つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

自己評価が滅茶苦茶低いことに気が付いた…

2014-04-20 18:10:19 | 日常雑記

題名通り。これもカウンセリング効果かもしれません。

実は、自分では結構ポジティブだと思っていたりしたのですが。

根幹では、つねに「そこに自分がいていいのだろうか」「こんなことを言ってしまったから(あるいは言わなかったから)、嫌われたのでは」とか、くよくよ思い悩む方です。

…で、「うまくできないならいてはいけないのでは?」というのも入ってます。

「人生は楽しむべきもの」とはいいますが、実際に、「人生は楽しいし、楽しんで良いのだ」という意識は入っていません。

いや、人生を実際に楽しんでいるかどうかは別です。楽しくても、「楽しんでいていいんだろうか」という気持ちがついてまわるのです。

「人生は苦行だ」の方がしっくりきます。

苦行の中に、楽しみを見出す、のような?方が、理解しやすいというか。

…あれ、滅茶苦茶自己評価が低くて、ネガティブなものの見方をしている??

「楽しいことだけしていてはいけない」…よく親に言われた言葉です。

躾としては当たり前の言葉。でも、私にとっては、「楽しんではいけない」とイコールになっているのです。

例えば、よく、「勉強しなさい!」と親が叱りますよね。

うちの場合、宿題が終わっても遊べませんでした。予習復習が終わってもまだ遊べません。

なぜなら、予習復習が終わったら、更にその先をやっておけ、となるんです。

で、私は。だったら最初からやらない、とか、宿題だけ、とか、勝手にやってました。

勝手にやっていたのだから、問題ないだろう、と思われるかもしれません。

それが、問題が残りました。楽しむことに対しての罪悪感です。

やることやってから遊びなさい、とはよく言われることですが、やることが増えていくのでは、いつまでたっても遊べません。

なので、いつ遊んで良いのか、気持ちの上で判断がつかなくなってしまいました。

遊んでも、罪悪感が残るのです。

そうなるとどうなるか?

何もしない子が出来上がります。

適当なことをして時間をつぶすだけです。

希望は、いつも、親の審査が必要でした。「そんな才能ないだろう」「やるだけ無駄」「できっこない」「金の無駄」…まだ出てきそうですが、私の好きなことは大抵そういわれました。言われないのは、勉強だけです。

体育関係は、できない方でした。でも、言い訳すれば、公園に連れて行かないのですから、鉄棒等ができなくても当たり前と言えば当たり前。

しかし、就学してできないと、いきなり特訓したりとか。…おかげで、鉄棒は大嫌いでした。

繰り返さなければできないのに「何でできないの」「へたくそ」「覚えが悪い」…。

これだけ言われて、体育が好きになりようもないですね。思い返してみれば。

でも、「何で嫌いなんだ」って言われてました。…当時は「だってできないんだもん」と返してましたが、「何でできないんだ、やらないからだろう」と言われてました。…いや、やりたくないでしょ。どう考えても。

混乱してきました。今日はここまで。


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