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1月の第三月曜日

2011-01-18 17:42:17 | 時事報道放談
"I have a dream."
のひらめきで、I had a dreamを書いてきました。

偶然、なんですが、昨日(1月の第三月曜日)は米国の祝日

Martin Luther King Jr's Birthday

実際の誕生日は1月15日



多くの人の心を動かすことも、法律を変えることもできないという
あきらめでしかありません。


それでも、夢や希望は持ちたいものです
どんなことでも
意志がなければ行動はない


で、何か・・・



ところで、
日本の学校を取り巻く教育現場にいじめなどの人権問題があるならば

キング牧師の徹底した「非暴力主義」が解決策として学べるかもしれない
生徒に歴史教育するだけではなく、
先ず、教師と保護者が理解することができれば


Wikipediaの解説は感動もんです

「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア」

I had a dream・・・3-4

2011-01-17 13:55:25 | 時事報道放談
興味深いこと、だと思っているのですが
昔の法律に、こういうものがあります

『御成敗式目』
第十二条
一、惡口咎事
右鬪殺之基起自惡口、其重者被處流罪、其輕者可被召籠也、問注之時吐惡口、則可被付論所於敵人、又論所事無其理者、可被沒收他所領、若無所帶者、可處流罪也

第十三条
一、毆人咎事
右被打擲之輩爲雪其恥、定露害心歟、毆人之科甚以不輕、仍於侍者可被沒收所領、無所帶者可處流罪、至于從以下者可令召禁其身也


第12条:「悪口(あっこう)の罪について」
争いの元である悪口はこれを禁止する。重大な悪口は島流し、軽い場合も牢に入れる。また、裁判中に相手の悪口をいった者は直ちにその者の負けとする。また、裁判の理由が無いのに訴えた場合はその者の領地を没収し、領地がない場合は流罪とする。

※悪口=人をあしざまにののしること。


第13条:「他人に暴力をふるうことの罪について」
人に暴力をふるうことはうらみを買うことであるからその罪は重い。武士の場合相手に暴力をふるった場合は領地を没収する。領地がない場合は流罪(るざい)とする。御家人以外の場合は牢(ろう)に入れる。


武家社会で、刃傷沙汰は日時茶飯事と思いきや
暴力どころか、悪口も争いの元だから、重罪にしています。

現代社会をながめると、この時代の人は何て思うのでしょう
対人関係の体験を開始する学校で、
悪口や暴力を律する術がない状況を

鎌倉時代の武士が
日本の学校で
うざい、きもい、死ねなどという言葉を使って遊んでいる光景を見てる夢



それにしても、御成敗式目、ピュアで素直な条文です

I had a dream・・・3-3

2011-01-17 12:05:02 | 時事報道放談
自殺とは何かというと・・・

報道されるイメージ
生活苦
仕事上の責任問題
恋愛問題
夫婦間の問題
学校でのいじめ
健康問題

言い方を変えると
対人関係
経済的問題

さらに言い方を変えると
自尊意識の侵害
孤独感


遺書にいじめの犯人を名指しして自殺した・・・

大なり小なり、これは報復の心理が背景にある。と考える。

学校や保護者に人権侵害や暴行という問題の解決能力がなく、相談しても無駄であるという思考が背景にある、少なくとも、助けになるという信頼関係がない。
加害者の報復を恐れて通報できない、という状況を解決できないでいる。



いじめや暴力に対抗する方法があれば自殺は減る?
いじめ自殺事件の周囲には対抗手段がないことになる?
何でないの?

暴力団は何故いるの、という問いに同じか・・・
やろうと思えばできるけどやらない、のような

ちがうちがう・・・方法はある、やればできるんだったらやろうよ


夢は・・・そこで覚める



I had a dream・・・3-2

2011-01-16 10:02:29 | 時事報道放談
言葉の暴力による殺人

もちろん

暴力的言動(言葉と行為)に大きな原因割合があると考えられる自殺
強姦殺人と強姦が原因の自殺など

それが原因で自殺する人は、います。
同じ状況で自殺しない人も、います。

同じ状況で自殺する人としない人の違いは何か
多くのケースで、検証しているはずですが、
検証方法が確立していないために、報告書などのデータがあっても内容がバラバラで
統計として役に立たず、対策に応用できない。(はずです:私見)

法の整備が必要なのである。強制できる法です。

加害者被害者の家庭環境まで検証するためには保護者の参加も必要です。
ケースによっては、事件の傍観者が多いことも考えられます。
その場合に多くの父兄の参加が必要なこともあるかもしれません。

