上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

楽しさいっぱい!:ベイサイドプレイス博多埠頭(2)

2011年09月28日 06時00分36秒 | ふるさとの風景
近海定期航路が発着するターミナルです。



入り口を入るとすぐ、円筒形で2階まで伸びる巨大な水槽「アクアリウム」があります。



志賀島航路のおしゃれな市営双胴船です。



高さ100m(展望台は地上70m)の博多ポートタワーの歴史は古く、1964年に完成しています。


最近は、韓国からの観光客の利用も多いそうです。

岸壁に隣接する商業施設。


夜景も楽しめ、デートコースにもお勧めですね。

湾岸市場では鮮魚や野菜などを安く購入することができます。



日帰り温泉もあります。


地方の知人が来訪したときには、観光コースに含めたいですね。

うみはすき?:ベイサイドプレイス博多埠頭(1)

2011年09月24日 06時54分12秒 | ふるさとの風景
大相撲九州場所も開催されている福岡国際センターから北へ向かい、高速道路の高架をくぐると博多湾が見えて来るます。

右手が中央埠頭で、イベント会場となる「マリンメッセ福岡」と、外国船が発着する「博多港国際ターミナル」が見えます。


国際ターミナルへは中国からの不定期の豪華客船などが到着しますが、韓国釜山港までは定期便が毎日10便以上が就航し、わずか3時間の船旅で外国へ到着することができます。

左手が博多埠頭で、博多湾クルーズや志賀島・玄界灘の島々への定期船が運航されています。



博多湾をふさぐように浮かぶのが志賀島ですが、市営定期船による海路は博多湾を大きく迂回する陸路よりもずっと早く、30分ほどで到着します。


志賀島には温泉付きの国民休暇村があり、海水浴や海鮮料理を楽しめます。
途中の「海ノ中道」には水族館「マリンワールド」や、国営「海浜公園」もあり、家族ぐるみで楽しめるアーバンリゾート地となっています。

坂道の街。桜坂界隈

2011年09月23日 11時24分49秒 | ふるさとの風景
時代が過ぎ、警固の丘陵地帯を切り通しにした坂道は、城南線の路面電車があえぎながら上っていました。
その頃の電停は「練塀町(ねりべいちょう)」と呼ばれていましたが、子供の頃、動物園に遊びに行く時は嬉しくて、車窓の景色をずっと眺めたものでした。

今では市営地下鉄の駅ができ、通りの両側にマンションが連立し、残った山肌がわずかに見えます。


そこにマンションが建つと、通りからは桜が見えなくなってしまいますね。桜坂から動物園へ向かう坂道には、有名な高級料亭が軒を連ねています。

台風一過:秋の気配

2011年09月22日 15時20分28秒 | ふるさとの風景
高い空に薄っすらと見えるのは秋の雲でしょうか。

引越し直後に注文していた、VDSL宅内装置用無線LANカードの用意がやっとできたとNTTより連絡がありました。
2ヶ月もかかったのは震災の影響か、それとも人気で生産が間に合わなかったのでしょうか。
今使用している古いADSL用の無線LAN親機が不要になるので、電話台周りがすっきりします。
それと無線LANの速度が、どの程度向上するか楽しみです。

大濠公園:城下町の面影

2011年09月21日 06時11分46秒 | ふるさとの風景
池を縦断する遊歩道は「西湖」の蘇堤を模したたのでしょうか。

 

南側には気象台があり、美しい公園の鳥瞰風景はNHKローカル天気予報のバック映像に流されています。

周囲2kmの遊歩道はジョギングや散歩には最適のコースです。

部分的に釣りが禁止されており、鯉や亀などが生息しています。

中国風に朱に塗られた「浮見堂」は公園のシンボルですね。


石造りの「観月橋」も優美です。


児童公園などもあり、子供を一日中安全に遊ばせることができそうですね。

バックのレトロなビルは昭和初期の建築で、終戦直後はアメリカ軍が使用しており、朝鮮戦争時にはアメリカ軍病院として利用されていたそうです。

中国「西湖」の写真を1枚掲載しておきます。

撮影機種:EOS10D
撮影日 :2003年12月

下之橋御門:城下町の面影

2011年09月17日 06時01分03秒 | ふるさとの風景
古地図を見ると城の北側には「下之橋」「上之橋」がありました。


説明文によれば、下之橋御門は火災で焼失し、平成20年に復元されたとあります。

黒田藩52万石に相応しい立派な門ですね。


門をくぐり、徒歩で城内へ入ることができます。

桜の季節には、また来てみたいものです。

夏の終わり、お堀には黄色い睡蓮が元気に花を咲かせていました。


それにしても今年の残暑は異常ですね。

旧「紺屋町通り」:城下町の面影

2011年09月10日 06時50分16秒 | ふるさとの風景
石碑を見ると、本来は「こうやまち」と読んでいたようですね。

古地図を見ると、明治通りと国体通りの間には「中掘」が掘られ、「紺屋町堀」と呼ばれていました。

江戸時代から続く醤油と味噌の老舗です。


新しい味の店も発祥しています。

古くて新しい「大名町」です。

旧「小姓町通り」:城下町の面影

2011年09月07日 06時16分16秒 | ふるさとの風景
道路整備や再開発で、細い通り沿いのほとんどの民家はショップやマンションに建て替えられています。


住居表示が大名に統一され、古い町名は地図から消えました。


歯抜けになった空き地。再開発を待つ間は有料駐車場になっています。


小姓町通りは「東小姓町通り」と「西小姓町通り」があります。



国体通り。夕方には博多名物の屋台の開店準備が始まりました。

博多名物の屋台は「一代限り」と条例化されましたが、また市議会では存続問題が検討されています。