goo blog サービス終了のお知らせ 

コメントとTBに感謝

2007-01-31 10:06:13 | お知らせ
ブログは、時事ネタのタイトルで書くとアクセス数が伸びます。
時事ネタを通じて人間観察していますが、いただくコメントやTBでも観察できます。(意図的に時事ネタを書くことはしませんが)

さて、このブログの主旨は「私見アウフヘーベン」にある市民社会のアウフヘーベンの観察(すなわち「人の心」かも)かもしれないと、思うようになってきました。

ビジネスを意図するようなコメントやTBは削除させていただきますが、それ以外はそのまま掲示しておきます。異なる立場と見解を尊重します。
ただし、正誤判定することも、何かしらの判断を始めに念頭することはしません。あるがままに客観することから始める態度だからです。


ただし、一つの記事は1000文字前後なので、長くて読みにくいかもしれません。強調など文章修飾もしません。どうかご容赦ください。
また、流しで書いていますので十分な推敲をしていません。誤字や文法の誤り、論理矛盾もあるかもしれません。これもご容赦ください。

ブログのコメントという形でも、コミュニケーションの感触はありますので、コメントいただけることに感謝しています。

なので・・どうぞお気軽にコメントをお寄せください。歓迎します。

厚労大臣の機械発言

2007-01-30 11:57:12 | 時事報道放談
どういう報道態度なのでしょうか?

生産現場においては、市場が供給不足になれば、生産機械を増やすか、生産する機械の稼動を上げて増産される。
そういうイメージのもとの発言であろうことは、容易に想像できるのですが・・・

惜しむらくは、その後の言葉が足りない。
生産機械は導入すればすぐ生産できるけど、人はそういうわけにはいかない。出産年齢を考えると、普通には20年以上かかるわけです。ですから、近視眼的には現状での出産年齢の人に頼るしかないのです。

そのように、厚労大臣の言葉の真意に解釈の余地があると考えられます。


テレビにご出演の人々は例外なく、誰一人「寛容な解釈」をする人がいません。
・・・不思議な現象です・・・いや・・・異常です。

テレビの出演者は全員、報道されたことの主旨に迎合するばかりで、まるで、その記事を配信した権威のような人か組織か会社・・・にさからうことが出演機会を失うことになるなどの心理があって、中立的思考を放棄しているように外見できる。

政治家は、メディアのバッシングを気にした発言ばかりするようになりました。
政策の内容の良し悪しでなく、政党批判の道具にしています。

テレビや新聞でどのように報道されるのかということは、情報化社会の今日では、何をするにつけても大変重要なことではありますが、客観的判断は、正しいのか間違っているのかという双方の判断の論拠を並べることが基本のように思います。


こうした報道のあり方が、市民社会に何を与えるのか・・・
人権侵害の事実はないと思いますが、正しい表現でないとも言えるこの事件。
多くの人々は、会話の中で何気ない相手の説明不足や誤解に気付き、その場に応じた応対をします。
多くの場合は、寛容に解釈して、対人関係をコントロールしようとします。
逆に、以前から嫌いだと思う人の失言には寛容にはなりません。

子供たちは友人との会話において同様なことを体験します。
恋人たちも、夫婦も、親子も・・・
ビジネスの場面での対人関係も・・・

今回の一連の報道については、
ちょっとした、相手の言葉の一つ一つに嫌悪して、攻撃して・・・市民社会はそういう態度を学ぶかもしれない・・・に違いない!

それは相手の過ちを是正するという大義に衣を借りた、相手を打ち負かせたいという高慢である場合があることも・・・気付かせなくなる。

さらには、中立判断を放棄して、何かしらの権威に迎合することを学ぶかも。
そして、中立意見さえも反論者として左派とか反動分子とか呼びだすようになる

科学技術や情報・文明が発達しても・・・プロパガンダの歴史は繰り返し・・・

教育的インフラのコスト評価2

2007-01-29 12:24:28 | 私見アウフヘーベン
企業財務においては、投資に対する利益を様々な方法で計測しながら経営されます。
しかるに、公共投資における投資収益の計測が、行われている話は聞きません。
利益を追求していないから、あるわけがない・・・
私が知らないだけかもしれない・・・
という懸念を抱きながらもメモしておきます。

資本を投入して収益事業を行う企業活動と、資本を投入して公共サービスを提供する公共投資の違いを修正すれば、投下した資本に対するリターンを計測できる・・・はずである。

