de sole wa 正しいのか(追加)

2010-11-30 23:25:31 | 人の見方
暴言、脅迫、相手を威圧する暴力的な言動・・・

そもそも、正しいかどうかなんて考えてやっていることではない
正しいかどうか考えることができる人は、そうしない?

いいえ、
周囲で多くの人が、正しいかどうか考えないで暴言を吐いていれば
正しくないと考えにくくなる。

周囲で普通に使用されていれば、自分も良好な対人関係を壊す言動をしてしまう。

相手が怒った理由が理解できない→自分は悪くないと相手を攻撃する→さらに悪化


正しいか誤りかという判断基準が
社会全般に普及していなければならないのである。
個々人の価値判断で問題解決することは困難である。
あまねく普及した共通認識が個々人の自由を調整するのである。

その調整機能である共通認識の構築は初等教育、中等教育に始まる。

乱暴な言動が何故誤りなのか、誤りを直すにはどうすればよいのか、
というプログラムである。
特にメディアなどの影響で陥りやすい正義を盾にした不正義には注意が必要である。
誤りは規則を新たに作ることや攻撃することで直すのではない、誤りを直す方法を周囲が理解している環境を作ることである。
誤りを直す方法、被害者・加害者がある場合は特に、両者に公平で共通な権利義務の認識が必要である。学校側が個々に対症療法的な対応をしていたのでは混乱するだろうからである。被害者は、加害者は、またそれぞれの保護者は、学校は、教師は…という当事者の行動モデルが示されていることである。

学校、教師、生徒、生徒の保護者、PTA地域社会など当事者の役割(具体的アクション)が共通認識としてあること。さらにこれを継続する普及活動、というように
全体図が描かれるはずである。



「誤りを直す方法」の議論が不足しているか欠けている気がする。

de sole wa 正しいのか

2010-11-30 20:48:52 | 人の見方
ウザいんだよ

うっせい

しかとすんなよ

なめんなよ

(上下・支配関係などを示す、あるいは相手を攻撃するための言葉、という括りができるのかもしれない)

・・・・・・
コミュニケーションのための言葉である
どういう目的で使用される言葉だろう
使用される状況は?
言う者と言われる者の心理は?

自分より優位な立場の者に言うことはないはず
尊敬する人、好意を寄せる人には言わないはず
嫌われて困る場合には言わない、かもしれない

自分より力の弱いものに対して言うのかもしれない
相手を攻撃するときにも使うかもしれない
自分の力が強いことを誇示する必要がある状況で言うのかもしれない
上下支配関係があり、その上であることを誇示したいという目的がある?

言われる側の心理は、言い返すことができない上下関係にある場合
言い返すことができない心理は何か
報復、仕返し(暴力、嫌がらせなど)に対する恐怖であるが、
嫌がらせや暴力的な言動に対して、誰にでもできる対抗手段がないのかもしれない

明確な犯罪行為未満である場合の、嫌がらせ、人権侵害、暴力的言動
これらは野放しということかもしれない

新たな法を作ることで解決することではない
むしろ逆に現状の刑法をも単純化できるような道徳律



「正しいか誤りか」

暴力的、威圧的な言動・・・それは正しいか、誤りであれば直せ、となる。
直せば、それは正しくなる。

嘘と言い訳・・・それは正しいか、誤りであれば直せ、である。

「自己に不利益な供述を強要されることはない(憲:38条)」
≒自分に都合の悪い事実は隠蔽しても良い、黙秘して犯罪捜査を妨害することになってもかまわない、被害者の権利を考えなくても良い。
≒自分の権利のためには真実を隠蔽し、他人に被害を与えても良い

