高慢はXなの?

2006-09-28 14:58:27 | 高慢の定義
ここまでに、「高慢」は悪しきもの、良くないもの、Xという前提で書いてきているように思います。「怠惰」もそうです。

はたして・・・そうなのか?

いじめや傷害事件の根っこには、優越感や劣等感を潜在意識として、「高慢」があるかもしれないと思いました。
この場合、「高慢」という言葉は良くないものとして使いました。もちろん「高慢」は偏見や差別に繋がる意味の言葉で、良いものではありません。

しかし、褒める、哀れむ、慰める、恵む、施す、励ます・・・・など、対人関係の好ましい行為として使われる言葉は、意識として、優位の者から劣位のものに対して行われるのかもしれないと思うとき、それを高慢と言わないし、思わない。

また、精神的に優位になる願望は、意識・無意識かかわらずあるものでしょうし、それがなければ、競争は起こらない、従って発展や進歩、向上も見込めない。
「高慢」という言葉の意味をここまで広げると、人の心の「高慢」は、多面的。

いじめの心理どころでなく、あるときは、人種や国の優越感情、民族主義と言われるものまで大きく広がると、戦争にまで至る「高慢」もあります。

誰もが、その心にあるものとして認識する・・・現象学で言うところの「客観的に認識することから始めましょう」という教えに習って。

そう、「高慢」は誰もがあるのです。
名誉欲と「高慢」は重なる部分を持つことを知らなければならないでしょう。尊敬されたいという思いは、そのために何をなすべきか考えることに意味があります。でも、それって名誉欲と重なるし、名誉欲は「高慢」と重なる・・・

わっかるかなぁ・・・言いたいこと。

感情的に持論を押し付け説き伏せようとする人を見ると、この人の性格、何とかできないものかと考えることがありますよね・・・
一方的な理解で当然のように使われる、たった一つの単語・言葉も、その中には立場、利害関係などで実は意味が異なることもある。
当然と思われることを「はたしてそうだろうか」と省みることも・・・
・・・意味がなくはない・・・チャンチャン♪


格差社会2

2006-09-24 12:32:38 | 私見アウフヘーベン
前回の記事にコメントがいただけました。久しぶりなので嬉しくて、タイトルをパート2にします。
反応がいただけることは嬉しい限りです。ありがとうございました。


年金問題やニート問題等で所得格差が大問題となっているというコメントでした。

本当ですよね、このまま日本はどこへ向かうのでしょうか。
格差の拡大は、犯罪の多発を誘引するでしょうし・・・
海外旅行で経験するように、外出するときに身の危険を感じながら、道を歩かなければならないのでしょうか。いやなイメージです。守らなければならないのは、安心して生活できる社会と言い換えることができるのでしょうね。

多くは、自立や犯罪防止など他の記事で述べてきていますので・・・
年金問題について・・・私見です。

・国民年金は、20歳から60歳までの40年間、月額13700円の金額想定。
・運用利回りは、2.5%の平均利回りで複利運用する(今はゼロに等しいが)
・60歳から80歳まで積立て金を取り崩す。
この前提で仮計算しました。

年金制度に一切加入しないで、自分で積み立てるイメージでも良いのですが、
13700円を40年間積み立て、2.5%複利で運用したとします。
40年後の金額は1130万円です。(2.5%に不満の人は他の数字で試してみてね)
これを、20年間、毎月6万円取崩して消費するには60歳のときに必要な元本は、1122万円。

この計算と大差ないものが国民年金制度ですよね・・・
誰かのお蔭様で・・というような特別の恩恵がある制度でもありません。
普通の運用結果なので・・・

月6万円・・最低限の生活は・・自分でできる可能性を示す計算結果かもしれません・・・しかし、保険料未払いの人が多くなれば、この計算は苦しい・

もちろん、月6万円で生活は苦しいはずですから、それ以上の消費生活を望むはずです・・自営業者等は、自衛のための別の手立てを考えなければならない、というより始からそれを当てにして事業はやってない人多いとは思いますが。