ちなみに、企業の場合、「資本コスト」という概念で評価されます。
一般的かどうかという議論以前に、少なくとも上場企業であれば当然と考えています。公共投資であれば、言わずもがな、という意味でも・・・

昨日の記事に書きましたが、例えば教育的公共投資である美術館・博物館・図書館などの公共投資を、企業の財務戦略である資本コストの概念・・・のように測定できないものでしょうか、という思考です。

主に株価の理論値を計測するための理論ではありますが、個別の公共投資における株価に該当するものを何とするのか・・・全国の同種建築物の相対評価です。

市場リスクの位置づけを如何にするのか・・・土地と建物に資産が分離するはずなので、土地の評価に摘要できる。

机上では、様々なアイデアがでてきますが、実際には過去の建築費用や運営費などの記録が、全国統一基準で保存されているかどうかという問題に直面するはずです。・・・・政治の指揮があればできるはず。

要するに、市民社会は自ら作った社会制度に対して、皮肉にもその社会制度の情報公開を求めるものであって、その情報は価値評価の基準があって比較検討できるものでなければ、公開されても意味が薄く、加工分析に時間がかかるだけということになる。

言い換えると、社会資本の投資意思決定に至るプロセスが、全国統一的計算式で数値化できるはず・・・ということです。

企業の投資意思決定には、NPVやIRR、経営管理に用いるEVAなど、多くの経営指標があるのですが、そのさまざまな手法において、資本コストは重要な意味を持っています。

例えば・・・
加重平均資本コスト
=(自己資本÷総資本×自己資本コスト)+(他人資本÷総資本×他人資本)×(1-税率)
=源泉別資本コスト総額÷総資本額×100

純現在価値(NPV)
=フリーキヤッシュフローの現在価値総額
=事業からのキャッシュフロー-投資へのキャッシュフロー
=キャッシュインフロー-キャッシュアウトフロー
=営業利益×(1-税率)+減価償却費-運転資金-設備投資

適当に並べただけですが・・・・理論株価の算出のためのCAPMなんかも、加工応用すれば、公共投資にも使えそうな概念です。それだけでなく・・・

・CAPMの資本コスト
・CAPM以外の資本コスト
・事業別資本コスト
・ピュアプレイアプローチの資本コスト
・重回帰分析アプローチの株主資本コスト

今日は、自分自身のメモなので、計算式や内容は可変的です。
いつか、市民社会の社会資本学のような学問ができれば、数値で合理的に説明できる公共投資ができるかも・・・と思っています。

えっ!お前に出来るかって・・・ん~できるかも、データさえあればね

教育的インフラのコスト評価

2007-01-28 14:04:54 | 私見アウフヘーベン

タイトルは、既成の概念ではありません。

社会資本としての教育施設の経済合理性の計測について考えてみました。

財政破綻の地方自治体が、何故破綻するのかということを分析し、改善対策する思考の試み・・・の一つになるかもしれない。

社会資本(インフラ:infrastructure)の中で、そういう定義があるかどうかは承知しませんが、「教育的インフラ」であるところの施設・建物を考えて見ましょう。

教育的インフラは、地域に必要なものです。(ここでは学校は除きます)

美術館、博物館、図書館等に代表されるものです。

例えば、美術館は、建築費の年償却額と人件費なども含めた年間維持費用と、入館料収入を比べて、採算があるかどうか・・・だけで地方自治体がその建設を決定するわけではない。しかし、イメージとしても、財政問題としても赤字黒字の採算でその価値が議論されます。

・・・赤字・黒字だけで考えていれば、その種の施設はなくなるはずです。

そうすると、違う尺度が必要ですね・・・ということになる・・・

例えば、

人口100万人当りに、10億円の建築費の美術館があったとします。その美術館の維持費は年間2億円、入館料収入が1億円とします。仮に、建物は50年で償却するとすると、年あたり2千万円が費用に加算するものと考えます。

この算数では、年1.2億円の赤字になりますが、評価としては2.2億円を人口100万人で割ると、(220円/一人当たり)となります。入館料収入を差し引けば、、(120円/一人当たり)となります。

この二つの数字を、全都道府県で比較します。個別の施設の魅力度価値は入館料収入を引いた数値との差や率で比較できます。努力目標数値としても使用できるはずです。

考え方でしょうが、こうした教育的インフラは、地域市民に質の高い情報を提供している外見があります。つまり、市民はその情報が掲載された書籍を購入するに等しいと考えるわけです。その地域の住民はその美術に関する書籍を一人当たり220円で、購入していると考えるわけです。入館料は地域外の人も含めてのものですから、その美術館の魅力度バロメーターにもなるので、他府県の魅力度数値の比較から、どのような魅力が必要か、つまり何を作ればよいのかという参考に出来る。一番重要なことは人口一人当たりの教育的インフラのコスト比較から、その地方自治体において設備過剰であるのか必要であるのかという議論のときに、住民の立場(負担コスト)で数値検討できることである。

