自立

2006-08-31 12:50:28 | 自立の定義
ここまでに、このブログで、書きながら思いついたこと。
犯罪防止のためのいくつかのキーワードがあります。
「高慢」「怠惰」「自立」・・・
言葉は様々な解釈で一人歩きするもの・・・なので、それぞれの言葉の定義があるといいかも。

親子の犯罪・・・いや、「争い」としましょう。事件は多くの「争い」のいくつかが表面化したものと考えられますから。
それを改善するには、親と子に共通の目標認識があればと書いてきました。
「親と子は、子の自立を目標として行動する」という共通認識です。
親が尽くす最大の愛の行動は自立させること。
未成年の子の目標は親から自立する方法を学ぶこと。

小学生ぐらいからね。学校教育においても必要だわ。
教育の目的が明確でない先生もいらっしゃるように思うことがありますので、改めて教育の目的として再認識してもいいかも。
教育の目的は、古今東西似たものと思います・・・良い職業を得て、よい収入を得るため。貧しさからの脱出・・・。
(経済的に豊かになり過ぎた国では、働かなくても生きていける漠然とした感覚が生まれるのか、この意識が薄れてくるのでしょうね)
教育における、この初期の目的は、子の、いや生徒の「自立」のためであることは言うまでもありません。親子の目標と一緒です。もちろん当然ですが。

そうすると、家庭でも学校でも、「自立」の定義が必要です。単に経済的に自活ができる収入を得るということでなく、精神的な自立も。
しかして、その精神的自立とは?

昨日も書きましたが、改善策が表裏となった言葉「自立」
金銭を目的とした暴力、嫌がらせ・・・盗みや万引きは「自立」の反意。
いじめや脅し、恫喝などは精神的、情緒的未熟を示すもので、明らかに「自立」に対峙します。

そうした認識で「自立」を説明できる教師がいれば・・・
「いじめや暴力などの人権侵害の上に、人生は成り立たないの、手にするものは全て他人の犠牲の上にあるものだからよ。私たちの目標は自立よ!自立は人の犠牲の上にあったり、人に頼ることじゃないの!」

もっと、もっと、あるはずです。
「自立」を説明する言葉や表現・・・それが応用できる場面が。

「親が尽くす最大の愛の行動は子を自立させること」
子はいずれ、こんなことを言うのです・・・
「親から独立することこそ、親孝行だと信じている。精神的にも経済的にも」

・・・そう・・・「自立」は愛の言葉よね・・・・

言葉の定義に行き着くまでには、もう少しかかりそうです・・・

母親殺害事件(稚内)2

2006-08-30 17:42:13 | 時事報道放談
さて、続きです。
親が子に与えた抑圧感が原因で、子が親を殺害した、と犯罪心理の専門家が述べられたことから話を始めましょう。

子が親に対する事件は、殺害、放火などが最近の記憶にあります。
(もちろん、親が子に対して育児放棄、殺害もあります。)

抑圧感からの犯行という言葉の意味は、親という社会的立場の上位から威圧的な言動や暴力などが繰り返され、嫌悪感・恨み・憎しみなどが蓄積されて、復讐という犯行に及ぶということなのでしょうか。

・・・・この思考プロセスでは、親は子にご機嫌取りの接触や、子のわがままを聞いてやることで解決しようとする理解を醸成しかねません。
(立場や年齢関係なく、思いと異なることを強いられることを抑圧感とすれば、親が子に対してという逆もあるのに、という考えから抑圧感という言葉を一方的に使用すると、上記理解になりかねないと思った次第です。)

そうではなく、共通の目的がない、又はその意識が弱い・・・などのように「改善策」が表裏となった分析や解説を普及することで・・・何かが変るかもしれない。

たとえば、
親子の共通の目的を「自立」とします。(これには異論は少なそうな気がします)
「犯罪防止のための愛の定義1(8/11)」において、動植物全ての世界では、親は子の自立を目的として行動する存在であり、親が尽くす最大の愛の行動-自立させること。と、書きました。

