宋から帰国した聖一国師(承天寺開祖)が当時博多に流行していた疫病を憂慮。人々が担ぐ台上から祈祷水をまいて沈めたことに由来します。
八番上川端通流れはタイムレースには参加せず、飾り山をそのまま引き回します。
豪快な「追い山」の起源は1687年、土居流れと恵比須流れの若者達のささいな諍いから始まったそうです。
恵比須流れが恨みを持つ前を行く土居流れを追い越そうと走り出し、土居流れも負けずと走り出しました。
これが博多町衆の評判を呼び、翌年から前を行く山笠を追う形になったそうです。
15日の追い山が終わればそろそろ梅雨も明け、いよいよ博多の街も夏本番です。
撮影:EOS5D3+EF24-105mmL IS
八番上川端通流れはタイムレースには参加せず、飾り山をそのまま引き回します。
豪快な「追い山」の起源は1687年、土居流れと恵比須流れの若者達のささいな諍いから始まったそうです。
恵比須流れが恨みを持つ前を行く土居流れを追い越そうと走り出し、土居流れも負けずと走り出しました。
これが博多町衆の評判を呼び、翌年から前を行く山笠を追う形になったそうです。
15日の追い山が終わればそろそろ梅雨も明け、いよいよ博多の街も夏本番です。
撮影:EOS5D3+EF24-105mmL IS
今年は日曜でしたが、平日のやまがさも好きです。祭りが終わると何事もなかったかのように人々が仕事をはじめる雰囲気が、
追い山もいかれたんですね♪
私も早起きして行ってきました。
凄い人でしたね。
明日の記事で拙い写真を載せるのでよかったらどうぞ
写真で雰囲気が伝わってきますので余計に行ってみてみたいです。
中学生の頃、千代町に住んでいましたので、
千代流れの練習風景は見たことありましたが、追い山ならしは初めてでした。
やはり実際に見ると興奮します。
追い山は行ってないんです。
明日、貴ブログ拝見するのを楽しみにしています。
博多の夏の開幕を告げる一大イベントです。
長い伝統を感じますが、子供達の教育の場としても、
大人たちが責任を果していると思いました。