 

まぁ・・・そういうストーリーを考えてみましたが・・・

現実はもっと詳しい数値や項目の比較や、定量分析手法があるであろうことは承知で、一つの考え方の参考になるかもしれない・・・・・と、ちょっと思ったものですから・・・ちょっと書き留めておきます・・・どなたかの目に、ちょっとでも留まればいいかなとも・・・

 


天下りと天上り

2007-01-27 09:13:48 | 時事報道放談
公務員の天下り(あまくだり)・・・失礼な表現だねぇ
役所が天(てん)で、民間など役所以外に就職することを
下る(くだる)って言うんでしょ・・・
そういう言葉を使い続けて、何も思わない神経に・・・ため息ですわ・・・

ですが、一般的に普及している歴史ある言葉であるとすれば、まぁ・・・役人をからかう言葉でもありますし・・・はは


さて、一概に天下りを禁止することもなかろう、という判断もあるわけで、
能力主義の民間企業では、前職がどうであるかということの価値はそれほど高いものではありません。能力さえあれば・・・

その場合、能力主義の勤務内容・労働契約ではない組織と団体の雇用契約に是正措置が必要・・・という考えになる。
贈収賄や談合などを生むコネの人材としての機能は、そろそろ意味を持たなくなるでしょうし・・・今日の報道などで談合や贈収賄事件が露見するのは、情報化社会の一面でもありましょうから。

今日の記事の主旨は、そういうことでなく・・・

天下りの逆・・・天上り(あまのぼり)!・・・新しい言葉ね

学校の教員や校長に民間企業出身者
警察に、地方自治体の首長や、幹部職員に・・・
民間のコスト意識やマネジメント能力・・・だけでなく、
実業界の生活体験(労務管理、人事管理なども)、
問題解決や変化への対応力・・・
比較しても民間企業の人材の活用は検討できるはず・・・
テストケースとしてでなく、明確な制度としてね

市町村の議会議員の半分以上は、
民間企業の出身者や退職者から選挙するなどのルール

少なくとも、領収書の添付みたいなバカみたいに当たり前のことに、
言い訳する人はいませんよね。
残り半分は、役所の各専門分野の職種経験者から。
(議員選挙の主旨に、ヘッドハンティングのコンセプトを加えるということ)

地元の資産家が金で当選して、一族の家業の利益に誘導する政治は・・・
変らないのでなく、変えようとしていないとしか思えません。

地方政治に必要なのは、
地域全体(ヒトモノカネ)の過去現在未来が鳥瞰できる組織意見への収斂・・・と、思えます。(脈絡のない議案を、バラバラに審議すると、「合成の誤謬」という全体不調和の現象が起きるからです)

また、組織の肥大化は、セクショナリズムを生み、責任の所在を不明瞭にする
結果、問題解決の前に、責任回避の議論に時間が費やされ、
その速度が遅くなる傾向があります。

「天上り(あまのぼり)」・・・・やったらどう?
団塊の人材は、これから何年かは豊富らしいし・・・

規律意識とは

2007-01-26 12:09:01 | 私見アウフヘーベン
給食費を払わない
受信料を払わない
・・・

給食費未払いは、泥棒と同じ(無銭飲食・・・だわね)、
家庭教育の放棄という面もあります。
何故そのようなことが起きるのか
親の学歴や職業と勤務態度、その子の気持ちや学校での学習態度などを調査しなければならないように思います。
親の勤務先も関係してきます。泥棒を雇用しているのですから。

学校には、データの蓄積があるはずです。データの蓄積は大変重要です。
親との接触頻度と内容などもあって当然。
こういう事犯は繰り返され、広がるからです。
将来の防止措置がとれないからです。
対症療法的に、第三者に集金させるとか、チケット制にするとか・・・無駄なコストを払う羽目になります。

