下記お知らせをお読みください。
1.南側から見た三連水車
江戸初期の寛文2-3年(1662-1663年)に起きた干ばつを契機に、筑後川から水を引くための大工事が行われ、翌年には水田を潤す「堀川用水」が完成しました。
2.国指定史跡
平成二年に「堀川用水路水車群」として国の史跡文化財に指定されました。
3.三連水車と堀川用水
しかし、堀川用水の北側の農地は勾配があり、そのままでは山側の農地には水を送ることができませんでした。
より多くの農地を水田にするため、堀川用水の水を高く持ち上げ送るために水車が考案されました。
4.北側から見た三連水車
1780年代にはすでに稼働していたそうです。当初、水車は2連でしたが、1789年に一基が追加されたとの記録が残っています。
一番大きな水車は直径が4.8mあるそうで、三蓮水車のみで毎分約6トンの水を汲み上げています。
5.揚水の取水口
組み上げられた揚水はここから取水され水田に送られます。
6.日本疎水百選
堀川は日本疎水百選に指定されています。
7.二連水車
三連水車ののすぐ下流には二連水車も稼働していますが、二連水車がもう一基あり、付近には合計で三ヶ所あるようです。
8.日本でただ一つ
農業用水の揚水のための水車が現存・稼働しているのはここだけだそうです。
9.5年に一度
松・竹・樫・杉など良質な木材で制作されていますが耐久性が短く、5年に一度架け替えられるそうです。
地元には水車の制作や保守の技術が受け継がれているようです。
お知らせ
2010年よりスタートした「上海下町写真館2010」は、画像ファイルが制限を超えてしまいましたので新しいアドレスへ引っ越します。
9月19日より「上海下町写真館2014」で継続しますので、お手数ですがブックマークの変更をお願いします。
今後とも弊ブログを宜しくお願いします。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS
1.南側から見た三連水車
江戸初期の寛文2-3年(1662-1663年)に起きた干ばつを契機に、筑後川から水を引くための大工事が行われ、翌年には水田を潤す「堀川用水」が完成しました。
2.国指定史跡
平成二年に「堀川用水路水車群」として国の史跡文化財に指定されました。
3.三連水車と堀川用水
しかし、堀川用水の北側の農地は勾配があり、そのままでは山側の農地には水を送ることができませんでした。
より多くの農地を水田にするため、堀川用水の水を高く持ち上げ送るために水車が考案されました。
4.北側から見た三連水車
1780年代にはすでに稼働していたそうです。当初、水車は2連でしたが、1789年に一基が追加されたとの記録が残っています。
一番大きな水車は直径が4.8mあるそうで、三蓮水車のみで毎分約6トンの水を汲み上げています。
5.揚水の取水口
組み上げられた揚水はここから取水され水田に送られます。
6.日本疎水百選
堀川は日本疎水百選に指定されています。
7.二連水車
三連水車ののすぐ下流には二連水車も稼働していますが、二連水車がもう一基あり、付近には合計で三ヶ所あるようです。
8.日本でただ一つ
農業用水の揚水のための水車が現存・稼働しているのはここだけだそうです。
9.5年に一度
松・竹・樫・杉など良質な木材で制作されていますが耐久性が短く、5年に一度架け替えられるそうです。
地元には水車の制作や保守の技術が受け継がれているようです。
お知らせ
2010年よりスタートした「上海下町写真館2010」は、画像ファイルが制限を超えてしまいましたので新しいアドレスへ引っ越します。
9月19日より「上海下町写真館2014」で継続しますので、お手数ですがブックマークの変更をお願いします。
今後とも弊ブログを宜しくお願いします。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS