上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

博多カメラ散歩:博多の老舗「上久醤油」-中央区大名1丁目

2014年05月18日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
1.「紺屋町東通り」
この辺りは城下町の名残を残すために「通り名」を決めています。「大名1丁目」は住居表示ですが「紺屋町東通り」は通称になりますね。

2.何やら行列ができています。



「3.こちらは幕末の安政2年(1855年)創業の老舗醤油メーカーさんです。写真にある「被り物」の「醤油瓶」は現在のゆるキャラですね。


藩のご用達でもあり、幕末当時は黒田藩の砲台建設など度々資金献上を行いました。

4.今日は年に1度の創業祭で「味噌の量り売り」のイベントをやっていました。


明治・大正・昭和と激動の日本を生き抜いた知恵と努力のおかげで現在があるようです。

5.店舗の裏庭には先の大戦で焼け残った「土蔵」が健在です。


北側にある「若宮神社」まで焼けたそうですが、ここは神社のおかげで助かったそうです。

6.古い日本家屋


博多の老舗を象徴する家屋ですね。

7.古い仕込み蔵


文久3年(1863年)建造の蔵は今でも仕込み蔵に使用されています。これより先は一般は立ち入りできません。

8.昔使われていた井戸。


この辺りは「紺屋」の名が残るように、染物屋に必要な豊富な地下水があり、醤油や酒造りにも適していたようす。

9.年表に書かれた店の歴史。


現在はお隣の糸島市に主力工場があるようです。

10.江戸初期、宮本武蔵も住んでいた大名1丁目。


関が原の合戦で西軍に参加した武士は幕府の令で各藩に仕官することを禁じられていました。武蔵が大名に住んでいたことは、私も今回初めて知りました。

11.「はっぴ」に刻まれた博多商人の心意気。


お店の方に「写真撮影」を伺ったら、忙しい中快く承諾していただけました。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

耳が4つある作曲家はだーれ?:上海ライブ2014年ダイジェスト(24)

2014年05月14日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.地下鉄7号線「常熟路」付近

謎謎の答えは「食パンには耳があるから」。
日本人にだけ通じる謎々ですが、中国人に「耳が4つある作曲家は?」と聞いたら・・・・

2.「常熟路」から淮海中路を西に歩くと、謎々の「答え」が分かります。



3.淮海中路には古い洋館が立ち並ぶ。



4.淮海中路と復興西路が交差する角に小さな緑地があります。



5.この方が耳が4つある作曲家「聶 耳:ニエアール」です。


中国国歌「義勇軍行進曲」の作曲者。

1935年7月、来日中、藤沢市の海岸で遊泳中に不幸にも溺死しました。若干23歳。
この方、昆明の生まれ。中国では音楽の天才と呼ばれています。
小学校入学後、笛、二胡、三弦、月琴などを独学で習得し、小学校では児童楽団の指揮を担当していました。
雲南省の師範学校入学後、バイオリンとピアノを又独学で習得、卒業後、映画会社に入社し、楽団に所属しました。

1935年、上海市徐家匯公園にある洋館、当時は音楽会社(EMI)の録音所でしたが、
ここで映画の主題歌として「義勇軍行進曲」は録音されました。

藤沢市の海岸には「聶耳記念広場」があるそうです。
オリンピックなどの表彰式で聞く中国国歌は勇ましいですが、実ははこんな裏話も秘めています。

6.総領事官邸が立ち並ぶ。


通りにはフランス、アメリカ、日本領事公邸が並んでいますが、近くでの写真撮影は厳禁です。

近くにある「英国総領事官邸」はレストランになったそうですが、「アメリカ総領事館」も民間施設に転用されないでしょうかね。
そこはトヨタ自動車の前身、豊田自動織機の生みの親「豊田佐吉」の邸宅だった建物です。
アメリカ総領事館のお隣、日本総領事官邸も優秀歴史建築に指定されている「盛宣懐」の邸宅だった建物です。
この辺り、民間施設に転用すれば人気になると思うのですが。haichaoluの個人的見解。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