おそらく、未払い事犯についての統一的な処理方法がないか、あっても、紛争にならないための放置措置なども・・・ある可能性があります。

規範意識の希薄・欠如、及びその放置・傍観、さらにその対処に時間がかかりすぎることも、将来に禍根を残すでしょう。

大数の法則に従えるような数値と考えれば、
重罪に発展する可能性の規律意識欠如は2%以上と考えます。

10万人の給食費未払いは、法定代理人、親権者の数で言えばその倍の数。
2%の者は、この社会で規範意識がない・・・
実感はもっと多いのですが、その親の姿勢を見て育つ子の数、親族の数、友人の数を共犯とすれば。

道を歩いていて、どんな田舎でも、買い物に行けば100人以上の人とすれ違うのでしょうが、その中に、規範意識の欠如したバガボンド(無法者)が2・3人は必ずいる・・・と思いながら生活する。
そんな社会を想像できます。
それを自浄することに、時間と費用をかけなければならない社会ということにも失望を生むことも想像できます。


受信料は、法・制度の不備が指摘されていますので、ちょっと意味が違うかもしれません。
ペイテレビ(選択者だけが料金支払う)という制度が登場してからは、両方の制度が並存していることなり、違和感があります。

見ない自由を認めないような論理矛盾、という言い分を許すからです。

一つの社会資本サービスの提供として住民税にのせるとか、
世帯一律強制加入法を実現すればよいだけ、
世帯主の給与からの源泉徴収制度とすれば、さらに集金コストをなくせます。

ばか親!と批判することは誰でもやるけど、
それを生んだ社会背景と心理の分析をしたうえで、統一的対処方法を示し、実践経過も含めてそれを社会に公表することが・・・・情報化社会である現代の市民教育かもしれない。メディアの興味本位の追求のがれのための、付け焼刃的方策であってはならない。

政治家さんが「教育再生が最重要」言うならば、
市民社会教育が学校教育と同時でなければ、
将来において、
より費用と時間がかかるかもしれない・・・と・・オモーゥよ!

出席停止制度・・・?(100回目の記事)

2007-01-25 14:42:03 | 私見アウフヘーベン
おそらく・・・
こういう制度は、テレビなどで片言のフレーズで報道されるから、中身がよく分からないまま議論されて・・・誤解の賛否が生まれたりして・・・

賛成は、教育現場の実務的対応のために、何かしらの手段が必要ということ
反対は、問題はイジメをする子の矯正教育が主旨なので、その手立てなく排除することの稚拙さを指摘するはずです。

さて、改正教育基本法はどうしたのかな?
こういう事態に対応できるように改正してあるべきだし、そのはずです。

昨年12月18日と20日に書いた「教育基本法と家庭教育」をもう一度見直してみました。

第10条の「家庭教育」
「保護者に対する家庭教育を支援するために必要な施策」(10条2)
第13条には、「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」

・・・イジメる生徒の登校停止制度については、この条文が関係しそうです。

登校停止にする前に、その子の矯正教育をどうするか・・・
ということにはたいていの人は気がつくと思いますが、

条文に家庭教育を「新たに加えた」ことを踏まえると・・・

登校停止にしてもいいけど、家庭と連携して、親権者に教育方法などの相談を強制できる、家庭教育に介入して「連携協力」できる組織と制度が必要で、矯正プログラムの経過報告と記録作業も必要。全てそこまでやるということでなく、出来るようにしておくこと。制度の抑止力としてもね。

まさか・・・
「明日から来ちゃダメ」って書いた紙を渡すだけで終わることはないよね
家庭教育の方法を知らない親からは、相談されたときだけ対応するとか・・・

これとは違う話だけど、
給食費未納の児童生徒数が10万人!生徒数の約1%・・・
約6割が「保護者の責任感や規範意識」がない親だそうで

そうは言っても・・・自分が規範意識の模範とは思いませんが・・・

イジメ問題だけでなく、規範意識のない家庭も含めて、
家庭の矯正を考えようよ・・・学校教育の改革は、家庭教育の改革も同時。
そういう家庭って・・・救いを求めてるかも・・・親自身が社会的疎外感を持っていたりすることもありますし・・・
官僚的に、プライバシーとかで「それは難しい」だけで話を終わらせないで・・・思えば変ることもあるよ


え~っと♪
昨年8月6日から始めたこのブログ・・・
この記事をもって、パンパカパーン!100回♪ ふぅ~

自分の中で何かが変ったとか、
よくいうところの「本当の自分探し」みたいな感触も感慨もないまま・・・
ものを書くというのは・・・恥をかくような気持ちもあり・・・
そうは言っても、匿名だからその点は薄まるけど・・・
心の欲求として、間違ってもいいから、言いたいことを言いたい・・・
という欲求を少しは満たしてるかもね

見ていただいている人に・・・100回の感謝ですわ!



官僚的って、何だろ?

2007-01-24 12:22:17 | 時事報道放談
宮崎県知事のニュースを何度も見ていて、自然に・・・思うのですが・・・
「官僚的」って何だろう?
この選挙結果の背景にもいくらかの関わりがあるかもしれない
・・・そう思いました。

官僚的というのは、やはり・・・責任回避の発言かもしれない、と思います。

新知事は、公務員でも会社員でもありません。
思うことを、素直に言葉にしているように思えます。
数値目標だけでなく、する・しないも明確であるように思えます。

地位の如何に関わらず組織の中に長く居ると、自分に責任が及ぶことに積極的な発言は控えるものです。
結果として、具体的な被害がある問題が発生した後の事後処理はできるのですが、
問題の発生を予見した対策には弱いのです。
結果、「やっちゃいけない規則」はたくさんできるんだけど
・・・必要なのはたぶん・・・
「やってみようよ」の発想・・・と、思うわ

前例主義は、変化の激しい時代背景にあっては、責任回避と同義になる危険があります。それでも尚、官僚的なるモノはチャレンジができません。
新しい試みは、失敗を覚悟しなければならないからです。


メディアは人の失敗が大好きです。
(度が過ぎたものは、人の不幸で飯を食っているという外見です)

そういう情報化社会の一面を毎日見ていると、失敗の恐れがあることはしない。
極論、何もしない!
何か新しいことをすると既成の利害関係を崩し、摩擦も生みます。

企業経営においても、同じことが言われます。
特に、悪い意味で組織も大企業になってしまうと・・・
あるいは、同族支配が長いと経営はチャレンジ精神を失いがちになります。
社員数が多いと一人当たりの責任が薄くなるんでしょうかね、何かして失敗するより、失敗のないように何もしない選択が生まれる・・・
ワンマン経営には間違いの指摘がなくなる・・・

そういうときに、有能な経営者は・・・
「新しいことにチャレンジした結果の失敗を咎めることはない」という意味の
「失敗を恐れるな」と言います。

既成政党や役人の限界を、有権者は、
そういう角度で見ているのかもしれませんね

とすると、「新しい試みの失敗には寛容な精神」が、
同時に市民社会には必要です。
メディアの、人の失敗が大好き精神、とは全く意味の違うものであることは
言うまでもありません・・・よ。

次の選挙の・・・参考になる選挙でしたね

現代社会のいくつかの問題は・・・
官僚的であるがために生まれ、官僚的であるがために修正できない
・・・そんなふうに見える・・





談合ゼネコンのショート成功!

2007-01-23 12:01:31 | 株式投資
このカテゴリーの前の記事で、談合ゼネコンのショート(空売り)を示唆しました
あくまでも、5:1程度の比率でのショートですが・・

何度も何度も・・・繰り返される談合・・・知恵のなさに・・笑える?

公正な競争入札における「公正な競争」の定義が周知されていない・・・と思う。
談合が何故起こるのか・・・という疑問の声は聞こえるが、その中身が聞こえない
長所と短所があるならば、それを説明すればいいのに

・制約のない完全自由な入札制度では、能力のない業者や、好ましくない業者の
 参入の可能性・・・・排除する方法を考えればいい
・地域の企業が業績不安になり、雇用問題が現出する・・・回避の方策を考える

素人的に、この二点なんですが・・・

自由な競争入札ではなく、
「適正価額」での競争入札における「適正」の定義とは?

・原材料費、人件費・・・と積み上げていけば、請け負うことが出来る価額の
 範囲は特定できるはずです。(行政の予算額ではなく、工事価額分析)
・法人税や所得税などの税収効果を考えれば、地域納税業者の優先度は高い
 はずで、その取り扱いをいかに優先するか、逆に域外業者の徴税制度。
・業者の資格審査(施行能力と実績、人的審査、納税実績など)

適正は単に製造コストということだけでなく、その地域にどれだけの恩恵があるのかというコスト:パフォーマンスの数値化される事業計画があるべきですよね。

適正は金額的なことだけでなく、人的適正もありますよね。暴力団の資金源になったり、地域納税回避のために政治団体寄付があったり・・同族経営で実態のない役員報酬支払いなどの節税だらけの決算書企業だったり・・・