・・・それは正しいか、誤りであれば直せ、
「何人も、真実ではない自己に不利益な供述を強要されない」
つまり、真実を述べなければならない、と直せ、である。


何人かで議論すれば、さらに発展しそうなテーマかも

対人関係の行動規範

2010-11-30 16:34:11 | 人の見方
学問的とか難しい話じゃなくて

多くの人は、この社会で対人関係という刺激の中で生きる
そして多くの人は、対人関係をを円滑にするためにある行動規範を持つ

いや、行動規範がある・・・結果として説明できるもので、
当人はこれを意識しているとは限らない

多くのパターンを類型化して分類すると、ある特徴的な行動パターンが
浮かび上がる、はずである。


単純に、、、
「正しいと思うことを行い+誤りは直せばよい」

(他人からよく思われたいなど)社会的な立場を維持する、
そのために対人関係において責任回避することが行われる。
言い訳をして、嘘をつかなければならなくなる。

その必要をなくすためには、
「正しいことを行う」という行動規範があればよいのですが、
これがなかなか、できそうでできない・・・
人によって「正しい」ことの基準が異なる、場合もある、
という意見もあるかもしれませんが、
それは大きな要因ではない、
この社会が居住者のためにルールを作り、
そのルールを居住者であるすべての市民に教育することで
基準ができるのであって、基準があいまいであることは
市民社会の教育が不完全であることを示している。

ルールを強いることになると住み心地が悪いので、多様性を認めながら
共通認識としてのルールである必要がある。

話を戻し
正しいことと誤りであることの定義は、行動規範となりうるものです。
正しいことは行えばよいし、誤りであることが知れば直せばよい。
という単純化ができる。

市民社会の教育というのは、
正しいことなのか誤りなのかとうことに、興味・関心を持たない、理解できないために
問題が発生するという認識のもとにあればよいのではなかろうかと思う。

そりゃぁ、そうだ
誤りが理解できない場合に、その誤りを正せるはずがない。


多くの対人関係
恋人、夫婦、親子、兄弟、家族、友人、同僚、先輩・後輩、上司・部下
多くの人は様々な場面で、正しい誤りの判断をして行動している、はず。
さて、その正誤判断は
自分にとってなのか、相手にとってなのか、お互いにとってなのか・・・
法律的になのか、道義的になのか、その他の大義のためなのか・・・


何が正しいことなのか、基本的なものから複雑なものまで
そう難しいことではない

挨拶は?笑顔は?

威圧的な言動やその他の感情表現?
威圧的な身なりや服装は?

事例を並べていこうとすると
正誤判断が行われているとは思えない現状に気がつきます

学校に服装や身なりの規則があったとします。
何故この規則があるのかということでなく、
この規則を守る守らないが正誤判断になってしまう。
だから、生徒の「どうして?」に「規則だから」と返答してしまう。

正しいことと誤りであることの定義が曖昧なまま、規則を押し付けようとする。
また、時代の流れにそぐわない規則を修正しなければならないという動機も起きない。



「正しいと思うことを行い+誤りは直せばよい」

・・・深い議論に展開しそうな、ですね

テスラとタタモータのラリー

2010-11-26 00:15:21 | 防犯論議


11月からTTMとTSLAこの2銘柄のラリー

TTMは2年前から約7倍($5→$36)このひと月は$28→$36
TSLAは$20からこのひと月で$35

今週は$30超えてからは、抜きつ抜かれつ

世界中のドタバタ投資家が目標予想してるのが見える

あるテクニカル分析では、Bearish:100%-85%だけど

GMも今週からドタバタがはじまったっぽい


世界の投資家心理の希望と失望、熱狂、罵声、いろんな知識と情報を含んだ心理の変化
値動きに反映される多くの逡巡のうねり、みたいなイメージ、
世界中のたくさんの人の意思、そういうのをリアルタイムで感じる。


今月だけで外株のポートシミュレーションは1.5倍以上と思います

外は雨・・・NYは感謝祭で休日だわね
感謝 感謝
 

遺書で仕返しするいじめ自殺の事件

2010-11-24 13:55:40 | 防犯論議
命を大切にとか
いじめはやめようとか
心ない言葉で相手がどれだけ傷つくとか
周囲に相談相手がいるとかいないとか

いじめた?相手の名前を遺書に書いて自殺する
仕返し?


10人の集合の中で対人関係があるとすれば、10種類の対人関係がある。
その人にとって、好ましいものとそうでないもの
好ましいと思うのは、何かを基準に好ましいかどうかを判断していることになる
それは何か
自分にとって都合がいいかどうか、である場合
その都合は、一般的な善と悪であるとは限らない

自己中心的に相手を従えたい、というような客観の主従関係を望んで
その人との対人関係における信頼を失う場合
実は多いのではないだろうか
人は我儘で、ストレートに我儘な自分を表現できる人とできない人がいる

予備思考はこれぐらいで・・・

この種の事件は、
対人関係に問題の起源があるとすれば
その人の全ての対人関係において、善と悪の動機が常にあり、必ず正しく、好ましい関係ばかりではなく、何割かの善意と悪意に直面しているのである。

そうした対人接触がある事を前提に、人はどのようにふるまうべきか
また事後的に、関係が悪くなった場合にどのように修復すべきなのか

構造的な理解(などというようなイメージの)をして問題解決
ここからでしょうね

皇帝ダリア(Tree Dhalia)

2010-11-23 13:55:44 | まろん



”Tree Dhalia” 言い得て妙!