給与所得者も、厚生年金共済年金の受給者も、自分で運用する仮計算をしてみればどうだろう。自助努力の積み立てを毎月いくらすればよいのかが見えてくることでしょう。


これも、公的年金制度の修正、又は対立概念を想定して、何かが生まれないだろうか、という試み・・・アウフヘーベン、じゃないけどね

でも、久しぶりに、電卓で複利計算して考える機会をいただきました。サンキュ!
まぁ、この手の問題は、書ききれないことも多いので、書いていて・・・無価値だなぁと反省しつつ・・・

格差社会

2006-09-21 12:32:42 | 私見アウフヘーベン
格差社会という言葉が、よく使われています。
主にテレビや新聞ですが、政治批判のための扇動なのでしょうが、そのまま政策論争のキーワードになれば、嫌なので・・・・

格差社会の反対の意味の言葉は何でしょう・・・・平均的、均一、格差がない社会
いいのか悪いのか、よく分からなくなりますね。
いい場合もあれば、悪い場合もある・・・・両論にね。

格差というのは、もちろん経済的な格差のことです。
努力して、通常の何倍もの努力して・・・得られるものに差がないことを良しとするはずもなく、格差を是正するとは具体的にどのようなことなのでしょうか。

この社会は、所得、資産の格差は税制で全体に再配分される仕組みを採用しています。その累進課税方式を見直すほうがよいということなのでしょうか。
適正の議論が重ねられて今日の税制がありますし、今後も可変的です。特段の大きな問題が発生しているように思えません。毎年変化していますし。

働かなければ生活できないことをより周知して、底上げする議論ではなく、常に富める者の富のプロセスを検証することなく批判する。
何も・・・導くことがない。

経済格差は、経済の発展段階においても、産業区分においても起こりうるもので、それがために、応変に対応していくものが人知であろうし、それが歴史でも。

言葉だけが独り歩きして、住みにくい社会イメージが演出されるようにも思える。

多くは・・・両論に〇X△があり、どちらかが優位となる場合にも、弱者は特例で救済措置が講じられる・・・
多くは・・・一方論の喧伝で論争し、結論に至る時間が浪費される。

私的アウフヘーベンの考え方の一つとして・・・

過債務の問題解決

2006-09-15 16:14:12 | 過債務の問題解決のために
消費者金融の問題を昨日も書きましたが、もう少し付け加えます。

多重債務という言葉があります。複数のサラ金に借入と返済を重ねることですが、いろんな場合を全部含めて、当人の経済力から考えて債務過多の状態を、過債務ということにします。

この過債務は、犯罪の原因・動機となりそうですから、その部分について・・・。

切羽詰ったお金でないのに、気軽に借りれる。
親や親戚、友人などに借りることは避けたいので、サラ金で借りる。
切羽詰ってから、親や親戚に相談する。初めからそうした方がいいのに。
そうできない親戚関係を作ったことに焦点を当ててみては?

「飲む打つ買う」に使われたことを追求する報道は、個人情報なのでそれほど表面化しません。「怠惰」が原因であることを指摘する報道も多くありません。
そうすると、サラ金の暴力的な取立てや、違法金利の方が、重大な問題と考えられてしまいます。

本当にこの問題の解決を図るためには、また、過債務が引き起こす不幸な事件や犯罪を防止するためにも、借りる人が生活改善できる方法の選択肢を提供することだと・・・思う人、賛同する人は多い・・・はず。

事後の解決策は、破綻の分岐点である過債務を数字で把握できることで抑制されるかもしれない。家計のバランスシートの健全性をテーマに、現在の所得と10年後の所得の伸び率を計算し、生活必要消費の伸びを予想し、貯蓄の可能性と許容負債金額を数字で示しておけば、借入許容金額を考えることができます。
必要額から計算する場合は、その金利での返済に何年かかるのか、残額である可処分所得のうち、生活費用が把握できれば、どの程度の消費生活が応分なのか把握できます。

これを誰かが相談ビジネスなどにするということではない。
役所に相談窓口を設けて、生活指導すればいいという話です。

過債務者のための「生活相談窓口」・・・(極一部の弁護士が有料の人助けで相談しているサラ金対策という主旨ではなく)

生活保護や各種補助金の申し込み制度が形式制度となってはいませんか?
社会保障費が、安易な権利の主張と怠惰を生み出してはいないだろうか?