「自立」という共通目的を持っていることを前提に親子の関係があるべきなのではなかろうか。
親と子の行動は将来の「子の自立」を目的として、親子両者で方向付けられる。
親はそのための準備、手続き、作業をするだけでなく、子の適合性を高める指導をします。家庭でのお手伝い、食事、旅行・・・生活のすべて、時には大声で叱る、体罰・・・必要であるときがあるかもしれません。
逆にその目的に外れる親が子に対する自己中心的行動は律っせられるようになるかもしれません。
子はその目的のために学び問いかける・・・目的が自分の自立であることの認識で親を理解しようとするかもしれません。
両者にとって、それが共通の目的のためであることが理解されている、又は将来理解される。
こうした認識を、共通の言葉をもって普及すれば・・・

親子、両者に共通認識「子の自立が目的」があれば、それに基づく両者の行動や言動があれば、親子の犯罪のいくつかは、起こらなくてすむかもしれない・・・
そんな気がします・・・・・

始めに「たとえば」と書きましたように、これは一つの例です。他にも種々の考えはあって当たり前だから。それが聞きたいし、学びたい・・・

ご冥福を祈ります 合掌・・・

母親殺害事件(稚内)

2006-08-30 11:16:23 | 時事報道放談
毎日の事件報道をネタにしたものは、読む人に分かり易さがあるからカキコミのようなものは多いかもしれません。その仲間入りをしてみましょう。

新聞には、決まって著名人、心理学者やら大学教授のような方のコメントが掲載されます。日経の朝刊に「強い抑圧感蓄積」「自由に話せる親子関係でなく」「過度な期待」「苦しめる存在」「異常な行動」「実感のないゲーム」「弱さを感じる」
「怖くて心細いから友人に依頼して殺害」「自分でできない心理的な弱さ」・・・

・・・な~んだかねぇ、否定語オンパレードで・・・先生方、取材記者の方といっしょにゲーム感覚で観察していませんか?

心理学者であれば、そのコメントや言葉が新聞に掲載されて、それが読者にどのような心理的影響を与えるのか・・ということを考えた言葉を使っているはず・・・だよね。

親子関係にストレスを持つ人は多いはずです。その人たちは次のように印象転化(私の造語)するかもしれません。
「親子関係は抑圧感なもの」「親の期待は子の主観で否定するもの」「親は子を苦しめる存在」、あげくは・・・「強い子は自分でやるもんだ」・・・

先生方曰く・・:マスコミという情報操作が可能な場所では、客観的な見解を述べることに優先順位がある。

であれば、主観的と思われないような表現を優先してくださいませんか。

・・・・私が何を言いたいのか・・・どうすればいいと言っているの?

事件の当事者の心理分析を行う場合には、他にも心理分析しなければならないことがある・・・かもしれないことへの慮りです。
読者と、その前に取材記者という肯定語より否定語を好む職業病の方の心理・・・(あっ!スポーツ記事は肯定語が多いわよ)

最近の親子の傷害や殺人、放火などの事件の背景には、ストレス(抑圧感)があるのでしょう。しかし、そのストレスは親と子、両者にあるのであって、立場的に弱いと見られがちな子のストレスだけを取り上げて表現すると、意図しない方向の理解を生み出すかもしれません。また、この事件報道で、多くの読者で、親の理解と子の理解が異なる可能性も考えなければならない。
最近の他の事件で、親のスパルタ教育のような指導で子が放火、家族の死亡事件ありましたね。父親は厳しすぎた指導を反省し親子の関係改善をはかる・・みたいな結末かな。学業成績に関して親子は対立する関係であるかのような理解もありうるわけで・・・これだって、違う観点があるかもしれませんわ。

続きあるけど・・・
1000文字超えたので、ここまでにしよ。




事件報道(福岡)2

2006-08-29 14:23:05 | 時事報道放談
飲酒運転に限らず、事故対応方法と刑罰の規定を自動車学校の教科カリキュラムの必須条件とする。「事故は起こしてはならない」は教えなくても理解できない奴はいない。問題は事故後対応の方法を教えていないこと。繰り返しのため、これを書き出しとします。

