さて、
「全国きき酒大会」も無事終わり、今夜宿をとってる
新橋へ向かいます。
新橋駅
ちなみに、さすがに宿泊費は自腹です。いくら強大な酒造組合といえども80数名(関係者あわせたら100名以上)の旅費とホテルの広間代金&料理代でかなりの額になりますもんね。
新橋は、日本酒会の前会長のおススメ店があるというので、意気揚々と向います。
「わっつり」という店なんですが、新鮮な魚介がウリのお店。
しかし、小生悲しいかなホテルニューオータニで、「こんな料理ただで食えることなんか二度とあるもんか」とばかり、いぎたなくフォアグラやローストビーフなどをパクついたために、おなかがパンパン。
従って、飲みます。ひたすら飲みます。
・・・というわけで、早朝新幹線に飛び乗り、車中でも日本酒の筆記試験の勉強、極度の緊張の本番と懇親会の酒がまわってかなり早めにグロッキーになったわけ。
せっかく、新橋に来ているのに、たった1軒でホテルへ直行。
ちなみに、このホテル、最上階に大浴場&露天風呂がついていてお風呂入ったらもう爆睡。
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翌日26日(土)・・・・・台風27号もそれちゃったのか、しとしとと雨は降っていますが、ほとんど風もありません。
で、朝飯食ってからチェックアウトし、すぐ近くのある場所へ。
そこは、プラモデラーの聖地
「タミヤ プラモデル ファクトリー」!!
雨が降ってる日は、これにかぎります。
もちろん、ここはタミヤの本拠地であるがゆえ、数多くのプラモデルが販売されているのですが、何が楽しいって名人たちが制作した作例。
店内
この、帝国海軍の雄姿にはお父さんたちなら胸が躍るハズ!!
そして、1/35ミリタリーミニチュアシリーズ。 このドイツの軍シリーズが良いんですねぇ。
美術館と違って、お金もかからないし、この緻密な造形美はまさに3D絵画と言えるでしょう。
で、名人たちの仕事をたっぷり観賞し(申し訳ないので本を1冊購入)新橋を後に。
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で、九段へ向かいます。そう、英霊たちのもとへ・・・。
雨の日にも関わらず、思ったより参拝に来ている人たち多かったですね。
小生も、参拝後久しぶりに敷地内にある、この国にある唯一の戦争博物館である
「遊就館」へよってみます。
国を靖らげるためにある
「靖国神社」は、お隣の半島
バ○んこく&大国気取りの
赤い蛮国の難くせイチャモンのせいで、今や
秋の例大祭ともなれば、安らげるどころか大騒ぎで大変です。
しかし、この
バ○んこく&
赤い蛮国両国の大騒ぎのおかげで、海外の関心も高まり、
「遊就館」で見学する外国人の数は年々確実に増えています。
ありがとう、
バ○んこく&
赤い蛮国両国。
これからも、せいぜい大騒ぎして世界へ靖国神社を宣伝してください。
さて、この日も見学者の1/3は白人の人たちで、大勢の人でにぎわっていました。
中は撮影禁止なので外観だけ。
遊就館
「遊就館」は武家の時代からの鎧や刀などの貴重な宝物も展示しているんですが、特に明治以降の歴史に重点がおかれています。
我らの先人達があの弱肉強食の帝国主義の時代に欧米列強の植民地に転落しないために、泥水を啜りながら耐えに耐えて独立を守り通した苦闘が良く解ります。
ですので、靖国には
坂本竜馬などの開国の偉人達をはじめ、関東大震災で自らの命をかけて奮闘した看護士さんなど
多くの女性も祀られているわけです。
しかし、やっぱり先の
大東亜戦争でしょうね。なにせ約250万柱の尊い命の犠牲の上に我々の今の生活が成り立っているのですから。
なぜ、日本があの戦争へ突入しなけらばならなかったのかが、日本の立場から事細かに解説されていて、その
英語訳のために
教養ある海外の人にも解りやすく説明されてあるんですね。あくまで、教養ある海外の人ですよ。
ドイツ語をしゃべってる若い男女の団体さんやら、英語で会話してる親子など食い入るように、解説を読んでいました。
そして、圧巻は終盤の英霊たちの遺書でしょう。
彼らの純粋な故郷(くに)の家族を思う文を読むとき、自分の煩悩まみれの人生を恥じ入るのみです。
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久野正信 海軍少尉・「正憲 紀代子へ」
昭和20年5月24日、戦死。亨年29歳。義烈空挺隊の第3独立飛行隊
正憲 紀代子へ
父は姿こそ見えざるもいつでもお前たちを見ている。
よまお母さんの云いつけを守ってお母さんに心配をかけないようにしなさい。
そして大きくなったなれば自分の好きな道に進み立派な日本人になることです。
ひとのお父さんを羨(うら)やんではいけませんよ。
正憲、紀代子のお父さんは神様になって二人をじっと見ています。
二人仲良く勉強をしてお母さんの仕事を手伝いなさい。
お父さんは正憲、紀代子のお馬にはなれませんけども二人仲良くしなさいよ。
