最近、いつも楽しみにしているブログを見に行ったら、「以心伝心」について書かれていました。
「以心伝心」はないわけじゃない、時々とても嬉しかったこともある、と…。
長く一緒にいれば、「以心伝心」も時々はあるかもしれません。
でも、それって、大抵習慣によってのことで、本当の意味での以心伝心ではないと思います。
個人的に、「以心伝心」の名の下に、「察すること」を長年強制されていた身としては、反吐が出るほどこの言葉が大嫌いです(ちなみに、察してもらったことはないと思います)。
…察する能力が長けている人の側にいるか、自分が察するよう強制(意識的無意識的問わず)している人でない限り、「以心伝心」はありえないと思います。
感じていること、考えていることは、きちんと言葉にしない限り、相手には伝わらない。
何となく嫌われている、好かれている、くらいは感じるかもしれませんが。
「以心伝心」は、私にとっては手抜き、甘え、怠慢に見えます。
「以心伝心」はないわけじゃない、時々とても嬉しかったこともある、と…。
長く一緒にいれば、「以心伝心」も時々はあるかもしれません。
でも、それって、大抵習慣によってのことで、本当の意味での以心伝心ではないと思います。
個人的に、「以心伝心」の名の下に、「察すること」を長年強制されていた身としては、反吐が出るほどこの言葉が大嫌いです(ちなみに、察してもらったことはないと思います)。
…察する能力が長けている人の側にいるか、自分が察するよう強制(意識的無意識的問わず)している人でない限り、「以心伝心」はありえないと思います。
感じていること、考えていることは、きちんと言葉にしない限り、相手には伝わらない。
何となく嫌われている、好かれている、くらいは感じるかもしれませんが。
「以心伝心」は、私にとっては手抜き、甘え、怠慢に見えます。