規制するのではない。助けるのです。

結果として、社会保障費の安易な出費が抑えられる・・・のです!
防犯と社会保障費の削減の効果を狙えるかもしれない・・・のです!

・・・これを実現するとすれば、法改正や人材等の種々の問題が見えてくるでしょう。・・・しかし・・・やろうと思えば、きっと何かが変わる・・・


消費者金融保護育成事件2

2006-09-14 22:17:35 | 過債務の問題解決のために
同じタイトルの記事で、「消費者金融業が、この社会に何故必要なのかよく理解していない者の感想として書きます」と、書きました。
批判するには、何かしらの理由があったほうが良いとの考えで、続きを書きます。

消費者金融がなかった時代は・・・・誰にお金を借りていたのでしょうか?
親、親戚、友人・・・・でしょうね。

サラ金で、破綻状態になったところで、親や親戚に相談する、夫婦においてはその配偶者に・・・
はじめから、親や親戚に借りれば良かったんじゃないの?・・・かな?

(サラ金に借りなければ、倒産する中小企業等があって、とても助かっていると、ある国会議員さんが言っておられましたが、少しでも企業経営のいろはが分かる人には通用しない論理なので、この分野の借り手の話はボツ。)

切羽詰ったお金じゃないお金を借りている、そういう場合もあるかもね=サラ金がなければ、他の方法で、努力してお金を作るかもね=怠けを作り出す・・・そんな構造かな?

親や親戚は、一族から破綻者や犯罪者を出すことは不名誉なことなので、一族は協力する、そういう一族では安易で怠惰な生活は出来ない・・・そういう共通認識が一般的な時代がありました・・ような気がします。
サラ金が世の中にない時代です。親や親戚に借りるしかない時代です。
それによって、パワーバランスがある親子、親戚関係がありました。

と・こ・ろ・が・・・
簡単便利、知ってる人に頭を下げる必要がない、そういう貸し手が登場しました。長らく一族の中では、頭を低くして生活しなければならないことを考えると・・・
サラ金のほうが良く見えてきます・・・
同時に、親子関係や、親戚関係、又は夫婦関係、友人関係を壊したくない。迷惑をかけたくない・・・という借り手の言い訳を思いつきます。

親子・親戚という昔の「家」が、そういう流れで・・・変形してきます。
サラ金がなければ、親子関係や親戚関係が、昔に戻らないまでも、また変化するかもしれませんね。

一方・・・
一部の国会議員さんの(口外してはならない)思惑として、考えられることは、
平均1000億の経常利益を出す大手企業・・・合計すると、この業界だけで法人税は数千億(きっ・・基幹産業・・・的!)あるはずです。
大手銀行は、筆頭株主として、株価が下がることを、とても、とても・・・心配するはずです。

彼は心の中でつぶやきました。
「う~ん・・・社会的影響力・・・かぁ・・
何事も急激な法改正は・・・まぁ・・・その・・・なんだ・・その責任者になることだけは避けたい・・・そうだ・・経過措置・・・いや、特例期間の方が、恩恵を与えるような印象の言葉だから・・特例・・いい響き・・そうしよう・・・」

9年は長いと文句言うやつが出てくるから・・半分ぐらいの期間で、着地!
うぅ・・・民主主義だぁー

利用したことがない、するつもりもない議員さん・・
「ど~でも、いいですよ・・・」

ちょっと、毒舌が過ぎますね・・・反省!






弁証法的発展の社会学

2006-09-13 11:16:59 | 私見アウフヘーベン
意見対立や考えの違い、価値観の相違・・・などという言葉を聞きます。

振り返ると、歴史はその連続でした。

それが嫌でしょうがない人は、独裁的な力を求めました。
それを不可避と考える人は、多数決を良しとしました。

弁証法的発展とは、対立の次に生まれる両者の妥協案・調停案を期待するものと考えます。(この進化は止揚、揚棄、アウフヘーベンという言葉で説明されます)

ここまでの、私のブログは、通常考えられる認識に「はたしてそうだろうか?」というような疑問の余地を探る方法で書いてきたつもりです。対立意見を想定するというディベートにも似た考え方かもしれません。

この弁証法的発展論と、現象学的認識方法を組み合わせることを、次に考えました。
現象学的認識とは、はじめに判断することをやめよう、あるがままの現象、事象、事実をあるがままに認識することから始めよう・・・という、私にとっては中立的、無機質な思考を装うことでした。
物事の認識において、人は何かしらの予備知識、先入観を持って結論の想定(判断)をして、そのものを観察するものですが、それをやめましょうと意識的に努めることができるかどうか、という意味での「装う」です。

さらに、説明がしやすいように、〇X△論を述べました。
全ての事には〇X△があって、はじめから全てが〇であるもの、全てがXのものもない、と考えて、物事を観察してみましょう。そうすると、Xや△を認識してそれを〇に変えようと努力する行為が〇であろう、という説明もしました。
全ての人が、自らの存在に悲観することがないように思えるかもしれないと考えたからです。

いじめられる人、いじめられていると関係妄想する人、尊敬されたいのに蔑まれている人、どうしようもない犯罪者と思われる人、・・・、自らのXを認識しない、例えば・・優劣双方のコンプレックスから他人を従わせたいと潜在意識している自分に気が付かない人、怠けを弁解する人・・・
全ての人が、「はたしてそうだろうか」と自分を内省し、〇にするにはどうすればいいのだろうかと考えることで、前進する・・・という考え方はできないものか。

対立概念から折衷案を論理する・・・対立論双方は自らの〇X△を内省し妥協案を探るはず・・・〇に変えようとする行為を双方で認め合うという関係・・・

私見アウフヘーベンのはじまり・・・

飲酒と公務員・・・の報道

2006-09-12 16:33:05 | 時事報道放談
以前―事件報道(福岡)8/29―で、
(さて、問題はもう一つありそう・・・福岡市がそのような(懲戒免職)規則にしました。・・・ということで、他の市は?県は?多くの民間企業は?・・・・・・マスコミ批判報道の恐怖心からの拙速対応かも。)
と、書きました。

そのような方向で報道されはじめました。
全国の都道府県で、飲酒運転の厳罰規定を持つ自治体とそうでない自治体・・・

しつも~ん!
飲酒運転と酒気帯び運転の罰則に違いはあるのかな?
わき見運転の死亡事故はどうなりますか?
速度制限違反と・・・え~っと、前方不注意違反とか・・・
起きるべくして起きた飲酒運転との差はどれほど?・・・って難しいよね。

公務員は「わき見運転」「速度制限違反」はしてはならない厳罰規定かな・・・
どっちにしても、被害者のご遺族には結果は変りませんという事実を横においておくわけにも行かない。

公務員は誰でもできる仕事内容みたいですから免職は平気みたいだけど、
普通のお仕事では、余分な人材雇用していないので、クビにしたら会社つぶれる場合もあると思うけど・・・公務員と民間企業で、こういう問題において取り扱いに違いが生まれるのはいかがなものか・・・という論点。

罰を重くしていく議論は、他の犯罪の罰則との公平性から議論されるもので、軽すぎるものを是正してしまえば、それ以上は動かない。
罰則を高くすることの抑止力は少しあったみたいですね、最近は横ばいのデータがありましたが、でも、飲酒しないからでしょうか、私は罰則を知りません。
罰則の普及も必要みたいですね。
違う角度で言えば、罰金どころか被害者への損害賠償もできない事例を頻出させはしまいか・・・などの慮りもあるように・・・

自動車学校の教育プログラムから・・・という論点はすでに書きました・・・(これだと思うけど)。


飲酒運転・・・責任回避のための禁止規定つくるだけじゃ・・・まだ、いろいろな方面の議論を集めた方がいいよねぇ・・・
そう単純じゃない気がしてきました。

「公務員は公僕」で税金で生活していることをわきまえずに・・・という報道を何度も聞きますが、それぞれの役割を持って同じ社会で生活する人と職業を差別して、何かしらの対立構造を生み出すかもしれない、というような、別の問題を引き起こしかねない・・・・このままじゃ・・・公務員はマスコミ批判リスクを負う分のリターンが必要かも・・・冗談!