建設業だけでなく、公共工事関連の業種は多い・・・それも全部含める制度改正

談合利益を没収する罰則ができても、何年も時間と費用をかけて裁判すれば意味がなく、役所は、現行法を基準に行動するので・・・

まだ談合ゼネコンの買戻しはあわてないでいいかも・・・
でも、この業種だけ、業界再編の動きが鈍いのね・・・
5銘柄程度では入らないけど、20銘柄のポートには入れるかも・・・
・・・いや・・やっぱ、見る業種だね・・

詐欺横行の世情に2

2007-01-22 15:58:14 | 防犯論議
1月10日に、「詐欺横行の世情に」というタイトルで書きました。
その続編・・・

(物の価額のウソ)
  宝飾品の詐欺
  絵画・美術品の詐欺
  未公開株式の投資詐欺
(サービス価額のウソ)
  美容関係の詐欺
  建築リフォーム詐欺
  内職などの斡旋詐欺
(契約手続き等のダマシ)
  不動産取引詐欺
  消費者金融がらみの詐欺
  マルチ商法の詐欺
  交通事故などの訴訟示談詐欺
(単なるドロボー)
  電話の振り込め詐欺
  ネット通販詐欺

科学技術が発展した今日のこの社会で・・・
・・・野放し・・・やったモン勝ちみたいな・・・

盗まれたら、損害賠償訴訟で取り返す・・・という制度を変えたらどうかな

盗んだ奴に、一生働いてでも返させる・・・当たり前でしょ
・損害賠償請求権を行使するより先に、返済を強制する制度であるべき
・逮捕と同時に関係私財全て警察管理、警察と犯人は被害者の特定
・加害者に異議あれば、没収財産の返還請求権
・警察に悪質詐欺事件専門の捜査組織
・強制労働施設(公益業務、民間の低賃金役務等)

こういう主旨のことを書くのは、これで3回目ぐらいかな
そもそも、賠償訴訟って、面倒だし、仕返しを恐れる心理あるし・・・

どうも・・・犯罪捜査や裁判制度とか弁護士業務とか・・・これまでの習慣や制度に縛られて、ドンドン泥沼みたいな思考になって・・・
ただいたずらに時間がかかるだけ。
当事者は忙しくて、懸命にやってます、怠けてません、なんて言い訳ばかり・・・

市民社会は、事件があるたびに、「注意しましょう」って・・・
騙されないようにと、何度も何度も呼びかけて・・・


「盗まれたら返済請求することが出来る」という社会制度から
「盗んだものは返させる」という・・・
当たり前のことを当たり前にやればどう?


ん~このアイデア・・・何%ぐらいの支持率かな(笑)

交通事故データと事故予防

2007-01-21 13:05:48 | 自動車保険
警察庁、国土交通省道路局、交通事故総合分析センターで、交通事故に関する様々なデータ分析がなされています。

有料のものもあると、以前にいやみなことを書いたことがありましたが、訂正します。データは充実しています。
もっと、陽の目を見る形といいますか、生活者の利便に即応する普及の方法があるといいですね。

生活情報の普及という観点では、テレビや新聞などの報道機関の役割とともに、自動車運転教習の教育カリキュラムや、損害保険会社の代理店などを通じた自動車運転者への情報伝達などが考えられます。
特に損害保険会社の役割は、保険契約者の募集と保険事故の補償を主業務と考えるあまり、交通事故予防施策がコストパフォーマンスの計算がしにくいために、力点が置かれない。・・・いや、やっているけど見えないのかもしれない。
損害保険会社のお客は代理店であり、個々の自動車保険契約者ではない外観によるものかもしれません。車の販売会社経由で多くの自動車保険の契約があるとすれば、さらに情報普及が間接的になる可能性があります。

予防医療がなければ、病院と医師がパンクする。
防犯教育がなければ、裁判所と警察・刑務所がパンクする。
人権教育がなければ、イジメは減らない。
家庭教育にお手本の普及なければ、子の自立は遅れる。
(これまで、いろいろなテーマで書いてきましたが、フレームはおんなじかも・・・)

交通事故の予防教育の普及施策を、再検討する時期が来ているってことでしょうね
情報化社会に適応した普及方法のような制度
運転は技能検定制度なんですが、道路や車の性能が問題となる時代ではないので、様々な類型の運転者の心の問題という観点で、予防施策を考えて・・・

対症療法的施策や制度と違って・・・これが、難しいのね、たぶん・・・






自動車運転の心理

2007-01-20 14:30:28 | 自動車保険
今日までに「自動車保険」のカテゴリーでは、交通事故の責任割合(過失割合)などの理解が、高齢者等の自動車運転に必要であろうという考えで書いてきました。