自殺は、本人の意思の割合がどれほどなのか
自殺せざるを得ない状況を作った側の有責度合いは何割か
という議論となる。

判定人の主観を入れようがない、客観的なルールができるかどうか

報復心理からの「当てつけ自殺」
現実社会での問題解決、対抗手段、報復が不可能であるという状況で
自殺すれば社会問題として報復できるという考えや心理が
もしいくらかでも原因としてあるならば
自殺が報復にはならないということを、または極端ですが、
自殺は罪であるという認識を社会教育する方法を同時に議論しなければならない。


人は生存本能として、
競争したり戦って相手より優位な立場にありたいという言動をする。
上下関係や主従関係を形成しがちということである。
結果として、程度が著しく下と従の立場の者は自尊意識が害され、生きることに希望が薄くなる。

正常なコミュニケーションのあり方をもっと議論しなければならない。
稚拙なコミュニケーション能力が誤解を作る、それが恨みや憎しみに変わる。
もっと、議論しなければならない。

人を尊敬する、勤勉を尊んだり、思いやりの気持ちを尊重したり
全ての始まりは、コミュニケーションである、会話である、言葉である。
近年の社会に横行する不適切な言葉を叱る者がいないことが、
全ての始まりの以前にあるかもしれない。

うざい、むかつくが家庭や学校だけでなくテレビの人気出演者まで
罪悪感なく口にしていることを知っている。
社会全体に罪悪感が薄くなる。言われた者の気持ちを先に思わなくなる。

それどころか、ボケやツッコミで言い返すことができない側の落ち度であるかのように
コミュニケーション技法として語られる場合もある。

事件があるたびに、学校や家庭は、命の大切さを説くということで、効果を自賛する。
聞く方は「命の大切さ」という言葉を100回聞いても、
この教室からいじめはなくならないと思っているはず、原因が除去されていなければ。

人は何故、暴力的言動をするのか、何故自殺するのか
であればその両者を防止するにはどうすればよいのか
もし暴力的言動は対人関係として発生を避けることができないものであるならば
事件が発生した時の対応を、事前に議論しているべきである。
当事者全員と必要に応じて保護者も強制的に参加させるプログラムのような。


日本全国の教育現場で議論され、初等学校から実践されるようになった

という夢を見た。

I had a dream・・・3-1

2011-01-15 19:17:26 | 時事報道放談
殺人罪の話の続き

言葉が凶器の傷害、殺人

脅迫、恫喝、いやがらせ、無視・・・
人は社会的存在であるが故の性質があるはずで、悩んだり苦しんだり、精神病の原因や最悪自殺まで、可能性を予測できる、場合があるはずです。
それが分かっていやがらせをしている場合は殺人と言いたくなるかもしれない。
これは前回の文脈で引用しました。
(※自殺教唆罪
自殺の決意を抱かせる事によって人を自殺させた場合に自殺教唆罪となる。
この自殺の決意は自殺者の自由な意思決定に基づくものでなければならず、行為者が脅迫などの心理的・物理的強制を与えた事によって、自殺する以外に道がないと思わせたような場合には、その決意は自由な意思決定とは言えず、自殺教唆ではなく殺人となる。)

であれば、様々な状況で多くの人が自覚していないだろう殺人罪があるかもしれない。

学校でのいじめと自殺の事件がそうです。
学校も教育委員会も、マスコミも、加害者も加害者の親も被害者の親も
これは「いじめが原因である自殺」とは言うが、
加害者が脅迫などの心理的・物理的強制を与えた事によって、自殺する以外に道がないと思わせたのであって、自殺の決意は本人の自由な意思決定とは言えず、自殺教唆ではなく殺人である。
とは言わない。

言葉の殺人は、同じ状況で自殺する場合としない場合があるから、因果関係があることを証明できないというが、これは詭弁ないしは詐術にちかいもので、人は言葉によって自殺することがある存在であることを前提にすれば、因果関係がないことを証明しなければならなくなる。

いじめ、脅迫など、相手を威圧することが目的である行為は自殺を誘発する凶器である
というような共通認識が社会教育されれば、どうなるんだろう?

競争や闘争意識が弱くなるような社会現象が生まれて、社会の進歩・発展のような何かが停滞したりするのだろうか・・・そうならないような手段を講じられるであろうとは思うが、

どうも、相手より上位でありたいという生存本能から、相手を攻撃するのであろうという理解があるならば、本能を法で制限することでもある、かもしれない。
売買春のように本能に係るものを制限しようとすることは効果が薄いかもしれない。
むしろ、ある得る本能と認識したうえで手段を講じるべきかもしれない。


何で、こんなことをつぶやいているかと言いますとね

学校などで自殺事件があるとテレビで記者と学校関係者が質疑応答している場面があります。
二人とも目隠しして象を触って、それぞれが象とは何ぞと話しているように思えるのです。

自殺といじめの因果関係を、学校長でなくても判定できるわけがないのに
結論として「学校は認めなかった」という文末が既に印字されることを承知で
因果関係があったかなかったかと質問する。

