馬鹿ほど高い・・・・馬鹿だから高い・・・プライド
さて、馬鹿とは何か?
勉学を怠けて、社会生活を営むに必要な知識が少ない者
勉学、学習、修練など様々な表現がありましょうが、
様々な教育制度がこの社会ではあるはずで、そこでは学ぶ機会は多い・・・はず
通常の興味関心や感受性・好奇心などをもって学べば、相応の職業に就き
相応の収入が得られる・・・はず
これらの「はず」がかなわなかった人・・・^^
怠けがことの始まりなんですが、この人たちは、いや、比率の大小はあっても、すべての人の心にある。といった方が適切で謙虚かもしれませんね^^
怠けると・・・怠けを隠したいので、言い訳やウソをつく、怠けていない、と。
勉強の成績が悪いのは、努力が足りないのではなく、この面での才能がないと
とにかく、馬鹿といわれたくないから、何かの言い訳を考える。
馬鹿と言わせないための暴力的言動や態度で相手を委縮させ、とにかく馬鹿にされることを嫌い、馬鹿にした者に対しては、自分が正義であるかのように攻撃的になる。攻撃的自体が正義ではないにもかかわらず、事の始まりが自分の怠けであっても・・・
馬鹿にされたくない、なめられたくない?認めてほしい?愛されたい?
・・・怠けに始まる心情は延々と複雑に多様化していく・・・
一方、
むしろ、通常の学びを成した者には、プライドがあるはず・・・かも
努力の量が多ければ多いほど、そのプライドが高くてもいいの・・・かも
しかし、学べば学ぶほどプライドという意識は薄まっていくようにも思えます。
くだらないと思うようになる・・・のかも
プライドの定義は、いろいろ考えられますが、他者に比して優れたることが根底にあると考えるならば、平穏な社会生活を営むには支障となる可能性もありそうである。偉そうに自慢すると仲間外れになります。相手のプライドを傷つけるから
また、排他的な職業意識としてこれに専念する姿勢をプライドと称することもある。この意味では、あるべき好ましきものとして通用しているかもしれない。
暴力的な事件が毎日のように起きて、
犯人の心理が毎日テレビなんかで議論される・・・
・・・そういうのって、もっと元の部分で共通点とか傾向とか・・・
勉学に打ち込む時期は、人によってその適した時期が違うんだろうと思う。
国家の教育として、年齢で全体的、平均的な教育を行う制度では、これに適合しない者を怠け者や落伍者としてバッサリ切断するしかないかもしれないけど、
その時期が遅れる人がいて当たり前で、愚かでも怠けでもない、という教育や学問の認識がもっと強くなってもいい。
言葉を早く覚える赤ちゃん、おむつが早く取れる赤ちゃん・・・そうじゃなかった赤ちゃんが社会生活で落伍者となることは、考えにくいよね・・・
こういうのの拡大解釈的な教育議論・・・かも
ついつい長い独り言となりました・・・^^
さて、馬鹿とは何か?
勉学を怠けて、社会生活を営むに必要な知識が少ない者
勉学、学習、修練など様々な表現がありましょうが、
様々な教育制度がこの社会ではあるはずで、そこでは学ぶ機会は多い・・・はず
通常の興味関心や感受性・好奇心などをもって学べば、相応の職業に就き
相応の収入が得られる・・・はず
これらの「はず」がかなわなかった人・・・^^
怠けがことの始まりなんですが、この人たちは、いや、比率の大小はあっても、すべての人の心にある。といった方が適切で謙虚かもしれませんね^^
怠けると・・・怠けを隠したいので、言い訳やウソをつく、怠けていない、と。
勉強の成績が悪いのは、努力が足りないのではなく、この面での才能がないと
とにかく、馬鹿といわれたくないから、何かの言い訳を考える。
馬鹿と言わせないための暴力的言動や態度で相手を委縮させ、とにかく馬鹿にされることを嫌い、馬鹿にした者に対しては、自分が正義であるかのように攻撃的になる。攻撃的自体が正義ではないにもかかわらず、事の始まりが自分の怠けであっても・・・
馬鹿にされたくない、なめられたくない?認めてほしい?愛されたい?
・・・怠けに始まる心情は延々と複雑に多様化していく・・・
一方、
むしろ、通常の学びを成した者には、プライドがあるはず・・・かも
努力の量が多ければ多いほど、そのプライドが高くてもいいの・・・かも
しかし、学べば学ぶほどプライドという意識は薄まっていくようにも思えます。
くだらないと思うようになる・・・のかも
プライドの定義は、いろいろ考えられますが、他者に比して優れたることが根底にあると考えるならば、平穏な社会生活を営むには支障となる可能性もありそうである。偉そうに自慢すると仲間外れになります。相手のプライドを傷つけるから
また、排他的な職業意識としてこれに専念する姿勢をプライドと称することもある。この意味では、あるべき好ましきものとして通用しているかもしれない。
暴力的な事件が毎日のように起きて、
犯人の心理が毎日テレビなんかで議論される・・・
・・・そういうのって、もっと元の部分で共通点とか傾向とか・・・
勉学に打ち込む時期は、人によってその適した時期が違うんだろうと思う。
国家の教育として、年齢で全体的、平均的な教育を行う制度では、これに適合しない者を怠け者や落伍者としてバッサリ切断するしかないかもしれないけど、
その時期が遅れる人がいて当たり前で、愚かでも怠けでもない、という教育や学問の認識がもっと強くなってもいい。
言葉を早く覚える赤ちゃん、おむつが早く取れる赤ちゃん・・・そうじゃなかった赤ちゃんが社会生活で落伍者となることは、考えにくいよね・・・
こういうのの拡大解釈的な教育議論・・・かも
ついつい長い独り言となりました・・・^^