同時に、高齢者ばかりではなく、車を運転する人の様々な心理に影響する理解であることも。

考えてみるに・・自動車運転の必要性はいろいろで、運転者の動機や嗜好のようなものも一つであることはない。
運転適性検査は、自動車運転教習所などで実施されていることは承知していますが、テストの結果に基づいて何か特別な改善処置がなされることを聞いたことがないので、心理学的な処置のプロセスが、途中で中止されたまま運転教習を終えていることになります。結果の悪かった人に、「注意しましょう」だけで終わるからです。

交通事故における当事者の責任割合は、教習所で明確にされることはありません。
経済的にも社会的にも影響が大きい交通事故であるにもかかわらずである。
そして、その「影響の度合い」は、間違いなく事故の状況、つまり双方の責任割合にあるのに、理解が普及していないことは、教育プログラムの単純ミスとも。

乱暴な運転、危険な運転、カッコイイ、スピードマニア・・・事故現場で責任のなすりつけあいの喧嘩や示談交渉のトラブルなど・・・
そういう性格の人がいる・・・人の性格として、それらの性向の心理があって、抑制しようがない・・・などという議論ではなく、運転者の責任割合の理解があれば、客観事実の比較だけで、少なくとも声の大きさ比べでのトラブルは無駄なことになるかもしれません。

人の社会性として重要なことは、「謝罪」という行為です。
運転者双方に責任割合が特定されるとき、3割の謝罪と7割の謝罪・・ということにはならない。被害の状況にもよるからです。責任割合が高い運転者側に死亡・障害があるときは・・・など

昨日書きました「著しい過失」「重過失」がないかぎり、
喧嘩両成敗じゃないけど、事故ったことは双方に責任ということで、お互いに謝るか慰謝の気持ちで接するルールが運転教習所の教本にあるといいかもしれない。
(ないしは、責任割合の判定までは、謝罪は責任割合の判定の証拠となりえないなどのコンセンサス・・かな)

こうした「事故現場での謝罪」論議は、自動車運転においては大変重要かもしれません。
被害者が、過度な被害者意識から・・・威迫、恫喝、脅迫、暴行などの、新たな犯罪を生む可能性が想定できるからです。


まぁ・・・一理あるかも、なんて思う人もいるかもしれないと、うぬぼれて書きましたが・・・
心理学などの考察が、実生活でもっと応用できて、交通事故の社会学のようなもので普及・・・

交通事故の過失相殺

2007-01-19 08:56:21 | 自動車保険
自動車保険で保険金が支払われるには、過失割合(交通事故の責任割合)が、事故の状況によって支払われることを知っていることは無駄なことではないと、前の記事では書きました。高齢者の車の運転だけでなく、歩行者の過失割合の事例も書きました。

こうした基準は、どこにあるのでしょう。

「民事交通訴訟における過失相殺率の認定基準」東京地裁民事交通訴訟研究会編
過失相殺率の認定基準の“バイブル”として損害保険会社や専門の弁護士等が利用しているはずです。

概要は5グループの分類

 第1 歩行者と四輪車・単車との事故
 第2 四輪車同士の事故
 第3 単車と四輪車の事故
 第4 自転車と四輪車・単車との事故
 第5 高速道路上の事故

細分化して最終的に全273通りの類型に分類されます。
この中から最も似ている類型を探し、
さらに、個別具体的な状況で修正する作業となるそうです。

今日はこの修正部分から・・・

著しい過失:通常想定の事故の程度を超える過失
        酒気帯び運転、脇見運転等著しい前方不注視
        急ハンドル・急ブレーキ等の操作不適切
        携帯電話、画像注視の「ながら運転」
        時速15km以上30km未満のスピード違反
        
重 過 失:著しい過失よりもさらに重い、故意等の重大な過失
        酒酔い運転、居眠り運転、無免許運転
        過労・病気及び薬物の影響等で正常運転不能
        時速30km以上の速度違反