さて、「飲酒」をちょっと掘り下げましょう。
この社会には、飲酒については本音と建前のような「嘘」があるように思うからです。私は下戸ですが、酒とその〇X△は理解しているつもりです。
しかし、法や制度というか習慣のようなものには二面性があります。
車の運転において飲酒(禁止薬物も同じ)は問答無用の罪悪です。その通りでしょう。
では、飲酒による暴行、傷害、致死事件などはどうでしょう?
弁護士曰く・・・「犯行当時は被告は正常な判断能力が低下していた」と、減刑の口実となることがないでしょうか。(そんなことはないとは思いたいけど・・・)
交通事故と同じく、シラフよりも罪を重くすることが正常でなかろうか。
それを理由として減刑するならば、犯罪の実行前に酒を飲みましょう。と言っているに近いから・・・
飲酒傷害、飲酒傷害致死、飲酒・・・

同じ飲酒状態の行為で、一方は罪が重く、他方は軽い・・・

どうでもいいことかもしれないけど、地域によっては、飲酒の習慣の受け入れられ方に差があることを、たぶん多くの人は承知しているはずです。
(今でも四国や九州地方に転勤する場合、営業であれば、酒を飲めることが選定条件となることを考える企業等があるように思います。)
それを、明日から習慣を変えるということはできないかもしれない・・・と考えた施策等は、・・・何かないかしらね?地域の飲食業者さんにも影響が軽微な。


と、まぁ、そんな議論の方が役に立つかもね。禁止規定の羅列で責任回避より。


事件報道(福岡)

2006-08-29 10:10:10 | 時事報道放談
2・3日休暇で、久しぶりに東京駅から何時間も離れてリフレッシュしました。
不幸な事件には休暇はないのね・・・

福岡の公務員さんが飲酒運転による衝突、ひき逃げ、幼い子が3人死亡・・・福岡市は今後、職員の飲酒運転を免職と・・。そんな事件。

ん~~・・・ん!
飲酒じゃなくて、速度違反、わき見運転、前方不注意、運転中の携帯電話・・他にもいろいろ・・・どれも被害者には結果は同じだよ!
要するに交通事故は全て、「やってはならないと言っただろ!」という、お役所的な責任回避ルールかな。
交通違反=免職・・の結果→「ばれたらヤバイ!のひき逃げ事件の増加」ということが、容易に想像できるわけで・・・
(昨日、どこかの報道番組でもひき逃げ事件の増加の数字を出していましたね。)

―防犯論議2(8/6)―で、こんなことを書きました。
交通事故は避けられないもの。自動車学校で事故発生後の対応の仕方を教える。
初めにどう行動するのか、人命救助の方法やどこに連絡するのか。
それを行った場合としなかった場合の処罰の明確化。たとえ飲酒運転の人身事故であろうが、人命救助できれば処罰は軽微。多くのひき逃げ犯人の言い訳は、怖くなった、動揺して逃げた・・・嘘つくなよ!飲酒運転がばれると困るから逃げるほうを先に考えた。会社や家族に知れる・・・だから逃げる。
速やかな通報と人命救助行動を推奨する制度・・・当たり前のことを法制度化する。

まぁ、しかし、今回の事件は、人命救助しようにも、本人が泥酔状態らしいのですが・・・そんなことはない!自分の身の危険には冷静に逃げる判断ができています。

<たぶん正解は・・・>
速やかに救急車・レスキューに連絡して、事後対応する。
事件の善悪は、適切な事後対応ができたかどうかが、最優先事項!
責任は勤務先の役所を辞めることでなく、(収入の手段がなくなれ賠償能力もなくなる)いかなる形であれ損害賠償を行うこと(お詫びは言葉でなく行動で)。

さて、問題はもう一つありそう・・・
福岡市がそのような規則にしました。・・・ということで、他の市は?県は?多くの民間企業は?・・・・・・マスコミ批判報道の恐怖心からの拙速対応かも。

マイナスイオン

2006-08-29 09:23:17 | まろん
マイナスイオンをいっぱい浴びて・・・
涼を求めて・・・
涼しげな風景・・・
どのタイトルでもいいや!とにかく気持ちイー!
(富山県上市町・大岩不動尊)