高さは5mぐらい?。まだ咲き始め

今日は幸いに空がきれいだったから




<皇帝ダリア>

和名:木立ダリア
英名:Tree Dhalia
キク科:多年草:花期:11月:草丈:3~5m


ふざけた話ばっかり

2010-11-22 17:07:24 | 防犯論議
法務大臣の話はひどいねぇ

話の途中をカットして結論だけ言うと
能力も意欲もない奴に給料払ってることがひどい


とにかく、この話、するだけで気分が悪くなる・・・



なので、別の話


お笑い芸人などを多く抱えている芸能プロダクションが脱税とか

芸能人が違法薬物所持使用事件でも同じですが
こういうケースでは、
所属する社員でもある芸能人の業務にはどのような影響があるのでしょう。

公共工事を引き受ける民間会社であれば、脱税事犯があれば入札参加できないはず。
そうでない場合でも、個人法人問わずマスコミは徹底的に報道して
「犯人」はまともな社会生活が営めないほど風評の影響を受ける。
規模が大きなものほど報道されるから影響は大きい
これが一般的。


でも、芸能プロダクションは社業の自粛、するでしょうか
テレビ局などがそのプロダクションの芸人や役者の使用拒否する話、あるのでしょうか

そういう点で、この業界と人は「一般」ではない、ということか


ふざけた、話だ

昔・・・小学校

2010-11-21 10:56:48 | 防犯論議
成績はトップじゃないけど悪くなく、運動能力もおそらく平均以上で、
信頼される会話能力というと変ですが自己主張や自己表現力も普通にある。
その生徒がクラス全体を見渡します。

男尊女卑の風潮があるということではないのですが、男児は能動的な言動においてリードしている。女児は比較的、受動的で、乱暴な男児に正面から対抗する姿勢はない。

乱暴な言動の男児が数人いる。学力では対抗できない相手に、主に容姿を攻撃するような
ニックネームをつけて連呼する。
ダニ、ゴキブリ、ゴリラ、ブタ、ゲジゲジ・・・いやはや、むちゃくちゃであるが、
言われた当人は一人では対抗しないので無視するが、グループごとで乱暴な男児に攻撃をする。

グループを持たない、つまり対抗できない女児がいる。
学業も運動も会話能力も平均以下で、周囲から孤立気味。
毎日嫌な思いをしているだろうけど、そうした被害者が自分ひとりでないことだけが救いであるかのように、仕方なく学校に来ている。登校拒否の方が家族や近所の攻撃があるだろうことを承知している。

悪口ばかりの乱暴な男児は、学業成績の最上位のものには向かってこない、そこに劣等感情の起源があるからかもしれない、向かってくれば攻撃されることも承知しているだろうし。
自分に向ってこないから、その乱暴な男児を攻撃することもない。彼の言動を傍観しているだけ。醜悪な言動で攻撃される女児を助けようとはしない。守りに行けば男女の関係を冷やかされる懸念もある。

50も過ぎて、小学校の教室を思い起こすと、自己嫌悪の悔しい思いをする。
対人関係のパワーバランスは意味や内容が変わっても、客観視できることだけが違うかもしれないが、人は大きな成長をしているとは思えない。
正義って何だろうと思う。何故困っている人を救えないのだろうか、乱暴な男児が攻撃対象とした女児の容姿や性格に、同じような感想を抱いていると思えなくもない。
助けなければ共犯なのに。

虐げられた環境では、学校本来の目的でもある学びの姿勢が育つことは難しい。
勉強以前に学校という環境に興味がなくなる。

嫌な風景です。






対人関係の戦術

2010-11-21 00:36:44 | 防犯論議
戦術というと、戦う意味なんでしょうが、
テクニックとか方法みたいな意味に近いかも

例えば、
中国があれをしてきたから、日本はこうするべきだ、とかいう議論があります。そもそもは両国が円滑な関係を継続するために何をすべきなのか、という共通認識が出発点にあり、問題が発生した場合の対処方法を議論する。という手順が通常は考えられるわけで、その議論の方法やプロセスを公開で行う。
両者の戦術・戦略、努力や苦悩が衝突するわけで、その経過を両国民が議論する。

