今日は心療内科の方の診察日でした。しばらくぶりです。
最近の状態を話したところ、ひきこもりたいならひきこもりましょう!とのお言葉。何か気持ちが明るくなります。
元気な時にも無理はしないように、とのことでした。つまり、今までできなかった分を取り返そう!とか思わないように、ということです。…思いっきりやってました(汗)。
確かに、疲れると、かえって反動でより落ち込んだり…してますね。
それから。
世の中に白はないこと。白よりのグレーか、黒よりのグレーか、はあるけど、白はない。グレーか黒なんだ、と。
…白でありたい、と思っていて、自分の中の黒を忌み嫌っていたのを、見抜かれたように思えます。と同時に、とても楽になりました。
今まで、自分自身だと思っていたことが(好みとか、考え方とか、価値観とか)、常に親や他人の意見を気にして決めていたことに、初めて気付きました。
たとえば、スカートが欲しいとしたら、私は青が欲しいけど、親は赤を勧めるのが分かっている。
頑張れば、青いスカートが買って貰えることもあるけど、「こんなのがいいの?」「変わってるね」等、傷つく一言とセットになるのが予測できる。
となると、「青がいいんだけど、どうかなぁ」と、顔色をうかがうようになる。自分で決められなくなる。
…こんな感じです。
なので、いざ、自分で決めようとしても、「そんなの似合わないよ」「安っぽく見られるよ」等々(例えの服、だけではなく)言われ付けてきたので、自分で選ぶ段にも「これを選んで馬鹿にされないか」という基準が、がっちりはまっているのです。あとは、「迷ったら高い方を買え」とか。高価な品を親が好んだので。
最近、それに気付いて。
安くても気に入ったものを買おうとしても、「そんな安物」とあざ笑われる気がして、今までは手が止まってしまっていたのです。すべてではないですが、アクセサリーとか、服とか、靴とか。親や兄弟に「いいね」と言われるのはどちら?みたいに考えてしまっていて。
ファッションに、ひとから褒められる、という点を考慮するのはある種当然なところもあると思うのですが、私の場合は、がちがちの枷になってしまっているようです。
そういえば、友達からもカウンセラーの先生からも、「似合ってれば好きなものを着ていいんですよ」と言われたなぁ…。
「これを選んだら、ひとから馬鹿にされないかどうか」を気にせずに、服や靴やアクセサリーなどを選べるようになりたいです。
…先日、ロザリオを選んだのが、最初の一歩かも??
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