赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆★★☆
↑次にお星さまが増えるのはいったいいつになるのでしょう…
 



前回からのつづき)

広島城はもともと1500年代終盤に建設されたもので、毛利氏が中国地方一帯を対象とする執政にあたり、建物として手狭になった居城・吉田郡山城から拠点を移したのが事の始まり。その後毛利氏は関ヶ原の戦いで西軍についたため転封され、福島氏が入城。しかし十数年後にその福島氏も改易となり、後を継いだのが浅野氏でその後明治維新まで統治を続けた。浅野氏はあの「忠臣蔵」に出てくる赤穂浅野家の本家。



前述のとおり広島城(てか、市街の建物のほとんど)は残念ながら原爆で吹っ飛んでしまったため、現在の天守は昭和33年に再建された鉄筋コンクリート建てのもの。城内も小奇麗で、こちらも建物そのものよりも展示を楽しむという感じだった。写真は最上階からの眺めで、タワーは地元の放送局RCCのものと思われ。



広島護国神社。ここも本丸跡らしい。それにしても広島城址ではジュースの自動販売機がなかなか見つけられず、灼熱のなかやっとのことで周囲を1周してきたオレたちは辟易。最上階でやっと販売機を見つけたと思ったら全部売り切れって砂漠のオアシスの蜃気楼かと・・・。結局その他は、売店の前と、大手門を出たところのバス駐車場にしか見かけなかった。公園の敷地が広いだけにしんどい。



お堀に佇む鳩(昨今の政局とは無関係)たちの視線の先には・・・。



「穴」には目がない男がひとり・・・。さて広島ではどちらに鉄砲をぶっ放すおつもりでしょうか。



2つの櫓とそれを結ぶ渡り廊下もささやかな展示があり、上がって見学することができる。太鼓櫓では太鼓も叩けます。いや叩いていた男がひとりいたもので・・・。



我々は結局この大手門から出たのだが、そもそもこちらから「入る」のが王道っぽかった。結局城址公園をほぼ1周する羽目になったが、ビッグアーチに行く前の準備運動とポジティブに考えておく。



(つづく)

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