戦争放棄という政治のあり方は、紛争の解決は武力を持って行わないと宣言しているのであって、日米同盟下で米軍と共同することが予想される有事が発生した場合、これは武力で紛争を解決することであって、憲法論議になるのかもしれない。
ある政治哲学者の論と思いますが、「戦争は政治の最大の失敗」
戦争のために日米関係を構築するのでなく、その関係があることで戦争にならないようにすることであることは論をまたない。

相手を知る努力も必要である。何十年も恨みと憎しみの歴史教育をすれば、その国民の行動予測はできるはずである。その国民を相手とする場合の言動とは何か、という認識判断が政治であるはずです。

さて、
この例えばなしと同様に、いじめの対人関係を考えてみると
紛争にならないための努力とは何か
相手に嫌がられない言動とは何か
相手に嫌がられてしまった場合にはどのように修復するのか、
対人関係の修復にはどのような方法があるのか

対人関係において紛争・衝突があるのは当たり前。衝突の内容で区別されるものでもあるかもしれませんが、衝突・考えの違いは好ましいことでもあることを承知したうえで、
個々人は大なり小なり自己中心・我儘であるはずだから
相手に服従することが苦痛やストレスでない関係以外は衝突の可能性があるはず。
だから、この衝突を回避する方法が明確であることが求められる。
それが法律や規則、道徳、倫理、社会生活上の習慣が市民社会の住人の自由の調整機能である。

で、各論の議論で出来上がった総論としての規制や法律であるが、これを逆流して、各論が総論の規制を守るかどうかという議論に変化する。
つまり、人は自由で豊かな人生を過ごすために、各人の自由を調整する必要があると気が付く、これが法律や社会制度ですが、各人はこの法律や制度を守るかどうかという問題を抱えているという意味です。

さらにさらにそもそもは、
いじめの対人関係の議論になる。自分の我儘のために他人を犠牲にする。
これを対人関係を調整するのは、大げさな法律論ではなく、道徳や倫理、社会生活上の習慣なのかもしれない。単純にいじめてはいけないを、当事者が責任回避のために言い続けるだけの外観ではいけないことは学習している。
では何か、という議論である。

関係者全員の共通認識になるような市民哲学

いずれ、たどりつくと信じてますが

いじめの結果検証を

2010-11-19 21:01:23 | 防犯論議
ほとんど多くの人は、おそらく、加害と被害、両方あるのでは

容姿や言動などをからかう、いやなニックネームでさげすむ
無視する・・・まぁたくさんあるでしょうが、キリがないから、
相手が嫌がる、好まないことを承知していて、あえて行う。
相手が嫌がるから、「いやがらせ」

自分が尊敬している人や、好きな人にはしない
優劣比較ができる何かにおいて自分が優位に立てる相手を対象にする
自分より消極的、反撃してこない相手、
極論、暴力的な言動など支配関係を作ろうとする者

こうした行為を、どのように修正できるのか

優劣の感情は、いわば生きる生存のための本能的な部分もある
優が生存して種が継がれるという自然である

ところが、人は社会的動物でもあるので、弱者とも共存共栄を図ることを善とする考えを持つ(ことがある)。いかなる文明社会においても。

国の教育制度は総論として、人の本能と理性を承知したうえで、社会生活に適合して人生を過ごすことが、総論として正しい。
たとえば、全体利益という立場で制度や思想が構築されるはず。


さて、タイトルにそって・・・
その人の容姿や言動をからかうこととなるニックネームは
たとえば小学校などのクラスで全体に伝播するとしよう。
罪の意識は誰にもない外観である。
当人は内心で大変傷ついているが、クラス全体が相手である、好きな人も嫌いな人もその嫌なニックネームで自分を呼ぶので、何も言えない状況が作られる。抵抗しようものならさらに別の攻撃が来ることを予想するからでもある。
「こいつ、怒ってんの」「○○のくせに、何キレてるんや」
言わんほうがまし。

その人が大変な嫌悪感を抱くこの状況を改善する方法は何か?