「高慢」「偏見」の犯罪2

2006-08-24 14:36:54 | 高慢の定義
「高慢」を、もう少し角度を変えて・・・
「高慢」はどこにあるのか、周囲を見渡してみましょう。

・子が親の言うことを聞かない&親の忠告をうるさがる子・・という関係
・「誰のおかげで飯食ってると思ってんだ!」が正当と信じている夫婦関係
・飲食店等、公共施設等での自己中心的マナー違反
・不祥事やクレームは事後対応が重要であるにもかかわらず、「責任」の所在が重 要と信じるお役所とお役所的企業の責任回避行動
・言論の自由や報道の責務という名目
・・・・キリがないね・・・

何か・・・書き続けると、不平不満の体験の羅列になりかねないし、こうして並べることに意味はない気がしてきました。
しかし、生活する上での不平不満は、「高慢」を反省すればその環境改善できるかもしれないということの示唆にはなるかも。

「親は子の自立(経済的+精神的)について、子の成人まで責任があり、子は自立を目指して行動する責任がある。」・・・仮にですが、そのように親子関係を定義します。これを元に、親子の相互認識、及びその親子が係わる社会の認識を醸成していけば、自己中心的高慢が反省される・・・気がする。

家計を支える夫が、それを妻に対する優位と信じる高慢が、また逆に、稼得能力を責立てる妻からの精神的ストレスなどが、DVや精神的虐待、信頼破綻の原因である可能性があるならば・・「家計の収入は、夫婦両者の協力と責任で成る」・・・のような社会認識が足りないのかもしれない。

社会全体で、制度として認識の「間違い」であることを、事例を示して普及すれば改善されるかもしれない。個別事情で度合いに差がある「高慢」は個々の反省で改善するより、全体普及できるコンセンサスがあることがいいようにも思えます。

親子、夫婦という社会の最小構成単位から、犯罪の起源を議論していくというボトムアップ・アプローチは、自治体、警察等、学校、又は関連法体系・・・という体制普及(トップダウン)の議論と同時に・・・

こうした論点での、親子や夫婦のあり方・・・
まだ足りないわね・・・

「高慢」「偏見」の犯罪

2006-08-22 12:27:39 | 高慢の定義
―「怠惰」の議論2―で「高慢」「偏見」に触れました。
この論点は、古今東西で議論され興味深いものなので、また取り上げてみます。

「高慢」「偏見」が犯罪であるということでなく、犯罪動機の根っこだろうという理解です。

会話の場面で、相手の言葉に敬意がなければ、腹が立ち、相手の教養を疑います。
・・・さて、この場合、どちらが「高慢」なのでしょう?

これまでの私の論法では、
「人は、あって当たり前のものとして「怠け」を持っている」と考えることと同じく、人は、あって当たり前のものとして「高慢」を持っている・・・という考え方をします。また、これを批判することだけで軌道修正しようとすればストレスとなることも。

「高慢」という言葉の背景は、名誉欲と言えなくもない。であれば、あって当たり前・・・。前進・発展・向上の原動力となることもあるものです。
名誉が傷つけられることには、法的な規制もあります。
名誉を傷つけた相手の名誉を傷つける・・・互いに「高慢」な人は・・続きそう・
ん~・・・ん~っと、

!!まてよ、名誉は相対的な価値だよね!他者より上とか、他人に誉めてほしい。誉められる原因が善なるものであればそれは〇・・・だけど、それで「いい気」になること、「うぬぼれる」ことはX、という図になるのかな。

こうしましょう!
A自分自身の目標設定があり、自分自身の中での達成度・満足度の価値観
B他者からの尊敬・信頼という結果の評価による価値観
A:B=6:4
名誉とは、誉められるという他人の評価の比率より、自分の満足度の評価の比率が高い。名誉とは、そういうもの・・・と思うようにする。

この論点が、犯罪の防止に繋がるイメージはできますか。
相手の名誉を傷つける行為や言動は、自身の尊大さであることの反省。
誉められることの価値は、うぬぼれで消える。