丸く収まる方法は・・・飲んでも酔わない酒、送迎付きスナック・・・・あほらしっ!




高慢とイジメ

2006-09-11 10:54:35 | 高慢の定義
いじめる人といじめられる人がいます。

いじめる人は、自分が「えらい」と思っているのかもしれません。
その自覚がある人、又は自覚がある時は反省するので、いじめないと反問できますが、多くのケースでは無意識に近い心理かも。
「何故そんなことをしたの?」
「あいつが生意気だったからさ!」
生意気≒高慢、と言葉を変えると分かりやすいですね・・・君も高慢だよね。

事の大小問わず(個人のケンカから国の紛争まで)、高慢が紛争の心理の、おそらく根であるかもしれません。自分の力に慢心しないで謙虚であることが、反省の美徳であることは周知のことであることからも。

「えらい」に漢字を当てはめることができないのは、偉い(立派で地位が高い等)と異なる意味で使われるように思うから。

「偉そうにする」「偉ぶる」などのように、その言動を批判する言葉があるにも拘らず、人はその気持ちをおそらく誰もが持つのかも。ちょっと罪は軽そうな言葉で「自慢」も、高慢の近所にいそうだし・・
高慢は嫌われる、と知っていながら、自分の高慢には気がつかない・・・

「弱いものいじめ」って言うけど、いじめる人は、力がある・・・?
しかし、体力、運動能力、知力、学力、親の経済力、自分の職業能力や経済力(成人)・・・これらが強いことが、いじめの主体となる原因・・・じゃないよね。
そういう客観的な力が弱いことのコンプレックスから強い人に攻撃的になる場合もあると思いますし、双方の高慢がぶつかることが紛争なのかも。
いじめの力は、自己保身の言い訳に使われる「言葉」の力・・・声の大きさと乱暴さの程度・・力じゃないか・・・

おおむね・・・、紛争の根には「高慢」がいつも潜んでいる。
紛争の当事者双方には見えないけど、第3者には見えやすい・・ちょっとironical

人には多くの力があって、イジメはその力の優劣の比較で起きることもある・・・とすれば、「相手の人権を尊重する」という「力」がないことと定義すれば・・。
「相手の人権を尊重する力は、他のあらゆる力より尊く、強い」となるのかな・・・。

「自立を目標として生きる。他人の迷惑や被害に依存する行為を自立と言わない」ということと合わせて・・・・・・


「怠惰」の定義のために

2006-09-09 12:59:17 | 怠惰の定義
犯罪の根っこは、「自立」「怠惰」「高慢」・・・なのかもしれないと書いてきました。
「自立」の次は「怠惰」
怠け者だから自立できない、高慢は精神的自立に矛盾する・・・という関係がありそうな気がするので、それぞれ独立した概念ではなく、関連する。

―怠惰の議論(8/18)―において、「怠惰を批判する」という思考から、「善なる目標設定を促す」・・・と書きました。
怠けの事例を出して犯罪の根源の論点とする立場で考えるのでなく、怠けるのは目標がないからという立場で、その善なる目標設定を促す社会環境を考えるということ。

何をしたいのか、何をなすべきなのか・・・という目標・・・。
中学、高校、大学生に聞いても、その親に聞いても、「目標を探すために勉強している」とお答えになる方がおられます。

ん~???ちょっとだけ・・言葉を足しましょうか・・・

「自立することが目標で、自立の方法を勉強しています」

シンプルでいいかも・・・でしょ?
そして、今見聞き体験することは、どんなことも自立に役立つことばかり・・・という前向き思考に。(怠け批判する必要がない)

少なくとも・・・「目標はまだない」と答えるよりマシかも、また、目標が見つからない、将来が不安だなどという発想にも繋がらない気がしますけど。

「怠惰」「怠け」を解決する目標設定について、さらに・・・、
一人ひとり話を聞いて、適性判断して、進路を指導する、という社会システムに慣れてしまうが故に、期待と異なると、その社会システム(学校教育や家庭教育、職場環境など)を批判してしまう。受身の目標であることに気が付かなくなる。

「自立することが目標で、自立の方法を勉強しています」
「親の役割は、親の愛情は・・・子を自立させることだわ・・・それが家族の幸せ、それが家族の目標よ」

個々の怠けを制約するより、善なる目標設定で行為規範を促す・・・ね!

