だいぶ昔のことだが、文科省の委託業務を受注したことがある。
当然だけど、計画書や報告書をしっかり出さなくちゃならなかったし、経費は細かくチェックされた。
会社では、そういう面倒な仕事は全部僕が引き受けていたしね。
そんな面倒臭さは僕の思う文科省のイメージ通りだったけど、まったく融通が利かないのかと言えばそんなことは全然なかった。
勝手なイメージで「こんな提案してもきっと通らない」と思っていたことでも、ダメ元で提案したら案外あっさり許可された、ということは多かった。
国だから融通が利かないだろう。
国は何にもわかっていない。現場を知らないくせに勝手なことばかり言っている。
って何も知らないでイメージで語っていたのはむしろ僕たちの方だった。
企業も大学も霞が関も同じで、
これじゃいけない、変えなきゃ!と思っている人がいて、そうした人たちが必死で頑張っているんだけど、そういうことをまったく理解できないで、変えようと頑張っている人の足を引っ張る人も必ずいる。
で、そうした人のことを批判する本とか、そうした人の対処の仕方とかを書いた本がたくさん出ているんだけど、当の本人たちは自分のことが書かれているとはこれっぽっちも思っちゃいない。
だいたい、本なんて読まないから。
自分が間違っているとは夢にも思っていないし、組織を変える必要もないと思っていないから、本は読まないし、ましてやセミナーや勉強会なんか参加しようとも思わない。というか必要性を理解していない。そんなことして何の得があんのって言う。ものごとを損得でしか考えられない。
「霞が関の良くないところ」として、そうしたことが書かれているけど、それは霞が関に限ったことじゃなくて、どこの世界でも一緒です。
僕はセミナーや勉強会に時々参加しているから、志の高い人をたくさん見ていて、「日本も捨てたもんじゃない」って思っているんだけど、
でもそういう場に行くから志の高い人をたくさん見るのであって、実際の社会には7対3くらいでそうじゃない人の方が多いのだと思う。
企業だからどうだ、大学だからどうだ、文科省はダメだ、国はわかってない、とかじゃなくて、どこの世界にも好い人はいるし、ダメな人もいるんだから、そうした組織の壁を乗り越えて、ぼくらは志の高い者同士で手を組んだらいい。
だから僕はプロジェクトKが企画するイベントに、次は参加しようと思うし、僕が認めているすごい人たちにも声を掛けようと思っている。
それは好いことだと思うし、何よりも自分が楽しいから。