つれづれごと。

SD他、管理人葉月の日常の中で思うことを綴ります。※SDに関しては、必ず5/29「はじめに」をお読み下さい。

ものを捨てる、ということ。

2014-06-29 13:28:08 | 日常雑記

最初に言ってしまうと、私、片づけられない女です。

子供の頃から、ずーっと怒られていた覚えがあります。でも片付かない。

何で?と思っていました。

ある日、ふと気が付きました(遅いですが)。私、片づけ方を習ったことないんです。

よく言われる「使ったら元のところに戻しなさい!」ですが、おもちゃ箱、と言われていた段ボールに放り込む以外には「元のところ」って…なかったかも。

今思うと、おもちゃの上に別のおもちゃがのるのが嫌だったのですが、それを言葉でうまくいえず、「のっちゃうよ」と言ったら「仕方がないじゃない!」と言われて嫌になった…のが原体験。

うん。単純に、ものが多かったんですね。私。親世代からずっと。

まぁ、私の親は昭和ひと桁なので、「ものがない」ことは恐ろしいこと、と言っていましたので、「もったいない」と、捨ててもいいものですら溜め込んでました。何かの時には使いようがあるからと。

で、実際親は「何とか」したことも数例あるんですよね。壊れたこたつのコードを、アイロンの壊れたコードと付け替えてアイロンを修理したり。

でも、そんなことばかりな訳ではないので、基本的にものは溜まっていくばかり。

もうひとつ。

それでも、何か「片づけたい」親は、私のものをよく捨てました。おもちゃとか漫画とか、「親にとって」いらないもの。

子供ですから、ポスターとか石とか、大人には意味のない宝物もありましたが、そういったものも捨てられました。しかも、こっそり。

こちらが気に入っているのを知っているけど、持たせておきたくないんですね。だから、寝ている間とか幼稚園や学校に行っている間にこっそり捨てて、あとで私が探しても知らんぷり。「片づけないからなくなったんでしょ!」と言われました。でも、いつもの定位置においていてもなくなるんですよね。それで、私が探していると、そのうち親が怒り出すんです。「そんなのなくたって、あんたが勉強できなくなるわけじゃないでしょ!」と。定番の台詞でした。

それでも、馬鹿なことに、親が捨てている、ということに対し、半信半疑だったんです。私(ちなみに、こっそりでなく捨てた時は猛烈に抗議を繰り返し、やっと、私のものに触らない、というかたちに持っていけました。この結果、かちんとくるともの凄い勢いで怒る、という反応を育ててしまい、現在それを直すのに苦労してますが…)。

それに気付いたのは、甥のおもちゃをこっそり捨てている親を見たから。

怒ったら、「こうしなきゃ片付かないでしょ!」と。

なんて表現したらいいかわかりません。言葉にならない怒りでいっぱいになりました。

私の片づけられない理由は、「ものが多すぎる」「ものにこだわりすぎて捨てられない」ですが、親から引き継いだもののようです。いらん遺産です。

ちなみに、掃除は好きなようです。磨くとか掃き掃除とか。片づけが駄目なんですね。

どうしたら直るだろう、と随分悩みました。

でも、捨てると「後で後悔するんじゃないか」「まだ使えるんじゃないか」などなど、いろいろな考えがよぎって、結局取り戻したりしてしまうんですよね。

よく考えたら。この、捨てた後に来る色々な横やりは、親が親自身のものを捨てながら言っていたことで、ごくまれに私がものを捨てると、紙くず以外はやはりこの言葉を言われていたことを思い出しました。

…なんだ、私じゃないじゃない。

そして、バレリーナオルゴールを買ってみたら。

ものを気持ちよく捨てられるようになっていることに気が付きました。

変な話、履き古した靴すら、捨てるのに躊躇を覚えていたんです。いままで。しかも新しい靴を買った後なのに。

それが。

あのオルゴールを手に入れて、色々なことに気が付いてみたら…ある日、捨てても平気かも、と思って、捨てられずにいた靴を捨てたら、すっきり気分で捨てられました!いつものごちゃごちゃなしで。

「ものが多い」のはまだ変わっていないので、これをいかに減らすかは今後の課題ですが、少しずつ、自分の中が整理されてきたように思えます。

 

 

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