無事帰国しましたので「上海ライブ2014」は終了です。半年間お付き合い戴き、ありがとうございました。

この後、ブログの更新は不定期になるかもしれません。

上海ライブ2014:徐匯芸術館で「玉」を鑑賞

2014年05月12日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.建物は1932年の建築。


2.前身は「鴻英図書館」


「徐匯芸術館」としては2005年から一般公開しています。

3.「鴻英図書館」は上海の実業家「葉鴻英」の寄付によって開館された上海図書館です。


黄炎培や蔡元培など上海の著名人の発起により1932年に開館しました。

4.「玉石専題展」


「玉」は中国の宝石類の総称です。翡翠やトルコ石、オパールなどが含まれます。

5.「和田帯皮白玉俏色」中国美術大学教授作


和田玉は中国では「軟玉」に分類され、「和田玉」や「新疆玉」とも呼ばれます。
硬度が6-7の一番高い玉で、英文ではNephriteやJadeとも呼ばれます。
色により白玉、青玉、碧玉、黄玉、墨玉の5種類に分別されていますが白玉が最上級のようです。

6.「和田帯皮白玉俏色(荷塘清趣)擺件」中国美術大学教授作


中国では玉彫刻の歴史は古くその起源は3000年も遡ります。
流派が「海派」「揚派」「北派」「南派」の大きく4つに分かれ、上海地方は「海派」と呼ばれています。
それぞれ特徴があり奥が深いようです。

7.「青海碧玉茶壺」



8.「和田帯皮白玉仿犀角鏤彫山水人物杯」工芸美術大教授作


どれも売り物ではないので値段は分かりません。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:桃江路の洋館でお昼でもいかが

2014年05月10日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.目印は「7」だけ。
レストランの入口は目立たない裏木戸です。

2.店名は「恩理和」



3.南側の庭に続くウッドデッキがいい雰囲気です。



4.天気の良い日は庭でのランチもいいですね。



5.ブログによれば、夏は蚊が多いので注意とのこと。



6.母屋は3階建てで最上階にはオーナーの老太太(老女)が住んでいるとか。



7.室内は少し暗めで、壁の写真や小物もおしゃれ。



8.窓からの眺めも落ち着いています。


料理は普通の中華。場所柄ちょっとお値段は高めですが、夜のデートにはお勧めかも。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

「主席公館」でお茶でもいかがですか:上海ライブ2014年ダイジェスト(23)

2014年05月09日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.上海のガイドマップには3人は「上海灘風雲人物」とだけ紹介されています。

2.場所は襄陽北路・新楽路角にあります。



3.レストランではお昼のケーキセットが戴けるようです。



4.女性方には気に入られそうな、おしゃれな佇まいですね。



5.門柱にはその風雲人物3人「黄金栄、杜月笙、金延某」の名前の記載があります。



6.お向かいにあるロシア教会は同時期に改修後、何年も何も利用されていないようです。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:汾陽路のスペイン風邸宅

2014年05月07日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
1.以前は税関の施設で一般人は立ち入ることができませんでしたが、今ではホテルとして運営されています。
敷地内にある洋館は上海優秀歴史建築に指定されています。

2.ホテル名は「汾陽花園酒店」。



3.入口すぐ右手にある洋館ですが、今は喫茶店として利用されています。



4.南側の庭へ回り撮影しました。



5.建物は1932年に税関の「総税務司:租界の税関長で歴代外国人が任官」の住宅とて建築されました。



6.抗日戦争勃発後は中国人副税関長「丁貴堂」の住居となりました。


彼は共産党地下組織と関係があり、組織に資金的援助もしていました。

7.彼は税関の立場を利用し、蒋介石が多くの物資を船に積み、台湾へ運ぶ際には妨害工作をしました。



8.気が付かずに通り過ぎてしまいそうですが、汾陽路側に喫茶店の目立たない入口がありました。


想像ですが、中国各地の税関建物がとても素晴らしいのは、革命に協力した彼のおかげかも知れませんね。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:高級茶館は国民党高官の邸宅だった

2014年05月05日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1.建物はフランス人設計家の傑作と言われる。創建は1933年。

2.場所は肇家浜路から襄陽南路を少し北へ行った処。



3.現代的な洋館を曲がった奥にあります。



4.現在はプーアール茶の茶館として利用されています。




5.建物のあまり改修がなされてないのがいい味を出しています。



6.TV番組などでも紹介されていたようですが、こんな素晴らしい建物があることは私も初めて知りました。



7.質素な玄関ホール入口は私邸として使用されていたことが伺えます。


壁には訪れた芸能人の顔写真がたくさん貼ってありましたが、私には1杯数万円する名茶を飲んでもきっと味がわからないでしょう。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:「四明村」は文化人が多く住む里弄だった

