人の見方:子の教育方針

2010-12-12 18:30:00 | 人の見方
子の教育方針

わからん

わかりません

親が子を教育・・・教え育む・・・

食に関する知識はそうかもしれない、機会が多いですから
ただし、食の知識の範囲の広さは並みじゃない
掃除や洗濯、整理整頓、
貯蓄、消費
対人関係

妻と夫がいい争いまでする教育方針とは・・・
そういうことじゃない?

人に迷惑をかけない
嘘をつかない
挨拶をする
盗まない

できる人は言う権利あるけど

どこの塾や学校に行かせるかとか、
学ぶ姿勢の有無を議論する前に、世間体の議論になりかねない


進路指導?
これができる親がどれほどいるものでしょう



さぁ・・・て
年齢ごとに家庭教育のマニュアルみたいなものがあるといいかもしれない
(マニュアルなどという表現はどうかわかりませんが)
押しつけがましいものであってはならない
学校教育と協働していなければならない
単に客観的な、統計数値の羅列でもかまわない

栄養学的、生物学的、医学的な食育、体育
好ましい対人関係のための言動
社会教育としての権利義務に関する議論
・・・
そこまで難しいものだと普及しないので
年齢に応じた食事習慣や健康に関する知識の基礎的なもの
地域社会との関係においては、例えば
留守番などの年齢ルールなどがあると、世間の監視も働きます
ネグレクトの監視や通報については現状に問題があるにもかかわらず
変えようとしない精神構造にもメスを入れることができるはず。
家庭教育を変えるには地域社会の役割もということです。

教育方針で夫婦が互いに恨みや嫌悪感を抱くほど暴力的な言動をすること自体
教育の意味が不明

そういう視点の人、その視点が変わらない人
観察点はそういう部分でしょうか


人の見方:親族問題(追加)

2010-12-11 09:33:35 | 人の見方
親族問題

家族の問題の多くは・・・経済的な原因
金があれば解決できる?
金がないことが原因である場合と、あることが原因の場合?
もつれた糸をほぐすように問題を解決するという思考では
金が原因で問題が発生するかどうかは、当事者同士のの関係が良好であるか否か
家族の中で関係が良好であるか否かは、どこに起因があるのだろう
支配関係、主従関係・・・自尊意識、プライド、存在感、

問題の表面的な原因が何であれ、それが解決できるかどうかは
当人同士の関係にある。
自分が優位であると思っているものが劣位の者に自尊心を傷つけるような振舞いをされた
さて、優位と劣位とは何か
親と子は?夫と妻は?長男と二男は?長女と次女は?
経済力がある者とない者
社会的地位のある者とない者

果たすべき役割がある、これを果たさないことが原因で人間関係が悪くなる
・親の役割、子の役割は何かという議論は、市井の習慣で伝承されてきている気がする。
 市井の習慣が社会生活の適合を目的に練り上げて伝承されていると考えるならば
 これが法律に昇華しているかもしれない。
 しかし、共同体の利益という社会生活適合が善であるという共通認識が薄れている
 、その度合いや、社会全体に与える影響の度合いが今日変化してきている。
 その認識のもとでは、再度これら親子、広くは親族の関係における枠割の定義、権利義務
 の明確化が必要で、また常に修正と変化が当然である。
 社会風潮の変化の原因は、その時代によって様々な議論がされるでしょうが、今日的には
 「物質的生活」を中心的問題として考えなくても生きていける度合いが高まると、ルールが変 わる。狩猟、農耕を考えなくても親の財産で生きていけるから、狩猟や農耕のルールを知らな くても生きていける者が出現することになる。

 話がそれた・・・

親の役割?
 子が自立するまで物理的精神的な養育をする。
何歳まで?
 18歳まで、義務教育終了まで?
大学は?
 本人の生活力を高め、家族全体の社会的立場を高めることにもなるので、必要性が認識
 本人の意思があることが条件
結婚は?
 親が費用を負担する習慣は、一族内の財産管理面から習慣としてある部分
 資金がない親はどうするのか、ある親とない親の子が結婚したら?
家を建築?
 親に使いきれない財産がる場合、子の住宅建設資金を補助する。
 資金がなければ関係がどうかなるのか?

孫やその後の世代においても経済共同体である家族が形成される。


書きながら、関連テーマが次々と浮かんでくるからキリがなくなってきました。
ヤメ

人の見方:親族問題

2010-12-10 19:17:10 | 人の見方
親族問題

夫婦であれば、両家の親族

扶養義務、それほど積極的なものでないような響きですが、本国の実家に仕送りするために日本人と結婚した、みたいなケースもあることはある。
それは「家・家族」のあり方自体が異なるかもしれません。
10人10通りと承知しながら、適切か不適切かで判断するのかもしれません。

個別のケースごとに、扶養・介護の場合、相続の場合、一般的社交としてルールなど・・・
これを議論するのでなく、

問題は発生するもの、
妻や夫が、そのときに迷ったり悩んだりする。
お互いに、独断ではなく、相談して問題を解決するには、双方にその資質がなければできません。

いらついて、暴力的な言動で問題解決しようとすることが・・・ままある、ものなのだと心得る。

だから、そうならないようにするには、二人はどのように話べきなのか
・・・というような思考を持てば、いくらかは違いがある気がします。

暴力的や抑圧的な態度や言動で問題は解決しない。さらなる禍根が残る。

理性的な問題解決とは何か?

そういう思考ができるかどうかという視点の人間観察、と、自省。




親族問題など、個別ケースの法律問題を研究して、いくらかは詳しいと思っている人も、
問題発生の予防は何か、ということを議論したいものですね

人の見方:趣味

2010-12-09 23:35:43 | 人の見方
趣味

いろんな物の収集
いろんな物の制作
音楽・絵画など芸術関係
旅行
スポーツ
読書
・・・

たくさんあるはず

ある人にはつまらないものでも、その人にとっては大切なものであったり

それでも、
価値が高いものとそうでないものがありそうです
その判断基準はなんでしょう

魅力的である趣味・・・
自分自身が満足すること
人がうらやむほどの内容
美的である
多くの人を喜ばせるもの
感動的
・・・

自己満足はあるが他人には迷惑
一般的に美的でない内容
利己的である
自慢が目的、自慢が過ぎて迷惑なもの
・・・


取り組み方、姿勢を見ているだけでも
その人が分かります

人の見方:愛情表現

2010-12-08 16:50:14 | 人の見方
愛情表現の方法、人によって、相手によって、関係によって、違うんでしょうか


その人のことが、好きで好きで、何でもかんでも、とにかく好き
その人のためなら何でもしてあげたい
その人は「愛してる」と言うのでしょうか

ストーカーも、確かそういう心理と思いますが、それって愛情?
独占欲、支配欲・・・どっちかって言うと、そういう・・・

しかし、確かに愛情表現には結婚を申し込む、という形があるわけですが
結婚という制度によって、他の人を愛することに制約を与える。
相手を束縛することで、独占欲、支配欲のようなものを充足させる。
と、言えなくもない。

どうも、愛情表現は様々な角度からの説明がありそうです。
何かに焦点を絞り込む必要がありそうです。

好きになっている相手がいる。
好きな人には自分を犠牲にしても何かをしてあげたいと思う。
プレゼント、相手が喜びそうな金品?
百の褒め言葉があっても、生活するための金品がない。
甘い言葉はないけど、経済的な苦労が一切ない。
愛情は具体性がないとね。

はたまた、少なくともこの議論は、経済的な問題がなく、生活環境の充足がある、
という前提で考えることなんでしょうね。

お金がすべてではない、と言いますが、程度の問題です。
ただし、経済力のあるなしは、将来も含めてのことで、
財産は労働の成果として蓄積していくものなので、現在それがなくても
勤勉であれば条件を満たしている。
つまり、勤勉は財産なのである。

まとめ
その人を幸せにしたいと思えば、生活力、経済力が必要で、それは勤勉が産みだすもの。

したがって、勤勉が愛情表現と言い得る。


どんなものでも例外はあるのですが、

言葉で愛を繰り返しても、怠け者は相手を幸せにできません。


「愛情表現は勤勉」
ここから議論は始まる。
その視点で、相手の人と自分を考えること




人の見方・コミュニケーション力

2010-12-08 12:19:11 | 人の見方
コミュニケーション力

漫才だけじゃなく普通の会話においても、ボケとツッコミ、あります。
ボケは相方のツッコミがあるものとしてボケます。
ボケたのにツッコミがないと、会話やその場の空気がぎくしゃくすることがあります。


ボケとツッコミ両者に「了解」があるわけです。
こうきたらこうやって返すよ、みたいな了解です。

コミュニケーションはこの「了解」があるとないで、姿かたちも内容も変わります。

信頼とか相互理解とか、相手を理解しているわけですね。

もちろん、初対面の相手との会話でも、
相手の意図を読み取って、言葉を返すのです。

この・・・「了解」や相手の意図を読み取ることがコミュニケーションなんでしょう
コミュニケーションというより、対話とか会話なのかもしれません。

自分の言いたいことだけ言うとか、相手の気持ちを無視して主張することと比較して
尺度を「良好さ」とするならば、良好さの度合いが低いと言えるかもしれません。

人の見方、あるいは、人の見え方という視点では
良好な対話・会話ができるかどうか
良好な対話・会話のための「了解」「相互理解」があるかどうか
「了解」「相互理解」があるためには、どのような関係構築が必要か
それは、おおざっぱには、相手を傷つけるような言動をしないということか・・・

などと、どんどん根の先を探すように掘り下げていくと、
相手だけでなく自分も見えてくるはず、
こうしたい、こうあるべきだ、というような自省でしょうか

では、会話、言葉での表現力というのは、人によって違う
上手な人とそうでない人、上手な人が良い人とは限りません。
口下手でも良い人はたくさんいます。

相手の意図を読み取るのは言葉だけではないということを承知しておくことになります。
弁舌が巧みな人、魅力的ですが、表面ではなく、その真意に善悪があること、
であれば、言葉足らずの自己主張であっても、大切なのはその真意である。

人を知る、というのは、そういう思考で体験を重ねることなんでしょうね




相手の何を見ているのか(追加)

2010-12-06 19:17:22 | 人の見方
その人の中身が、たいへん良く分かることの一つで・・・

「後片付け」ができること


ご飯粒だらけの食後の茶碗、食い散らかしの料理・・・
上手に食べれないということがばれるのでなく、食い散らかした魚や料理をそのままにしてあっても平気であるということが分かってしまう。

食後の後片づけ、食器洗い・・・できるといいはず

部屋の掃除、トイレ掃除、ゴミ出し、洗濯(乾す、たたむ)・・・全部です、整理整頓!
親がしてくれたから、やったことがない?
度を過ぎる潔癖症もあるらしいけど、常識的な生活知識と技能はあるほうがいいね

対人関係のごたごたをまとめるのも後片付けといいますが、
自分に非があるときにも謝れない
相手が困っているのに、助けない
こういうのも、後片付けかもしれませんね

仕事の能力もそうですが、後片付けの上手な人、仕事の内容もいいはずです。

次元があまりに幼稚なんですが、
食事作法や衣類の着替え物の始末、
幼稚園児レベルの成人がいるそうです。

身なりは立派な社会人なのに・・・



で、デートとか婚前に両親に挨拶とか、お食事をしますね
言葉で立派なことを言う言わない、という人物評価までたどり着かないんです
社会的立場があればなおさら、食事作法や後片付けが気になります。

作った人に感謝とは言いますが、実際は、会食の相手に感謝の気持ちということでしょう
会食相手の人が気持ちよく食事ができるように気配りするのは、
その人に感謝の気持ちがあるからですよね


相手の何を見ているのか

2010-12-05 22:05:21 | 人の見方
例えば・・・

・生活習慣
・コミュニケーション力
・愛情表現
・趣味
・親族問題
・子の教育方針
・収入所得、貯蓄、消費など


生活習慣から・・・

結婚してから尊敬の気持ちが強くなるのは

家事などの怠けや生活力の低さに失望する・・・ことがあるかもしれない
であれば、怠け者でないこと、生活力があること、である相手を見たとき。

生活力というのは大切で、そもそもは小中学校レベルの理科とかの理解力かも
壊れた物を修理できること
電化製品や機械の操作など普通のことが普通にできるなど
鋸やペンチ、ハンマー、ドライバーなど、体験や知識がなくて使えない人
・・・相手がそういう人だとわかったらどうしましょう。


植物を育てる、動物を飼うなどは、そうとう複雑になる。
その人の感情、情緒などが現れるだけでなく、生き物を育てる知識の有無は
責任感や管理能力なども見えてくる。
逆に、知識もなく、自分では世話もできないのに、動植物をかわいがる自分自身に満足するためであったり、人に見せるためであったり
・・・相手がこういう人だということが後で分ったらどうしましょう。


食事の作法は、それなりに見えてくる
食の知識、食べる作法、好き嫌い、会食の礼儀など
料理ができることは普通の生活力なのです。
特に、作った人との会話あるといいですね
料理を作っても、会話なし・・・いやなものです。
・・・相手がそういう人だとわかったらどうしましょう。


外食して、何かが気に入らなくて、店員を脅すような言動をする人がいたとします。
どこでも、同じことをしますよね、この人。
不幸にして会社で能力が認められないで、怒鳴られてばかりの人が、劣等感なんでしょうか
、喫茶店でウェイトレスにソースがないと怒鳴ってる人を見たことがあります。
・・・相手がそういう人だとわかったらどうしましょう。



様々な生活場面で見えてくるのは、
人に思いやりのこころ
興味・関心を持つ感受性と向上心


お金があっても怠け者
行動が伴わない口先だけの相手
嘘と言い訳を何度も繰り返す
・・・相手がそういう人だとわかったらどうしましょう。



相手のダメを観察するだけでなく、自分が言える立場でなければならない
相手にそうした部分を指摘して修正させることができる関係、
説得する気持ちや能力がある人

そこが着地でしょうか

問題の解決の考え方の・・・

2010-12-03 11:53:04 | 人の見方
恋人、夫婦・・・

約束事、ルール
あるべき姿
接し方
コミュニケーション
愛し方
話し方
・・・

陥りやすい考え方なんですが、
一段上から理想を説くみたいな結果になってしまうことがありますね

違う角度から見る、ということを意識して考えるとどうなるか


1.夫婦間に想定できる問題を羅列してみる。
2.問題解決の方法をシミュレートする。


例えば・・・

・生活習慣
・コミュニケーション力
・愛情表現
・趣味
・親族問題
・子の教育方針
・収入所得、貯蓄、消費など

これらをさらに細分化して
衝突、意見の相違は「あるもの」「あって当たり前」として考えることが合理かも。

「一致する人」が夫婦になるのではなく
「違いを受容できる人」が、問題は解決するためにあると考える・・・

たいていの人と、上手に付き合う方法かも  ^^


de sole wa 正しいのか(追加)

2010-11-30 23:25:31 | 人の見方
暴言、脅迫、相手を威圧する暴力的な言動・・・

そもそも、正しいかどうかなんて考えてやっていることではない
正しいかどうか考えることができる人は、そうしない?

いいえ、
周囲で多くの人が、正しいかどうか考えないで暴言を吐いていれば
正しくないと考えにくくなる。

周囲で普通に使用されていれば、自分も良好な対人関係を壊す言動をしてしまう。

相手が怒った理由が理解できない→自分は悪くないと相手を攻撃する→さらに悪化


正しいか誤りかという判断基準が
社会全般に普及していなければならないのである。
個々人の価値判断で問題解決することは困難である。
あまねく普及した共通認識が個々人の自由を調整するのである。

その調整機能である共通認識の構築は初等教育、中等教育に始まる。

乱暴な言動が何故誤りなのか、誤りを直すにはどうすればよいのか、
というプログラムである。
特にメディアなどの影響で陥りやすい正義を盾にした不正義には注意が必要である。
誤りは規則を新たに作ることや攻撃することで直すのではない、誤りを直す方法を周囲が理解している環境を作ることである。
誤りを直す方法、被害者・加害者がある場合は特に、両者に公平で共通な権利義務の認識が必要である。学校側が個々に対症療法的な対応をしていたのでは混乱するだろうからである。被害者は、加害者は、またそれぞれの保護者は、学校は、教師は…という当事者の行動モデルが示されていることである。

学校、教師、生徒、生徒の保護者、PTA地域社会など当事者の役割(具体的アクション)が共通認識としてあること。さらにこれを継続する普及活動、というように
全体図が描かれるはずである。



「誤りを直す方法」の議論が不足しているか欠けている気がする。

de sole wa 正しいのか

2010-11-30 20:48:52 | 人の見方
ウザいんだよ

うっせい

しかとすんなよ

なめんなよ

(上下・支配関係などを示す、あるいは相手を攻撃するための言葉、という括りができるのかもしれない)

・・・・・・
コミュニケーションのための言葉である
どういう目的で使用される言葉だろう
使用される状況は?
言う者と言われる者の心理は?

自分より優位な立場の者に言うことはないはず
尊敬する人、好意を寄せる人には言わないはず
嫌われて困る場合には言わない、かもしれない

自分より力の弱いものに対して言うのかもしれない
相手を攻撃するときにも使うかもしれない
自分の力が強いことを誇示する必要がある状況で言うのかもしれない
上下支配関係があり、その上であることを誇示したいという目的がある?

言われる側の心理は、言い返すことができない上下関係にある場合
言い返すことができない心理は何か
報復、仕返し(暴力、嫌がらせなど)に対する恐怖であるが、
嫌がらせや暴力的な言動に対して、誰にでもできる対抗手段がないのかもしれない

明確な犯罪行為未満である場合の、嫌がらせ、人権侵害、暴力的言動
これらは野放しということかもしれない

新たな法を作ることで解決することではない
むしろ逆に現状の刑法をも単純化できるような道徳律



「正しいか誤りか」

暴力的、威圧的な言動・・・それは正しいか、誤りであれば直せ、となる。
直せば、それは正しくなる。

嘘と言い訳・・・それは正しいか、誤りであれば直せ、である。

「自己に不利益な供述を強要されることはない(憲:38条)」
≒自分に都合の悪い事実は隠蔽しても良い、黙秘して犯罪捜査を妨害することになってもかまわない、被害者の権利を考えなくても良い。
≒自分の権利のためには真実を隠蔽し、他人に被害を与えても良い

・・・それは正しいか、誤りであれば直せ、
「何人も、真実ではない自己に不利益な供述を強要されない」
つまり、真実を述べなければならない、と直せ、である。


何人かで議論すれば、さらに発展しそうなテーマかも

対人関係の行動規範

2010-11-30 16:34:11 | 人の見方
学問的とか難しい話じゃなくて

多くの人は、この社会で対人関係という刺激の中で生きる
そして多くの人は、対人関係をを円滑にするためにある行動規範を持つ

いや、行動規範がある・・・結果として説明できるもので、
当人はこれを意識しているとは限らない

多くのパターンを類型化して分類すると、ある特徴的な行動パターンが
浮かび上がる、はずである。


単純に、、、
「正しいと思うことを行い+誤りは直せばよい」

(他人からよく思われたいなど)社会的な立場を維持する、
そのために対人関係において責任回避することが行われる。
言い訳をして、嘘をつかなければならなくなる。

その必要をなくすためには、
「正しいことを行う」という行動規範があればよいのですが、
これがなかなか、できそうでできない・・・
人によって「正しい」ことの基準が異なる、場合もある、
という意見もあるかもしれませんが、
それは大きな要因ではない、
この社会が居住者のためにルールを作り、
そのルールを居住者であるすべての市民に教育することで
基準ができるのであって、基準があいまいであることは
市民社会の教育が不完全であることを示している。

ルールを強いることになると住み心地が悪いので、多様性を認めながら
共通認識としてのルールである必要がある。

話を戻し
正しいことと誤りであることの定義は、行動規範となりうるものです。
正しいことは行えばよいし、誤りであることが知れば直せばよい。
という単純化ができる。

市民社会の教育というのは、
正しいことなのか誤りなのかとうことに、興味・関心を持たない、理解できないために
問題が発生するという認識のもとにあればよいのではなかろうかと思う。

そりゃぁ、そうだ
誤りが理解できない場合に、その誤りを正せるはずがない。


多くの対人関係
恋人、夫婦、親子、兄弟、家族、友人、同僚、先輩・後輩、上司・部下
多くの人は様々な場面で、正しい誤りの判断をして行動している、はず。
さて、その正誤判断は
自分にとってなのか、相手にとってなのか、お互いにとってなのか・・・
法律的になのか、道義的になのか、その他の大義のためなのか・・・


何が正しいことなのか、基本的なものから複雑なものまで
そう難しいことではない

挨拶は?笑顔は?

威圧的な言動やその他の感情表現?
威圧的な身なりや服装は?

事例を並べていこうとすると
正誤判断が行われているとは思えない現状に気がつきます

学校に服装や身なりの規則があったとします。
何故この規則があるのかということでなく、
この規則を守る守らないが正誤判断になってしまう。
だから、生徒の「どうして?」に「規則だから」と返答してしまう。

正しいことと誤りであることの定義が曖昧なまま、規則を押し付けようとする。
また、時代の流れにそぐわない規則を修正しなければならないという動機も起きない。



「正しいと思うことを行い+誤りは直せばよい」

・・・深い議論に展開しそうな、ですね