はどのようにしてできるか
精子と卵子が出会って生命が誕生するのですが、その精子と卵子はどうやってできるのか、
動植物を食べて人の体はつくられる。それだけでなく水や空気や太陽光も必要です。動植物はどうしてできるのかというと、同じように栄養素の摂取のための食でその体を作る。その食はまた同じように・・・
空想は・・・
宇宙全体の物質の分子や原子のさらに細分化できるすべての物質が何かの原因があって結ばれて生物となり、これも食物連鎖などの原因があって、最終的に人の肉体になる。
宇宙全体の分子や原子が縁があって結ばれて人の食物となるあらゆる動植物、太陽光、水や空気などが人の体に分子や原子まで分解されて吸収される。
逆に人が死ぬと、火葬などで再び分子や原子レベルまで分解されて大気中や地中に「戻る」。

人の体を作るたんぱく質や脂肪に感情や思考機能はない、が、その集合体である肉体も精神とは別のものである。精神は(受、想、行、識)いう感覚機能とこれを感じて思ったり知識として蓄積する、つまり知識や認識といった機能。


この精神というものが、肉体の死によってどうなるのか。

これは実際に確認できないし、生きているものに死んだ人が確認して知らせることも、出来るのかどうかということについても、出来ないとしか言いようがないのである。

説明として
物質は諸行無常、絶えず変化して同一の物体はない。これを空という、つまり色(肉体や物体)は空なのである。般若心経は受想行識亦復如是(精神もまた同じ)と続けて空と説明する。

私見ですが
精神は霊界で莫妄想(まくもうぞう)という境地であり続ける。
・・・といいなと





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