ここまでに、「高慢」は悪しきもの、良くないもの、Xという前提で書いてきているように思います。「怠惰」もそうです。
はたして・・・そうなのか?
いじめや傷害事件の根っこには、優越感や劣等感を潜在意識として、「高慢」があるかもしれないと思いました。
この場合、「高慢」という言葉は良くないものとして使いました。もちろん「高慢」は偏見や差別に繋がる意味の言葉で、良いものではありません。
しかし、褒める、哀れむ、慰める、恵む、施す、励ます・・・・など、対人関係の好ましい行為として使われる言葉は、意識として、優位の者から劣位のものに対して行われるのかもしれないと思うとき、それを高慢と言わないし、思わない。
また、精神的に優位になる願望は、意識・無意識かかわらずあるものでしょうし、それがなければ、競争は起こらない、従って発展や進歩、向上も見込めない。
「高慢」という言葉の意味をここまで広げると、人の心の「高慢」は、多面的。
いじめの心理どころでなく、あるときは、人種や国の優越感情、民族主義と言われるものまで大きく広がると、戦争にまで至る「高慢」もあります。
誰もが、その心にあるものとして認識する・・・現象学で言うところの「客観的に認識することから始めましょう」という教えに習って。
そう、「高慢」は誰もがあるのです。
名誉欲と「高慢」は重なる部分を持つことを知らなければならないでしょう。尊敬されたいという思いは、そのために何をなすべきか考えることに意味があります。でも、それって名誉欲と重なるし、名誉欲は「高慢」と重なる・・・
わっかるかなぁ・・・言いたいこと。
感情的に持論を押し付け説き伏せようとする人を見ると、この人の性格、何とかできないものかと考えることがありますよね・・・
一方的な理解で当然のように使われる、たった一つの単語・言葉も、その中には立場、利害関係などで実は意味が異なることもある。
当然と思われることを「はたしてそうだろうか」と省みることも・・・
・・・意味がなくはない・・・チャンチャン♪
はたして・・・そうなのか?
いじめや傷害事件の根っこには、優越感や劣等感を潜在意識として、「高慢」があるかもしれないと思いました。
この場合、「高慢」という言葉は良くないものとして使いました。もちろん「高慢」は偏見や差別に繋がる意味の言葉で、良いものではありません。
しかし、褒める、哀れむ、慰める、恵む、施す、励ます・・・・など、対人関係の好ましい行為として使われる言葉は、意識として、優位の者から劣位のものに対して行われるのかもしれないと思うとき、それを高慢と言わないし、思わない。
また、精神的に優位になる願望は、意識・無意識かかわらずあるものでしょうし、それがなければ、競争は起こらない、従って発展や進歩、向上も見込めない。
「高慢」という言葉の意味をここまで広げると、人の心の「高慢」は、多面的。
いじめの心理どころでなく、あるときは、人種や国の優越感情、民族主義と言われるものまで大きく広がると、戦争にまで至る「高慢」もあります。
誰もが、その心にあるものとして認識する・・・現象学で言うところの「客観的に認識することから始めましょう」という教えに習って。
そう、「高慢」は誰もがあるのです。
名誉欲と「高慢」は重なる部分を持つことを知らなければならないでしょう。尊敬されたいという思いは、そのために何をなすべきか考えることに意味があります。でも、それって名誉欲と重なるし、名誉欲は「高慢」と重なる・・・
わっかるかなぁ・・・言いたいこと。
感情的に持論を押し付け説き伏せようとする人を見ると、この人の性格、何とかできないものかと考えることがありますよね・・・
一方的な理解で当然のように使われる、たった一つの単語・言葉も、その中には立場、利害関係などで実は意味が異なることもある。
当然と思われることを「はたしてそうだろうか」と省みることも・・・
・・・意味がなくはない・・・チャンチャン♪