「あの子、そんなに嫌がってるって知らなかったよ」
「いつもニコニコしてたよ」

・・・ブタやゴリラ、爬虫類などのニックネームで呼んでいても
加害者と教師はそのような言葉を発する。恥ずかしくもなくである。

いじめられた人が学びの姿勢を損なわれる状況になる。
成績不振でますます将来の可能性が狭くなる。
加害者は「いやがらせ」をしただけでも、
当人は人生のベクトルが変わる(可能性がある)。

嫌がることはやめようとか、人権侵害だから禁止などということでは済まなくなる。
もちろん社会は大きなストレス社会だから、多少の摩擦がストレス耐性を高める、という論理もあるが、だから放置するのでなく、問題が発生した時の解決方法、対応方法を学べる環境がなければならないはず。
(関係各人がどのように能動的に参加する形態で問題解決するのか、この部分に現代社会の逡巡があるかもしれない)

人はたぶん、自分が支配できる(言うことを利かせることができる)相手を作ろうとする。人の誤った自尊意識、プライドであるように考えます。

何かを改善、修正、悪いところを治療するには、その症状を分析して
病気の原因や場所を明らかにして治療、改善、修正するはず。

様々ないじめの事例研究があって、要因分析があって、治療方法が開発できる。

教育制度とは、そうした基礎研究の蓄積のうえにある、であるべきなのだが、どうも、現状は対症療法的で、責任回避的のように・・・
問題解決の悪い事例ですら、多くのデータ蓄積があれば役に立つが、隠蔽と責任回避的環境では、それも望めない。


いろんな意味で、残念な、ような・・・

いじめの加害者は

2010-11-18 18:23:03 | 防犯論議
学校でのいじめの被害者とその親
①いじめられていることを親に報告:する場合としない場合がある。
②親は学校に事件の調査と問題解決依頼:する場合としない場合がある

様々なケースがある
①しない場合
・告げ口の報復に対する恐怖
・人権侵害行為や脅迫による犯罪加担の重大性認識の欠如
・学校や親の問題解決能力に対する不安
・加害者、加害行為の是正プログラムがないことの不信
・事件に対する当事者全員の共通認識(加害者・被害者とその親族、学校関係者全員、当事者ではないが共通認識を持つ必要がある生徒全員)

②しない場合
・個別事案での親の行為規範や義務の明示がないので、何をするべきかは個々の親の判断となっている。従って、親の関心の度合いだけでなく、時間的経済的環境の違いによって対応が統一されない。
・学校関係者側に事件を隠ぺいすることによる利益が排除されていない。従って調査依頼に対する対応に不信感や不誠実が起きる。学校の自発的問題解決力の欠如に初めから失望している。論理的な事実認識と保護者の恐喝的な言動を明確に区別する就学生徒を持つ保護者の権利義務などを規定する契約が不在であること。



さて、
加害生徒とその保護者の行為規範は何か
・被害生徒に謝罪する・・・・いかなる状況(事実調査と認定プロセスを経て)で、いつまでに、どこで、誰(親と加害生徒と担当有責教員)が、などが不明である。
・謝罪の形態:単に口頭で親が加害生徒を連れて謝罪すれば済むのか、再発防止を第三者を入れて明示させるほうがよいのか、損害がある場合の賠償規定
・個別事案によって、保護者の経済力によって損害賠償額が異なることがないような方法はないか。

さてさて、
そもそも、何故いじめたのか、何故いじめられたのか
怠けや努力不足による学力不振である人の心理は、バカにされたくない、なめられたくない、という自然発生的な自尊意識から、学力以外で自分より下位の者、支配できる者を作ろうとする。暴力的な言葉と行為。
又は、逆に学力優秀で相手の過ちを過度に攻撃するという、マスコミが植え付けているかもしれない「正義感」という名の下の弱者攻撃、いじめである。必要な正義は過ちを相手に認識させたうえで是正させる方法や人格の社会性であろう。

人を観察する場合、何かしらの劣等感から、負けまいと相手に攻撃的になる。脅迫的な
言葉と行為によって。怠け者とバカほどプライドが高いとは、そうした観察から思いつくものなんでしょう。これを客観視する教育方法があったとしましょう。
人権侵害の言動の抑止として、怠け者、バカと思われたくないという動機を醸成するかもしれない。

やることいっぱいありすぎで、いろんな議論がなされていることも理解しているつもりですが、
市民社会に鳥瞰的な視線で国全体の教育制度のあり方
学校と生徒及び保護者の権利義務についてその行使のルールのあり方
人権教育という重要課題のあり方(授業なのか規則なのか)

おしなりタワー見学

2010-11-03 19:09:59 | 無題
今日は下り車線渋滞予想なので、上り車線方向で何か・・・

押上駅周辺はスカイツリー工事中
相当広範囲で工事フェンスだらけ

なんだけど・・・
工事現場周辺は見物の人が多い

ツリーのかなり近くから写メすると、こんな感じです。
かなり迫力ある^^

弱さと強さ

2010-11-03 09:58:54 | 無題
イメージは・・・小学校でも中学校でも、高校でもいいけど

暴力的な言動

学業成績はどちらかというと、悪い

学業成績が悪い理由は、様々な理由がある、中に怠けがある。
できる人もできない人も怠けはある。

この怠けを指摘されると自尊心が傷つけられる。
恥ずかしいこと、言い逃れできないことなので、そうではないようにふるまう。
嘘と言い訳をすることになる。

成績が悪い:馬鹿である、勉強しない、怠けものである
そう思われることが恥ずかしい

体調が悪い、家族や友人との人間関係が悪い、親の理解が悪い、教師の教え方が悪い

自分以外のものに責任転嫁し始める

でも、結果が変わらないから、馬鹿にされないようにという妄想心理のめばえから、
相手を威嚇するなど暴力的な言動。

学業以外で優位性を示そうと努力するという方向もあるが、
どうしても対人関係の優劣に拘る性格は隠せない。

弱さは、愚かさや怠けを隠そうと必死:相手や周囲の人に馬鹿にされたくない。言い訳、嘘をつくことになる。暴力的言動の人格に、周囲は関わりを避けるので間違いなく攻撃を受けることは少なくなる。これが強さの誤解であることを、教育は示せていないかもしれない。事件が起きた後の対症療法は時間もかかるし、強さの誤解は仲間を増やし、禍根は絶えない。

強さは、愚かさや怠けを自覚した時、これを隠すのでなく、それ以前に、これを直そうとする。自分自身の対内面作業である。
人にどのような評価を受けるかは自分で決めることのできないもの。自分で決めることができるのは継続や努力の意思であり、評価はその過不足の自覚であろう。


いかにも反社会的である服装や言動は、多くの人を威圧する場合がある。
これを自覚、意図している者もいる。
弱さを隠すための行動であるという自覚をしたときに、これを直そうとする行為が強さであろうことを説明できないものであろうか

そうした行為・言動を、人が本能的に隠そうとする弱さであろうという視点は、
議論としてはあるかもしれない

正しく生きる

2010-11-02 14:09:25 | 防犯論議
親が子に伝える
夫や妻が相手に求めること

教師が生徒に
経営者が従業員に

ただ単純に正しくありなさい、ということではない

「正しさ」の定義がある
具体的であればなおよいでしょうが、
嘘を言ってはならない、騙してはならない、盗んではならない
自己の利益のみで行動してはならない
責任逃れ、言い訳、嘘、騙し、怠け
怠けを隠すために言う嘘、
根拠なく「馬鹿にされたくない」だけの
誤った自尊意識による言動で相手を攻撃する言動

正しく生きることは
自己の行動分析が必要ですね

自己分析なので
人に言われるより、自分で気がついて



正しく生きる

スキャナーの使い方教えて下さいませんか

2010-11-01 16:02:28 | 無題
先月、ビッグサイトで展示会に行く機会がありまして
そこで
NEXXという会社の商品に興味を持ったわけですが

いろいろなタイプのスキャナーがありましたが

個人ユーズで、値が安いものということで

名刺スキャン
http://nexx.co.jp/%e8%a3%bd%e5%93%81/worldcard-color/

ペンタイプのものも買いましたが
http://nexx.co.jp/%e8%a3%bd%e5%93%81/miniscaneye-3/

機能は予想以上、
文字情報をワードやエクセルに取り込めるので便利ですが、
そこまで。

量にもよりますが、手作業で書き写すことと、大きな差があるだろうか
外国語が苦手な私だと、外国語のスキャンはすごいけど
それをどうする?が思いつかない・・・

名刺スキャンは、確かにすごい
年賀状ソフトなどへ、作成した住所録をexportできる

何か、他にないかな・・・

代理店になって、売る・・・これも

もっと他に、使い道ないかな