このままでは深さも広さも不足した理解ですね・・・
もっと、もっと・・・でも、今日はここまで。





好きな番組

2006-08-21 11:42:48 | 時事報道放談
政治批判番組や事件報道には、種々の見解があることは分かりますが、「あるがまま」の客観報道とはいうものの、所詮は人を介しているので、主観報道になりかねないことも理解しています。(それも含めてあるがままだから)
報道内容からの人間観察だけでなく、司会者や出演者の感情の起伏が見える言葉からも人間観察しているはずなのです。正義感も誠実さも良心も自己保身も嘘も欺瞞も見せている。だから・・・おもしろい!

自然や動植物、人間をテーマにした番組の多いことには嬉しいと思う以上に、制作者の知力と感性に驚くばかりです。文章にすれば膨大な内容も、映像は分単位の時間で伝えることができる・・・そのことにも感動しますね。ちょっとジジ臭い感想かな・・・

料理番組、グルメ番組の社会的影響力は言うまでもありませんが、制作に費やされるエネルギーには目を細めるばかりです。ここでは書ききれません。

近年のことですが、サラリーマンを辞めて海外も見て歩く時間ができました。
本屋さんにある情報、ネット上にある情報、テレビの情報が充実していなければ、旅の楽しさはないかもしれない。地理だけでなく歴史文化・芸術・・・そういう番組が多いことは、水や空気のような当たり前になっているのかもしれませんが、ない事を想像すると、嬉しい限り。ない国が多いだろうことを想像すると余計に感じます。

中国や韓国の文化・芸術・芸能等を好意的に伝える番組が多くなっていることにも嬉しくなる。他方では「反日」をテーマとする番組や映画が「反日ビジネス」としてお盛んだそうで・・・それを批判するのではありません。そういう風潮事態を「反日ビジネス」という言葉で、一種の・・・「客観視」しはじめたことに、ふぅ~ん、と思っています。

対抗して、過去の歴史の功罪を暴き合うような発想のものが、日本では目に付かないことを、何か・・・日本人として・・・嬉しいような、誇りみたいな・・・

海外で日本のアニメが好きな人多いように、日本ではチャングムが好きな人は多い・・・

「怠惰」の議論2

2006-08-20 14:16:54 | 怠惰の定義
犯罪の心理をさかのぼると・・・、人にはあって当たり前の「怠惰」が根っこかもしれない。そして、「怠惰」は批判することで制御するのでなく、善なる目標設定を推奨することで、意識しないで怠惰は制御されるかもしれないとも書きました。
今日は、この流れの論点に、さらに追加してみます。(まぁ、しつこい!)

「高慢」とこれが生み出す「偏見」

優越感情と劣等感情の関係解釈ということ、かもしれません
個の力は、体力、知力。それらを活用して収得・蓄積される財力。
単純にこの3つで話を始めます。これらの力は、個々で差があるものなので、区別や差別が必然です。相対的に勝るものは高慢になりがちです。体力や財力に劣る場合でも、知力で高慢になる場合も。
「高慢」になることは相手を見下す、馬鹿にするということ。相手を見下すことで優越感情になろうとする、見下された方は恨みを醸成させ犯罪の起因となる。
あるいは、見下されまいという意識が生み出す嘘、弁解や責任回避・・見栄・虚勢が心理にある犯罪動機。
・・・こんなような関係解釈かな。

ここで-犯罪防止のための「愛」の定義2-で述べた「物事全て〇X△」で考える。
「物事の価値は、己の〇X△をあるがままに認識して、Xや△を〇にしようとする姿勢が〇だということの理解」
すなわち、力を得ようと努力する行為が〇なのであって、また、力がないことの恨みや妬み、他者批判、責任転嫁などがXなのであって、力のない事がXなのではない。逆に力のあるモノのそれによる「高慢」「偏見」はXであること。

「相互理解」「尊敬」「平和」「平等」「公正」などが、反意語かな・・・

これも、犯罪防止の論点の一つではなかろうかと・・・


事件報道と自首の刑罰減軽

2006-08-18 17:27:22 | 時事報道放談
こんな考え方・・・ありかな?