障害がひとつ・・・
目標があっても、継続できないという怠けで劣等感に陥る・・・。
「継続」は、克己心や忍耐がイメージされ、やっぱり失望するのですが、
継続は、誰もが「獲得できる天才」「生まれた後に身につけることができる天才」
トレーニングプログラムは、探せばいくつもあるものです。

学校の教科に、
「自立教育」と「継続教育」・・・・・独立科目で・・・どう?


消費者金融保護育成事件

2006-09-08 15:20:03 | 過債務の問題解決のために
サラ金で誰かが破綻したとか、強盗に入られた事件でなく・・・
20%の金利を正当化してしまおうとしている金融庁だか自民党だかの話。

マスコミは、29.2%の出資法の上限金利までにグレーゾーンを廃止するのに、特例期間を設けるとか、段階的引き下げとかの論点で報道しておられます。

消費者金融業が、この社会に何故必要なのかよく理解していない者の感想として書きます。

コマーシャルでよく聞く上場会社で、いくつかを調べてみてください。
     
アイフル、武富士、アコム、プロミス・・・
営業収益、営業利益、税引き利益、従業員数、平均給与、金融費用、人件費、自己資本、株主構成、オーナーとその家族及び関連資産管理会社・財団等の持ち株比率と受け取り配当金・・・・・

ちなみに、オーナーの年収は、20~30億が下のほうと思います。家族や資産管理会社なども含めると、そのように推定できます。

自民党代議士だか、どなたかの主張だか知りませんが、「社会的に必要性」が高い業種であるようなおっしゃり方を聞きました。ならば、より推奨すべきと思いますが、その理由が一切見えてこない。

取引ルールも、金融業といいながら、金融市場原理に従ったものでない。
市場金利が下がっても、貸出金利は20%って・・・何?
(常識的には、市場金利又は公定歩合等に一定の利率をのせて、市場金利連動で利率を決めるべきなのに、多くの業種がそうであるように。)

他の業種で考えると、売上高に対するコストは3分の1ぐらいで、優良経営と思いますが、それで人件費出して、売上高経常利益率5%~10%程度。それが平均的かな?悪くはない内容だよね。
ところが、
上場消費者金融会社は、従業員6000人の会社が売上高経常利益率約30%!
そういう数字は、厳しい取立てで自殺に追い込んで、保険金で回収したものも含まれているのかな・・・株主にとってすばらしいビジネスモデルと賞賛されるらしい。

いや・・・もうそんな数字を並べるのはやめた!

テレビコマーシャルしてる会社は、どこも1000億以上の経常利益があるのかな、
営業収入は平均で4000億の業種ですよ。変でしょう?金利下げて倒産するかな!
市場の金利変動リスクから、制度として保護されているから、ここまでの利益が出せるんですよ。・・・という意見に、どなたか反論してみて。

逆に、ハイパーインフレで、市場金利が上昇しても20%の金利で固定するならば、サラ金は倒産しますわね。だから、市場金利連動で金利決めないと・・・

これが、犯罪や不幸な事件の起因である場合があるならば、既得権益侵害の配慮でツギハギ修正するのでなく、ご破算にして、当たり前のルール作りを考えたら・・・・・・どうかな?