そういうの・・・両方が哀れに思えて

いじめや暴力事件が発生
何をするべきか
・加害者とその保護者
・被害者とその保護者
・担当教員および関係者
・教育委員会
・被害者加害者以外の生徒とPTA
これが、一律のルールがないように思えるのですが、
事件が起きても誰が何をすればよいのか全くわからない

損害賠償制度や裁判も相談できる公的機関を作るべきかもしれない
弁護士に依頼できるものとできない者があることは社会的差別かもしれないからです。


現状を全取り替えするような根源的な議論を文科省がはじめた・・・夢を見た

I had a dream・・・3

2011-01-14 23:41:38 | 時事報道放談
殺人罪を・・・ちょっと考えてみよう

先ずはWikipediaで

殺人罪
人を殺すことを内容とする犯罪、刑法199条。日本の刑法における殺人罪は故意による殺人をいい(刑法38条参照)、過失により人を死に至らしめた場合は成立しない。

故意犯
殺人罪は故意犯である(38条1項)。

殺人の故意はなかったが、暴行・傷害によって他人を死に至らしめた場合には、殺人罪ではなく傷害致死罪となる。
殺人の故意も暴行・傷害の故意もないが過失によって人を死に至らしめた場合には過失致死罪(または、その特別類型である業務上過失致死罪や重過失致死罪等)となる。

刑法第202条に規定されている罪を総称して自殺関与・同意殺人罪と呼ぶ。
個別的には、人を教唆して自殺させる自殺教唆罪(簡単に言うと「死ね」など言って人を自殺させようとすること)、
人を幇助して自殺させる自殺幇助罪、人の嘱託を受けてその人を殺害する嘱託殺人罪、
人の承諾を得てその人を殺害する承諾殺人罪(同意殺人罪)を言う。


自殺関与と同意殺人の区別
行為者が直接手を下したかどうかで区別される。自殺を決心している人に毒薬を提供するのは自殺関与で、本人の依頼を受けて毒薬を飲ませるのは同意殺人となる。
自殺関与
他者の自殺を教唆・幇助すると自殺関与となる。

自殺教唆罪
自殺の決意を抱かせる事によって人を自殺させた場合に自殺教唆罪となる。
この自殺の決意は自殺者の自由な意思決定に基づくものでなければならず、行為者が脅迫などの心理的・物理的強制を与えた事によって、自殺する以外に道がないと思わせたような場合には、その決意は自由な意思決定とは言えず、自殺教唆ではなく殺人となる。
また、意思能力がなく、自殺の意味を理解していない者に自殺の方法を教えて自殺させたような場合にも、自殺者の決意は自由な意思決定とは言えず、殺人となる。


この程度の予備知識ではじめましょう。

変ですよね・・・

その手のテレビドラマなんかでよく耳にする「殺意」
「殺人の故意」という表現で説明されています。
故意であるかどうかは、容疑者の供述でしか判定できない状況が想像できます。
死人に口無しですから、殺人の行為者がどのような心理で行為に及んだかは
その行為者のみ知ることです。これを恨みなどを抱く関係にあったことを証明して
動機があったとしても、絶対にその時にそう思っていたかどうかは、行為者しか知らない。

故意の有無を重大な判定基準として適切かどうかは、個々の状況で異なる。
容疑者は弁護士に真実を述べよとアドバイスされると信じるとしよう。
殺意はなかったと言うことと同時に。
殺意の有無は、精神の混乱状態の時には両方が真実であり、両方が真実でないかもしれない、と説明されても、絶対的に論破できない。
そのようなたぐいのものであるから、重視してはならないという私見です。
言葉巧みな、演技力がある者が、刑が軽くなるからである。
ナイフで刺して相手が死にましたが、殺すつもりはありませんでしたと容疑者が供述しているという記事を、たいへん良く目にします。
たぶん、正しい記事は「刑を軽くするために殺意はなかったと虚偽の供述を行っているらしいです」
憲法で「自己に不利益な供述を強要されない」とあることを曲解した黙秘とか虚偽の供述とか
それが正義であるかのように語られるのを、あきれるばかりです。


次、
ナイフや銃器など凶器という物の定義です。
傷害や殺人の凶器・・・どうしても「物」なのでしょうか。
脅迫、恫喝、人権侵害、名誉棄損・・・言葉は、凶器であることを多くの人は知っています。
しかし、同じ状況で同じ脅迫がなされても、自殺する人としない人がいます。
だから、凶器にならない、というような考えでしょうか

「いじめ」があったとかなかったとか、自殺との因果関係があるかないか不明であるとか
言葉が人を自殺に追い込む状況の類型など定義があって、
その当事者の対人関係の修正方法と関係調整者の役割や修復技法が適切であったかどうか、
という事件報道であるべきなのではなかろうか