詐欺・窃盗や放火、ひき逃げ、暴行等の場合の犯人逮捕は
・現行犯逮捕
・捜査機関の捜査による逮捕
・自首
このうちのどれかのはずですよね。

自首は罪が軽減される・・・
―刑法第42条(自首等)罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したときは、その刑を減軽することができる―
捜査機関に発覚前と後では違うと読めます。軽減は任意的らしいですね。

以上を予備知識に考えましょう。

時代劇で遠山の金さん、「江戸市中引き回しの上、磔・獄門!」なんてね。
ここでいう「市中引き回しの刑」、現代はそういうのはあるのでしょうか。
あります。新聞やテレビです。
今でもどこかの国であるかもしれない刑:トラックの荷台に罪状を示して刑場までさらし者にする刑。トラックの荷台に乗せなくても、毎日写真やビデオで報道・・・あれは!・・・本人にとっては、さらし刑・・・本人のみならず家族や勤め先も。

法律では、罪状に応じて刑罰があり、刑期を過ぎれば社会復帰できる。
しかし、報道のさらし刑は罪状に関係なく行われ、特にこの刑は、刑期を終えて社会復帰しようにも、それを困難にする。報道のされ方によっては、一生涯、社会から隔絶せざるを得ないかも。

これに対して「報道の方」が幼稚に報道の自由などと弁解するならば、報道されない事件の容疑者との公平を如何にするか。報道から受ける印象の違いをどう説明するのか、報道の時間的な長短をどうするか・・・議論の果てに結局、視聴率が取れそうな事件報道は主観的に長くしつこい、しかも報道の責任でなく視聴者のニーズであるとなる。

これじゃ、だめ!
「報道のさらし刑」論議と「自首と刑罰の減軽」と合体させましょう。

―自首した者は、刑罰の軽減と合わせて、全てのメディアが個人が特定できる写真・住所・勤務先などの情報の報道をすることを差止め請求することができる―

自分もマスコミにさらされることを嫌がる親兄弟・友人も、それだったら自首を勧めやすいかも。

あ~っ!どうしよう!悪いことしちゃった!・・(逮捕されたら、親の家にもマスコミが押しかけて、妻は、子供は何て・・・もう・・・何もかもめちゃくちゃだよ!終わりだよ!)・・・・・・自首すればやり直しできるよ、あんた!

もっと複雑な問題なんだろうけど、こういう視点で議論をはじめても・・・。

「怠惰」の議論

2006-08-18 10:15:46 | 怠惰の定義
犯罪の根源は、「怠惰」なのかもしれないと書いてきました。
しかし、実は根源ではないかもしれない。
もう少し私のしつこさにお付き合い願います。

「怠惰」「怠け」は、人の評価なのか、自分自身の評価なのか?・・・さらには、社会の評価なのか?

身近な人に「怠け者」と思われたくない:親兄弟親族友人や特定のあの人には・・
憲法に勤労の義務があるように、社会制度そのものの監視。
これらは、「してはならない」という制約を課すことですよね・・・。

人は、あって当たり前のものとして「怠け」を持っている、という理解の下では、「してはならない」というものはストレスとなる・・よね。また、制約や規制は違反者が出て当たり前ということも。

ここで、結論。
「怠け」は、他人と比較しない自分自身の評価・満足。
怠け者ではない真実の評価は自分自身。
ここで発想を逆にして・・・目標がある人は怠けを意識しない充実の時間を過ごす・・・と思うことにする。

「善なる目標に向かうプロセスは、外観(事の大小、遅い早い、出来の良し悪し等)に個人差があっても誠実・勤勉である」という認識を普及させるのはいかがでしょう。
社会の役割は、善なる目標の選択肢や、成功事例の紹介などとなるのかな。

目的達成や善なるものの普及は、前向き思考で行う・・・・
「犯罪防止は制約と同時に、逆の概念(前向き思考)の強調で行う」

犯罪の根源の議論は、
「怠惰を批判する」という思考から、「善なる目標設定を促す」・・・
ん~・・・どうかな