問題は、駅売りスポーツ新聞などに掲載の無名のヤミ金でしょね。・・・免許・登録・資格制度の厳格な運営で悪徳は排除できるんだけどなぁ・・・普通は。
厳格じゃないんだろうな・・・知らんけど・・・。


自立(親の精神的自立)

2006-09-07 12:55:11 | 自立の定義
さて、自立という言葉の意味を考えた場合、動植物全て、全体観として、子が親から自立することなのかもしれません。また、経済的な面だけで言えばそうなるでしょう。
親は経済的にも精神的にも自立した存在と思われていることを前提に、子の自立が論じられるからです。

でも、実際はその逆も論じる必要がある・・・人間だけ?・・・動植物に言葉があれば論じるかもね・・

親が子に自立を望み、手間隙かけて育てる。手間隙かけなくてもいいような状況でも、親として顔を出す。手間隙かけなくてもいいような年齢に達しているにもかかわらず、子に代理しようとする。

実は、子から離れたくない親の心理(親として敬われたい好かれたいという自己心理を、子のために尽くす親心と大義名分する)・・・反論あるだろうなぁ・・・
その当然あるだろう親心で、子の自立を妨げることへの慮りは優先順位が低い。

親は人徳や社会的評価において、子から尊敬されるのではない場合が多いはずです。
論理を逆にしましょう・・・・
社会的に尊敬されていない親は、せめて家の中では尊敬される存在でありたい・・・言い方が酷だね、どんな親でも子から尊敬される存在でありたい。
当然ですよね。

尊敬されるために、好かれるために・・・親は子に何をするのか?
感受性を発達させるために、子が興味を持つものを買い与え、様々な場所に連れて行き見聞させる。学業の進捗に関心を持ち、その環境を充実させ、励ます。
家業がないサラリーマンの子の、親のお手伝いは炊事洗濯雑用なので、これは誰でも嫌がるので、自然とさせない(させることができない、嫌われるから)
ここまでが未成年。

就職して、子が経済的に有利だから(親の負担であるにも関わらず)実家から通勤
。パラサイト現象?ブーメラン・キッズ?

「子が一人住まいすることのメリットは家賃よりも価値がない」
と断定してるわけよね・・・子が自活能力を身に付けることが目的と認識されない。自活能力を持つ人として社会評価されることは、子にとって重要なのに・・・

料理も洗濯も掃除も、家族以外との共同生活の教訓、総合的な結果としての時間管理、金銭管理・・・・お金払って学ぼうとすれば、どれほどなのか・・・

そういうことを、ちょっと!ちょっとちょっと考えれば思い至るけど、
嫌われたくない・尊敬されたい・好かれたい親は・・・子の意見を聞く・・・「おまえ・・・どうする?」「ここからでも通えるんだから」「用心悪いから・・」「家賃払うの不経済だよ」

これじゃ・・・子が自立しないんじゃなくて、させたくない・・に、違いない。
「子の評価に依存する自立していない親」が作り出している。

諸々の家庭事情で、全ての場合でないことは言うまでもありませんが、
該当する親子関係は・・・少なくないかもしれない、と、思う。

子が親に、本当に感謝し、尊敬するするのは、今ではなく、
一人で生きていける力が身に付いたときと、
子が、さらにその子の教育を考えるとき。
・・・で、いいの・・・

自立(子の精神的自立)2

2006-09-06 10:48:12 | 自立の定義
義務教育を過ぎた年齢の子の精神的自立・・・

何故、義務教育年齢を境界にするのかという科学的根拠はありません。
ただ、以前にも書きましたように、中学校までは、「教育→教え育む:教師が主語」側に責任が大きいが、高校以上は「学問→学び問いかける:生徒が主語」に責任が大きい。・・・という私見です。制度的にも両者は必要条件と任意条件の範囲が区別されるように思えます。

さて、思春期頃から、自我の芽生えから確率される時期:学び問いかける姿勢がより重要である時期・・・と認識して話を進めましょう。

確たる将来の目標を持って生きる姿勢は、残念ながら身近に多くはない、ように見えている気がします。(少なくとも親や大人の目にはそう見えます。自身がそうであったことと照らして)
だからと言うことでもないでしょうが、亀田親子の希(まれ)に耳目が集まる、学び問いかける強い姿勢を見ているような気がします。目標を持って何かに集中する姿勢に憧れたり、賞賛したり、感動したり・・・

この学び問いかける姿勢は、その後、生涯続く・・・人もいれば、忘れる人もいます。(この学び問いかける姿勢は青春のエネルギーと言えなくもないので、若さの源と言ってもいいかも)

話を戻すと、この学びの方向付けが、精神的自立と関わることになりますね。
当然、何かのカリスマや神のような存在がいれば絶対服従で方向付けできますが、学びの方向は、個人によって、生まれ育ち家庭環境、その他接する社会環境などによっても異なります。
しかし、個人差は何かの基盤の上にあるべきもの・・・その基盤とは?