だいたい・・・こんな感じ

バイクの場合は・・・ヘルメット不着用
自転車の場合は・・・二人乗り、無灯火、傘差しなどの片手運転

要するに、事故の形態で過失割合の基本があるけれど、極端なスピード超過や飲酒などでは、その割合も関係なくなる。

相手の被害者は救済されるけど、加害運転手がたとえ人身傷害保険に入っていても、重過失では支払われない。


こんなこと・・・覚える必要はないけど・・・

聞いたことあるわ程度の認識でも、
著しい過失や重過失の運転を止めさせようという気には・・・なったでしょ。

30キロ以上オーバーの運転中に・・・
「おとうさん!重過失よ!」
・・・じゃ済まないんだよね、
飲酒運転と同じく・・・
「人殺し運転!なのよ! おとうさん!」

ウィリアム・ブーグローって知ってる

2007-01-18 12:09:38 | まろん
八王子の方だったかな・・・
村内家具のオーナーさんがコレクションしてる
村内美術館

プチ・オルセー・・・・って自称してるようなコレクション

相当な財力・・・・あっ!そう言ちゃだめね
かなりのご趣味で大変なご苦労があったと思います。
アレだけのものを集めるにはね

オルセー美術館・・行くことあれば、その前に、ちょっとのぞいて見ておくと
いいわ。
関連の本もあって、オルセーの展示の方法のすばらしさとかもちょっと勉強して行ったので、スケールに圧倒されるだけじゃない見方ができました。
(もう何年も前だけど)


バルビゾン派:パリから約60キロ離れたフォンテーヌブローの森の北西部
自然主義的な風景画・・・代表的な7名、ミレー、コロー、ルソー、ドービニー、トロワイヨン、ディアズ、デュプレなど代表的な7人の画家たちは「バルビゾンの七星(プレイヤード)」と呼ばれました。
東洋美術の何千年の歴史を持つ風景画、自然主義に思いをはせて、比較するともっと興味深いものです。
西洋美術の「人間崇拝」東洋美術の「自然崇拝」みたいな・・・

7人もさることながら、他にクールベの風景画もありました。

クールベは、オルセーの入り口近くに・・超でかい・・生命の神秘みたいなタイトルで有名な・・・じっくり見るには照れくさいような作品

村内コレクションは他に、特にその美しさに足を止めるだろう作品は・・・
ウィリアム・ブーグロー
「マクスウェル婦人」
あの表情・・・あの指先・・・
(絵葉書を買っちゃいました♪)

ブーグローで検索すれば、ネットで作品がたくさん見れます。



画像が悪いけど絵葉書写メしてみました。




日銀の基準割引率および基準貸付利率

2007-01-17 17:59:57 | 株式投資
タイトルは、昨年の8月まで「公定歩合」って言われていたもの

そういえば、思い出しますが、
超低金利が続くときに、金利生活者のために公定歩合を上げろ・・・みたいなことをしゃーしゃーとテレビでお話されていた国会議員さん・・・
(国全体の金融政策と弱者救済の政策の区別ができていない人の意見として、経済学不在だなぁ・・・と当時思われた人も)
この場面で、もう一回説明に出てこないかな・・・

あのときより、景気はましとは思いますが
今度は景気に悪影響だとかで・・・この部分が日銀の意見と対立するのでしょうが、上げる上げないの結果の言葉だけを報道して、理由の説明がない。
反対する国会議員は、日銀の論拠を見ていないし、自説の論拠データも持たないだろうことが容易に想像できます。

そもそも、金利自由化以降は、基準金利操作(公定歩合操作)なる金融調節機能は以前ほどの重きをもたず、市場金利連動の公開市場操作が主な金融調節機能となっているはず・・・。

社会制度の変更、例えば税制などにおいては、結果として誘導する金融調節も可能と思えますが、都合がいいデータを一部だけ国際比較したり、前例ないと論じたり、国家の戦略としての説明もなく、経済学的検証もせず・・決定する・・・??

報道側にもリテラシー・・・必要ですわ
質問が、選挙対策の結論ありきで誘導したいようで・・・
・・・テーマは経済学なんでしょ?

株式市場の影響まで云々されて利上げの対論になるに至っては・・・・
株式市場の影響を重要視するくせに、証券税制では「金持ち優遇」と言う・・・

何か・・・もう・・・論理がむちゃくちゃですわ・・・


・・・で、結論が、利上げ見送りですか・・・そうなの?

見送りを決める根拠データも説明されないんだろうなぁ・・・
まぁ・・・自分で調べますわ、株式投資の参考になるかな・・・

中長期投資志向なので、このレベルの金利変動であれば、
特に重要視しないスタンスではありますが・・・


も一つ、ついでに、むちゃくちゃな論理は、
今日、日銀が利上げを議論しているのは
政策金利:無短コール翌日物の金利のこと。
公定歩合でも基準金利ではありません・・・・

あぁあ!
長々と書いた文章なのに・・・むちゃくちゃやわ
読者がいたら、ごめん!