2014年05月03日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
1.「四明村」の北側入り口。
南北の中央の通りから両側に魚の骨のように行き止まりの路地が東西に並び、南側は「巨鹿路」へ出られます。

2.優秀歴史建築のパネル


入口前には誇らしげに優秀歴史建築のパネルが掲示されています。

3.文化名人の名簿


入口を入った右側にこの村に住んでいた文化人の名前が掲示されています。

中央2行目「徐 志摩」現代詩人。21歳で米国留学、24歳で英国留学。
作品を発表しながらいくつもの大学で教鞭をとりますが、34歳の時北京へ向かう途中飛行機事故でドラマチックな一生を終えます。
生涯3人の女性と結婚・2度の離婚をします。

18歳で最初の妻を娶ります。妻は名家の出自で夫に尽し子供を養育しますが「愛のない結婚」と離婚。
2回目の結婚。英国留学中にやはり名家出身容姿端麗、才女との誉れ高い17歳の女性と再婚。
しかし29歳で2番目の妻とも別れ、3回目の結婚をします。

相手は夫のある有名な女流画家(中央4行目の「陸小曼」)、当時は新聞紙上を沸騰させたそうです。
女流画家はアヘン常習者で浪費家。妻を愛する徐志摩は已む無くいくつもの大学を掛け持ちで働かなくてはいけませんでしたが、
その事が彼の死期を早めました。

北京へ重要な学術報告のために向かった徐志摩、旅費の節約のため搭乗した郵便飛行機が濃霧のため済南の山に接触墜落、短い生涯でした。
芸術家は自分に妥協することなく、真実の愛を追い求めたのでしょうか。

後日談。
1番目の妻は才覚があり、離婚後ビジネスで成功し銀行なども創設、56歳で再婚し天寿を全うします。
2番目の妻は別れた夫の飛行機事故の破片を一生手元に置き、文学青年のための「徐志摩基金」を創設しました。
3番目の妻は夫の「全集」出版をライフワークとし62歳まで生きました。

「詩人を愛した3人の妻」、ドラマのストーリーになりそうな話ですね。

4.少区に入れば静かな家並み。



5.10年前と違うのは自家用車の駐車が増えたことですね。



6.行き止まりの路地


一戸の入口は一つで、奥に小さな庭と水回りがあります。典型的な長屋(テラスハウス)形式ですね。

7.住宅脇の小さな緑地に植えられた樹木も枝を広げています。



8.ミシン掛け


天気の良い日は表で家事。

9.地元の診療所


地区の小さな診療所があります。

10.巨鹿路の入口


入口には一応警備員がいますが、通り抜けは自由です。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海一美しい建物:上海ライブ2014年ダイジェスト(22)

2014年05月02日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
1.「白公館」は国民党参謀部総長「白崇禧」の邸宅でした。
「白崇禧」回族。1893年広西桂林に生まれる。
1909年広西省立初級師範学校試験に2番で合格。
1914年陸軍軍官学校に第三期生として入学、卒業後桂軍第一師団に任官。
1937年抗日戦争暴発、軍事委員会参謀本部副参謀総長兼軍訓部部長等歴任。
国民党軍隊高級将校の中では知将と謳われ「小諸葛」とも呼ばれた人。
抗日戦争の桂南会戦を指揮し、国民党が初めて日本軍に勝ち、蒋介石に対抗できる力量がある人物とされた。
1946年に国民党国防部長に昇進、蒋介石の追い落としを画策した。
しかし1948年に蒋介石の反攻で国防部長を罷免され、武漢へ左遷される。
その半年後、蒋介石が下野し南京へ返り咲き共産党との和平案を唱えるが、時すでに遅く共産党が長江を渡河、1949年台湾へ逃亡。
1966年台湾で病死。

2.フランス古典主義風格の建築「白公館」。


1930年代の建築。

3.建築後、テラスをガラスで覆う改修がされたようです。


大きなガラス張りのテラスが気持ちの良いレストランです。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS