年の瀬、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
今年最後の更新にクドクドと書きたくはなかったのですが、これはあまりに酷いので紹介。
ちょっと前に新聞に載ってた、呆れた珍論を紹介。
この人、その筋では有名な超「左」の人物で、パリのテロが起きた時も「テロリストともっと対話する必要がある」と宣った、珍学者の田中優子センセ。
まぁ、長々と書いてますが、要は言ってるこのは下の2点。
1.夫婦同姓は明治時代(江戸時代には無い)に決めたことで、故にこれは「伝統」ではない。
2.このような「夫婦同姓」のごとき古臭い民法は海外からの失笑を買う。
(マイナンバーがあるから大丈夫+戸籍制度も廃止)
まず、1点目。
ってか、庶民が「名字」持つようになったのは、明治になってからなんですから、そんなこと当り前じゃないですか。「鬼の首を取った」ように言うこっちゃないっすよ。
それにね、 「江戸時代」前に無いから「伝統」じゃないって、何を根拠に言ってるわけ。
例えば・・・
「柔道」は明治になってから開発されものですが、江戸時代に存在してなかったという理由だけで、これを日本の「伝統」ではないと言ったら、それこそ「失笑」ものです。
「寿司」にしたって、確かに江戸後期に産声をあげた食べ物ではありますが、完全に今のスタイルになったのは戦後です。これにしたって、それを理由に日本の「伝統」ではないと言えますか?
小生に言わせれば、中国にルーツを持つ「ラーメン」も、インドにルーツを持つ「カレーライス」も、今や立派な「国民食」になった以上、立派な「日本の伝統」と考えます(「洋食さん」も)。
西洋にルーツを持つ「民主主義」や「立憲君主制」そのものも、今や日本は「自家薬籠中」のものとして「伝統」化しています。
要は、「それ」が日本に定着して馴染むかどうか、何です。「伝統」ってそういうものですよ。
逆に・・・
「伝統の和服を着てビジネスすべきだ」って言う、「保守派」の人を見たことありますか?
「江戸時代」のように「徳川幕府時代の政治システムに戻すべきだ」なんて主張する「保守派」っていますか?
ちょっとくどくなりましたが、小生としては、
江戸時代に無かったという、その1点だけを理由に「伝統」ではないとう論がいかに馬鹿げた暴論であるかを言いたかっただけです。
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はい2点目。
またまた出ました
「海外がこうだから、日本もマネすべき。そうじゃなきゃ、日本が遅れてる」論!!
とほほ・・またこの論法・・・
他国と協議する国際法上のことならいざ知らず、完全に「国内法」のことをなんだって、海外を持ち出す必要があるのでしょうか?
(外国人から)失笑買う?
So what? (だから、それが何よ?)
戦後直後ならまだしも、今日び「外国がこうだから、日本もこうすべき」なんて、よくもまぁこんなこっぱずかしい(ホント古臭い)バ〇論言えるもんです。
正確には以下のように書いてます。
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世界で活躍する日本人が増えてくるに従って、あたかも親子のように同じ名字ばかりの日本人は、奇異に映るに違いない。「別姓は家族を崩壊させる」という日本の保守派の主張は、「日本の外では家族が崩壊している」と言ってるようなもので、海外では失笑を買うだけだろう。
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「アナタノ、“サトー”ッテ ミョウジ ヘンデス。 ワラッテ シマイマス」
って、こんなバカ外国人いたら、逆に「失笑」されるのはこいつでしょ。
てか、このセンセこの前段でも「イタリアでは」とか「ベルギーでは」とか、外国の例(その他アジア諸国名も)いっぱい持ちだすんですが、なんだって、そんなに外人の目が気になるんでしょう?
「日本の名字」という、「日本の国柄そのもの議論」のはずなのに、外国なんか関係ないでしょ。
それに、日本の名字が「同じ名字ばかり」と断言するのはどういう統計学上のデータから導き出したのでしょう?(逆に日本は多種多様な名字を持つ、名字大国と思えるのですが・・・)
国々によって「家族」の考え方、とらえ方あるでしょうから、(繰り返しますが)要はその法律が日本になじむかってことです。
保守派のいう「家族の崩壊」は、あくまで「国内」のことを言ってるだけで「外国の家族」に関して触れてるわけじゃあありません。こういうのを「詭弁」というのです。
小生の考えでは、この「夫婦別姓」論者の言うところの「別な性を名乗れないのは、人権侵害だ」とする主張は非常に危険だと思うんです。
なぜか?
この「好きな名字を名乗る権利」の理屈が通るのであれば・・・・
今度はその子供たちだって、名字だけじゃなく「親から与えられた名前を名乗るのは人権侵害だ」ということになりはしないでしょうか。
はたまた「英語名を名乗れないのは人権侵害だ」って主張もまかり通るかもしれません。
韓流ファンの人は「ハングル語の名前に改名する権利」まで主張するかも・・・・。
で、一つ屋根の下、こんな家族が生まれるかもしれません。
お父さん「田中太郎」
お母さん「山田花子」
長男 「James Bond」
長女 「へ・アヒョン(ハングル語入力できず)」
これがを「家族の崩壊」と言わずなんというのでしょうか?
仲が良いから、名字(名前)が別でも大丈夫なんて考え方は甘すぎます。
そもそも何でもかんでも「人権侵害」を振りかざして「法律」を変えさせようとするのは身勝手な考えです。
「法律」とは、当たり前ですが「やってはいけないルール集」です。
そのルールの範囲内での自由や権利があるわけで、「人権侵害」を持ち出し、自分が気に食わないから「ルール」を変えろっていうのがまかり通るなら「法治国家」は崩壊します。
だから、自分は何度も主張するように別な性を名乗る方法はいくらでもあるでしょうって言ってるわけ。
くどいですが「事実婚(同棲)」を「正式な婚姻」として認めてもらえるような法律改正を目指すべきであって、関係のない一般国民を巻き込んで、自分たちのの主張をごり押しすべきではないんすよ。
・・・・でも、この人たちって自分たちが「絶対の正義」で、「日本の女性を解放する」、つまり「自分たちは良いことをしてるんだ」って確信がありすぎるんよね。
勝手に自分たちだけ、名字変えられるようにして満足してもらえればいいんですが・・・・
以上、今年おそらく最後の「時事問題」でした。
来年もよろしく。