多重債務者など経済的な原因による自殺の背景として
脅迫や暴力などがあれば、殺人罪を課すと喧伝したうえで、
暴力的な行為は、当事者間の権利義務関係の解消などの強制を言えば予防できるかもしれない。
そうでなければ、弱肉強食の放置であり、人類が撲滅したと自負している奴隷制を実質的に復活させるようなことにもなりかねない。

また、実際にそういう法律を作らなければ効果がないということでなく、
情報化社会である、立法の過程を報道などを通じて議論するだけで
抑止したり、現状を変化させることができるのである。



まぁ・・・言いたい放題の夢です

I had a dream・・・2

2011-01-12 20:10:44 | 時事報道放談
キング牧師のI have a dreamを検索すると、
そりゃそうだ
涙が止まらないほど感動します。
あの演説を暗記しようとする人がたくさんいるんだろうな・・・と。


で、
2つ目の夢は

今、日本は隣国の中国や韓国、北朝鮮といった国と
関係が悪かったり微妙だったりします。

どうすればいいのという政策論争でもなく、外交ノウハウでもない。
長年にわたる「恨みと憎しみの教育」の変更でもない。
民間企業の交流の方法論でもない。



テレビ番組や新聞、雑誌、書籍などで
日本、中国や韓国・北朝鮮が自慢するような
立派な人や文化はたくさんあると思いますが、
相手の国でも素晴らしいと思われるようなものを紹介するというような
企画番組を合同で制作する。
地理的な距離にそぐわないほど、お互いに相手の国のことを知らない
不幸にして、相手の悪い部分だけを語り伝える歴史がある。
その逆のことをするわけですが、
さらなる真偽論争を生むかもしれないことも承知で。
お互いの誤解の起源の所在を確認できるかもしれない。

中国のために貢献した日本人
日本人に愛された韓国人や中国人

衣食住の比較文化や国民性


断片的に、一方的に制作するものはあるでしょう
共同制作の映画はあるが、目的が異なるから、
誤解をさらに深くする場合もあるかもしれない。


ある方向へ誘導することを意図した情報は危険です、
という議論があることも承知したうえで、
善悪も含めてもっと相互理解

そういうメディア交流が活発になることで
政治外交政策を円滑にする
新感覚の国際関係

対立や対抗概念を打ち立てて、すべからく戦わせる
そういう構図でなく、
当事国の国民世論で、対立を緩和・問題解決する方法を論じるみたいな関係


を夢見た。

I had a dream・・・1

2011-01-12 17:54:16 | 時事報道放談
と、言いますのはね

情報化社会とかジャーナリズムとか視聴率とか報道とか
権力の監視だとか、国民の声だとか、報道の自由だとか
まぁ、結局は
自由な競争下で、純粋に金のためにニュースネタを探す職業
しかしてその競争は、質の向上を促進する。
すなわち、
虚偽の報道や、偏向的な主張は視聴者の支持が得られないので
正義と真実を追求することになる。


個々人の自由な経済行為が集合して全体の経済があるように、
報道も必要性の追求を、個々人が自由な感性で行う。

基本認識がそうであるとして、次に

経済には合成の誤謬という現象があるという理解がある。
一つ一つは合理的だが、その集合として全体は
必ずしも社会適合するとは限らない。

主義の主張も損得の主張も完全にすべての人が一致することはない
そのような理解が視聴者には必要ですが
報道は手前の正義、一方の利益と損失だけに焦点を当てがちである。
また、戦いを好む傾向があります。
これは人の性格を反映したもので、簡単にいえばゲームを好む
どっちが勝つか負けるかという構図のほうが理解しやすい。

ですから、政治談議は対立する二者の勝ち負けの構図で報道しようとします。
選挙が良い例です。
両者の主張を論点にしない。
報道で創りあげた所属組織のイメージだけが論点

今日の社会の問題点を分野ごとに列挙すればよいだけ
それに対して、どのように法と制度を変更するのか
定期的な結果の検証報告
国会議員の役割を「立法」と原点回帰するならば
法と制度を説明できることが条件。

例えば、法に無知な人でも国会議員をやっているのは
地元の雇用を生み出す公共工事の誘致という役割に貢献した、という主張がある。

しかし、検証がないのである。
地元企業の雇用と賃金の増加を検証していないので、
工事一単位での乗数効果を確認できない。
議員の親族が公共工事を受注する公的団体や民間企業の関係者で
利得する関係にある。という仕組みを黙認してきたことは
高度成長期における功と罪の割合が、
今日では異なってきている可能性を疑うべきなのである。

単純なイメージです・・・
地方の道路工事会社、河川・港湾土木工事など、永久継続する工事を
地方・国会議員の親族が私している。
経営者の給与は公共工事100%の会社であっても制限はない。

この仕組みを修正しようとする政治家が現れる夢を見た。