ん~っとね・・・「社会適合が結論できる行動規範」なんてのは、どうかな?
人が生きるということ・・・一人我がままに生きることで世間の嫌われ者になって、「人は人」とうそぶく生き方を自立と言わない。
周囲の迷惑や忍耐に支えられていることなので、社会に依存する度合いが高いからです。

そうね、これ!
社会に依存する行動ではないかと常に自らを反省しながら、行動しようとする姿勢が多くなれば、社会適合する・・・かも。
「自立」の反意語は「依存」・・・・・・・・・・・・・だよね。

まぁ・・・昔のおじいちゃん、おばぁちゃんは、口をそろえて言いましたよね。
「お人様に迷惑をかけちゃだめ」
それは社会に依存しているということで、自立してほしいという気持ちの表現でもあるわけで・・・

精神的自立の定義は・・・あはっ!簡単なのね。
「お人様に迷惑をかけないこと」

・・・で、周囲と、とりわけ自分を見つめてみますと・・・
あぁ~ぁ・・・・自立してない行動や言動がいっぱい・・・未成年でなくても。

相手に損害を与えたり、相手が迷惑に思うことをすることは、相手に依存して生きているということ。自立・・・分かりやすい言葉の定義にたどり着きました、ね♪

学ぶ方向はその基盤にある限り、無限に発展するもの・・・



自立(子の精神的自立)

2006-09-05 12:26:44 | 自立の定義
自立するということと、経済観念は不可分で、学校教育で生活に必要な金銭教育がない、又は少ないことを前に言及しました。そもそも、収入と所得の間に所得税他の社会制度があるにもかかわらず、制度としてあることは知っているけど、興味を持たなくてもいい社会制度ともいえます。自分で確定申告しなくてもよい人が多いという・・・。
ですから、それを知る職業の人を先生と呼び、法律に傅く(かしずく)人がいることも事実です。
ここに、金銭に関する精神的自立についての問題の根がある・・かも。

さて、精神的自立とは、そうした観点ではなく、親が子を保護している過程における子の精神的自立の論議です。

たとえ話で始めますが。
反抗期の定義は、ここで・・・ありていですが、自我の芽生えとします。子が親に自己主張するわけですね。親からの自立の芽生えと言えなくもない。
これを、好ましい成長の証しであると肯定的に接するのか、親の正しい方向付けに反抗する悪しきモノと否定的に捕らえるかで、親子の関係に影響するものでしょう。でも、これが始なのかなぁ・・・。

幼少期の自我は、多分に五感の欲求に対する抑制に対して自己主張するもので、精神的ホメオスタシス反応・・・(なぁ~んちゃって。よく知らない言葉は使わない方がいいね。)要するに、生まれてから自我があると言いたいの。
その時期に、できたことを褒めて育てるかか、できないことを折檻して育てるかということが、自我の発展に重要であること。言うまでもない・・
この時期からの人の精神的成長の過程の構造的認識の普及が、もっと、もっと、もっと必要で、特に現代は、子の教育に関して「おせっかい」だった近隣や親族などのコミュニケーションが変化して、方法論が親の知識情報レベルによって多様と言えば聞こえはいいけど、放任・・・に見える場合がある。

継続的な暴力で子を瀕死の状態にさせた親が・・・「しつけのつもりでやった」という事例を新聞等で見ることがありますが、それが言い訳として通用すると、親が思っている社会の方にも責任がないともいえない。

子の精神的自立の論議において、はじめの認識です。
親の知識情報と教養が、子の精神的自立に責任が大きいこと。
そのために社会全体が提供する知識情報が重要であること。

・・・様々な人が、この観点で活動しておられることは承知しています。
点在するそうした意思を統合できれば・・・と思う人も。

次は義務教育を過ぎた年齢の精神的自立について・・