お父さんは大きな重爆に乗って敵を全部やっつけた元気な人です。
お父さんに負けない人になってお父さんの仇(かたき)を討ってください。
父より。
正憲 紀代子二人へ
大石清 海軍伍長
「妹への手紙」
静ちやん お便りありがたう。何べんも何べんも読みました。
お送りしたお金、こんなに喜んでもらへるとは思ひませんでした。
神だな(棚)などに供へなくてもよいから、必要なものは何でも買つて、つかつて下さい。
兄ちやんの給料はうんとありますし、隊にゐるとお金を使ふこともありませんから、これからも静ちやんのサイフが空つぽにならない様、毎月送ります。
では元気で、をぢさん、をばさんによろしく。
兄ちやんより
なつかしい静ちやん!おわかれの時がきました。
兄ちやんはいよいよ出げきします。この手紙がとどくころは、沖なはの海に散つてゐます。
思ひがけない父、母の死で、幼い静ちやんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、ゆるして下さい。
兄ちやんのかたみとして静ちやんの名であずけてゐたうびん(郵便)通帳とハンコ、これは静ちやんが女学校に上がるときにつかつて下さい。
時計と軍刀も送ります。これも木下のおぢさんにたのんで、売つてお金にかへなさい。
兄ちやんのかたみなどより、これからの静ちやんの人生のはうが大じなのです。
もうプロペラがまはつてゐます。
さあ、出げきです。では兄ちやんは征きます。
泣くなよ静ちやん。がんばれ!。
(特攻隊員大石清は昭和20年3月13日の大阪空襲で父を失い、続いて重病の母の死を知った。小学生の妹(静恵)ひとりが 残されて、伯父の許に引き取られていた。この文章は 彼が妹に宛てて書いた遺書である。5月20日に鹿児島の万世 基地に到着、その後数日を置かずして突入、散華。 )
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なんども、繰り返しますが、彼らは
「靖国で会おう」と、我々のために散って逝ったのです。
決して
千鳥ケ淵なんかじゃありません。
ちなみになんですが、こ上記の
大石伍長の遺書を預かった兵の手紙も残っていますので紹介します。
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大石静恵ちやん、突然、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたことと 思ひます。
わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。伍長どの は今日、みごとに出げき(撃)されました。
そのとき、このお手紙を わたしにあづけて行かれました。おとどけいたします。
伍長どのは、静恵ちやんのつくつたにんぎやう(特攻人形)を大へん だいじにしてをられました。
いつも、その小さなにんぎやうを飛行服の 背中につつてをられました。
ほかの飛行兵の人は、みんなこし(腰)や 落下さん(傘)のバクタイ(縛帯)の胸にぶらさげてゐるのですが、 伍長どのは、突入する時にんぎやうが怖がると可哀さうと言つておんぶ でもするやうに背中につつてをられました。
飛行機にのるため走つて 行かれる時など、そのにんぎやうがゆらゆらとすがりつくやうにゆれて、うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐにわかりました。
伍長どのは、いつも静恵ちやんといつしよに居るつもりだつたのでせう。
同行二人・・・・仏さまのことばで、さう言ひます。苦しいときも、さびしいときも、ひとりぽつちではない。
いつも仏さまがそばにゐて はげましてくださる。伍長どのの仏さまは、きつと静恵ちやんだつたのでせう。
けれど、今日からは伍長どのが静恵ちやんの”仏さま”になつて、いつも見てゐてくださることゝ思ひます。
伍長どのは勇かんに敵の空母に体当たりされました。静恵ちやんも、りつぱな兄さんに負けないやう、元気を出してべんきやうしてください。
さやうなら
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どう思いますか。
小生は、当時の兵隊さんたちレベルの高さ(あらゆる面で)にただただ驚くばかりです。
将校じゃない一般の兵隊でこのレベルですよ。
隣の日本ストーカー
バ○んこく は盛んに(軍に強要されたと)ありもしない
“従軍慰安婦”を世界に向けて宣伝し、我々の先祖を辱めていますが、これらの手紙を読む時、この
[セックススレイブ]なるものが、いかに
ウソ八百かを、雄弁に物語っています。
彼らは勝手にやってたんですよ
「売春宿(キーセン)」を。
自国の女性に無理やり売春をさせて、60数年後にはその罪をぜーんぶ我らの先祖へ濡れ衣を着せたワケ。
書いていたら、ハラがたってきました。あとでこれやりたいと思います。
ちなみに
バ○んこくは現在でも世界一の売春大国で、これは政府もメディアも認めてます。