JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

思い込み

2006年12月14日 | m-o

今朝、朝飯を食べていると母が
「今日は何日だ?あぁ14日討ち入りの日かぁ」とぽつり、さらに
「討ち入りの日には雪が降ってたっていうけど、こんだけ暖かいと雰囲気無いなぁ」
たしかに今朝は特に暖かい朝でした。

人間は『思い込み』の生物です。
『義士祭』等々、赤穂浪士に関する行事は、今日12月14日に行われますから、どうも実際にこの季節に討ち入りは行われたとおもいがちです。
もちろん、温暖化が進み、雪の量が減ってきたこともあるでしょうが、実際に討ち入りが行われたのは元禄15年12月14日、つまり旧暦であったということ、新暦でいえば、1703年1月30日あたり、
ねっ!現代でも雪はあり得るでしょう。これも『思い込み』。
「赤穂は正義で、吉良が悪」これも立派な『思い込み』ですよね。

ほらほら、振込詐欺の被害に遭うのだって『思い込み』が原因でしょ。
現在、何かと話題になっている『タウン・ミーティング問題』も、大きな意味で国民に『思い込み』をさせるための施策だったのかもしれない。
私の住んでいる田舎なんか、県名を他人に教えると、東京以西の方には「冬は雪が降ってたいへんでしょう」なんて言われてしまいます。(年に一、二回しか降らないのに)
これも『思い込み』。

1937年、時は日中戦争まっただ中、第二次上海事変に敗れた中国軍は、当時の首都、南京(中華民国)を中心に防衛戦を設置、日本軍は防衛戦を次々と撃破、12月10日から南京城への総攻撃を開始し、ついに12月13日に落城しました。
そして、今から69年前の今日から、かの『南京大虐殺』が始まったのです。
日本においても、中国においても、当時その場に居合わせた、いわゆる生き証人は、数少なくなってきています。したがって、犠牲者の数、あるいは虐殺された人間の立場(一般人であったのか、兵士であったのか)等々において、諸説が存在します。
だけど、ここで多くの犠牲者が出た事実は変わりません。この時の日本兵は本当に夜叉だったのか?夜叉だったとして、何がそうさせたのか?
これもまた、『思い込み』が、日本兵を夜叉に変えたのではないかと私は思うのです。

詳細は別として、事実史として、『南京大虐殺』も我々日本人の創り上げた現実なのです。戦争は過去のものという『思い込み』は、時に自己に寛容で、戦争の恐ろしさを忘れさせ、身勝手な『思い込み』を誘発するかもしれません。

新しい教育基本法は成立するのでしょう。できるなら、その法律が変な『思い込み』をもたらさないものであって欲しいと思います。

およよ、なんだかとんでもなく重い話になってしまいました。

朝日新聞の第3社会面に「敵役・吉良上野介の言い分」と題された記事で、菊池寛の小説『吉良上野の立場』や清水義範『上野介の忠臣蔵』、岳真也『吉良の言い分』といった本とともに、上野介が近年めざましく名誉を回復していることを紹介しておりました。
たまには、『思い込み』を取っ払って、物事を考えるのも悪くないかもしれません。

ともかく、情報過多の現代だからこそ『思い込み』には、お互い注意しましょうね、というお話しでした。

さて、今日の一枚は、ブルー・ミッチェルです。
そもそも、ミッチェルは過少評価されがちだと思っているのですが、このアルバムも、もっと評価が高くて良いじゃないだろうかと思う一枚です。

ボス抜けアルバムには、例えばキャノンボール・アダレーの「IN CHICAGO」みたいに、ボスといっしょにやっている時とは、また違う魅力が見える、というものがありますよね。
このアルバムもまさにそれ、ボス、ホレス・シルバーが加わったファンキーなイメージは、ここではまったく感じられません。(キャノンボールと真逆ですけど)
それが、ミッチェルの魅力を増幅しているというか、じつに名盤だと思います。
ミッチェルはシルバー・グループ以外「BLUE'S MOODS」しか知らないという方が、もしいたら、ぜひともこのアルバムをお聴きになってみて下さい。

THE CUP BEARERS / BLUE MITCHELL
1962年4月11日録音
BLUE MITCHELL(tp) JUNIOR COOK(ts) CEDAR WALTON(p) GENE TAYLOR(b) ROY BROOKS(ds)
1.TURQUOISE
2.WHY DO I LOVE YOU ?
3.DINGBAT BLUES
4.CAPERS
5.THE CUP BEARERS
6.HOW DEEP IS THE OCEAN ?
7.TIGER LILY

追伸、
勘違いしないでください、『思い込み』を全て否定するわけじゃありませんよ。
例えば、恋に『思い込み』は絶対に必要なものですし、夫婦にも必要かもしれない。仕事にだって、遊びにだって、時として『思い込み』は必要なものです。
「オレって、天才!」
いいじゃないですか。