赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆★★☆
↑次にお星さまが増えるのはいったいいつになるのでしょう…
 



山形はサッカーかどうか問わず今回初めて訪れた地だけに、久々にだらだらと珍道中を綴って行きたいと思う。最近アウェイの遠征先を徘徊する際には「如何に浦和者を出し抜くか」という点に妙に注力していて(だって人混み好きじゃないし・・・)、何かウエイトを置くべきところが違うような気もするのだがw、まあ試合中は気合入れてやってるので何卒ご容赦頂きたく・・・。



土曜は8時前の新幹線で上野を出発。「つばさ」にコトコト揺られながら10時半くらいにはJR山形駅に到着。試合までは時間もあったのだが、他方で後援会ツアーの貸切新幹線が13時半くらいに山形に着くらしいという情報を得ていたので、まるで「逃走中」という番組でMIBのような黒いスーツの「ハンター」がたくさん乗った電車が到着する恐怖に怯えながら逃亡するかのように、それまでにやることやっておかないと・・・という妙な脅威に追われており、早速山形駅からほど近い霞城(かじょうこうえん)公園へ。



霞城公園は山形城址にあるそこそこ広い公園で、敷地内には体育館、野球場、博物館などの文化施設が立ち並ぶという状況で城自体はほとんど残っていない。現在は移設された門や部分的に再建された櫓が残るのみだが、山形市は史跡として整備し直す方針のようで、そうした諸施設は撤去しつつあるよう。しかし再建といってもなかなか当事の様子を伝える資料が不足しているらしく、情報提供を求める市役所の掲示も見られた。そんなわけで、下は発掘調査中のエリアで、近くにはプレハブの事務所も。



公園内で唯一モンテディオ色を感じたのだ、体育館の入口近くに無造作に貼り付けられた下の看板。パイオニアはバレーボールの実業団のチームらしい。山形のスポーツチームというと、このモンテディオとパイオニアに加え後は楽天の2軍くらいになるのだろうか。楽天は違ったっけ?そもそも「山形の野球」というと、清原桑田要するPLにボコボコにやられていたのが山形の高校だったようなおぼろげな記憶があるくらいだが・・・。



明治6年に設立された私立病院・済生館(さいせいかん)の旧い建物を移設したもの。国の重要文化財に指定されているとか。しかし午前中で人が少ないということもあるのだろうが、公園内は博物館など全体的に寂れた感じがありありで、史跡に生まれ変わる過渡期にしても随分と寂しい感じだった。



本丸に続く橋。しかし本丸には現在石垣くらいしかない。本丸御殿は再建を計画しているようだった。ここで当日初めて山形県内で浦和者を目撃。振り返ってニヤニヤしているのは我が連れ合いですが・・・。



山形城は羽州探題として赴任した斯波兼頼によって建立されたもので、斯波氏がその後最上氏を名乗り主となった。その最上氏11代当主にして初代山形藩藩主がこの最上義光(もがみ よしあき)。中興の祖、というよりも、歴代当主の中で最も存在感があったという感じなのかな?



先日とある飲み会で山形出身の方が「敵方のドラマである『天地人』はうちでは絶対観ない!」と豪語しておられたのだが、山形に着いてみると天地人ブームに乗りまくりといった感じで少々拍子抜け。しかし義光公の像の脇にあった解説にあったこの「謀将直江」という表現に何となくそのあたりの感情を汲み取ったつもりになってみたのだが・・・。



(つづく)

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