上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

外灘(ワイタン)物語

2010年08月31日 08時47分50秒 | 上海優秀歴史建築
外灘散策に便利なように、各建物の位置関係をまとめました。ブログ記事の索引としてもお使い下さい。

外灘探索マップ


1880年頃の外灘<黄浦江人文热线>
 <北>

南蘇州路
租界発祥の地:旧英国総領事館 1873年
ペニンシュラー・ホテル
中山東一路29号:東方匯理銀行大楼 1911年
北京東路2号:格林郵船大楼 1922年
北京東路
中山東一路27号:怡和洋行大楼 1920年
中山東一路26号:揚子大楼 1928年
中山東一路24号:横浜正金銀行上海支店 1924年
中山東一路23号:中国銀行大楼 1937年
填池路
中山東一路20号:華懋飯店(沙遜大厦) 1929年
南京東路
中山東一路19号:匯中飯店(パレスホテル) 1906年
中山東一路18号:麦加利銀行大楼 1922年
中山東一路17号:字林西報大楼 1923年
中山東一路16号:台湾銀行上海支店 1926年
九江路
中山東一路15号:華俄道勝銀行 1903年
外灘公共服務中心
中山東一路14号:交通銀行大楼 1948年
漢口路
中山東一路13号:海関大楼 1927年
中山東一路12号:匯豊銀行大楼 1923年
福州路
中山東一路9号:旗昌洋行 1901年
中山東一路7号:大北電報公司 1907年
中山東一路6号:中国通商銀行 1906年
中山東一路5号:日清大楼 1925年
広東路
中山東一路4号:有利大楼 1922年
中山東一路3号:シャンハイ・クラブ(上海総会)-英国租界の社交界 1910年
中山東一路1号:亜細亜大楼-外灘第一楼 1916年
延安東路
延安東路外灘:外灘信号台 1907年

 <南>


1900年頃の外灘<黄浦江人文热线>


1937年頃の外灘 右の女神像は高さ22mの欧戦記念碑。旧日本軍占領時に撤去。<黄浦江人文热线>

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中山東一路29号:東方匯理銀行大楼

2010年08月31日 06時19分06秒 | 上海優秀歴史建築
この土地には英国キリスト教協会が礼拝堂を建てていましたが、経費や組織管理が無頓着で消散し、取引銀行であったフランス銀行が取得しました。

その後、フランス銀行の出資先であった華俄道勝銀行に渡りました。

1907年、華俄道勝銀行が社屋新築のため、現外灘15号に移転した後を東方匯理銀が取得しました。

1911年に3階建て占有敷地面積1,236m2、建築面積2,772m2の社屋を建築しました。

外灘では3階建ての階層は多くはありませんが、隣の格林郵船大楼より6m低いだけで、外部の彫刻は精巧で美しく内装とも十分豪華です。

第二次世界大戦下、上海の英米銀行は日本の管理下になり業績を低下させましたが、ドイツに降伏したフランス政府の管理下を離れた東方匯理銀行はかえって業績を伸ばし、資本金は1.5億フランにまで拡大しました。

その裏では、中国人管理者の横領蓄財や、上海の闇商人と結託し米の市場操作の資金提供をしたなど暗い歴史も秘めています。

1956年建物は人民政府に接収され、上海市公安局交通課が使用していましたが、1995年から北京に本店がある光大銀行上海支店が業務を行なっています。

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北京東路2号:格林郵船大楼

2010年08月30日 06時09分53秒 | 上海優秀歴史建築
1922年に完成したビルは占地面積1951m2、7階建てで建築面積は12,825m2。

「格林」は英語の「グレンライン」の中国語音訳と思います。

外灘側の間口が狭いので、北京路側(南側)を正門としました。


太平洋戦争中は日本軍が管理し、横浜正金銀行も1階を使用していました。

太平洋戦争終了後は米軍も一時使用していましたが、中華人民共和国成立後は中ソ友好閲覧室にも使用されていました。

1951年3月からは上海人民ラジオ局が使用し、以来45年間、ここからラジオ番組を放送していました。

1996年、上海ラジオ局が虹橋路の広播大厦へ移転した後は、放送関係の団体数社が使用しているようです。

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中山東一路27号:怡和洋行大楼

2010年08月29日 06時00分32秒 | 上海優秀歴史建築
怡和洋行(Jardine,Matheson & Co.,Ltd)はイギリスの東インド会社が前身。
1832年、スコットランド出身のイギリス東インド会社の元船医で貿易商のウィリアム・ジャーデンとジェームス・マセソンにより広州に設立されました。
アヘンの密輸と紅茶の輸出が主な業務でした。
二人はいったんは英国に強制送還されましたが、上海開港とともに捲土重来、1843年に第一番に上海に開業しました。

1871年の統計ではアヘンの上海輸入量は62,300箱あり、中国へ輸入された総量の68%だったそうで、アヘンの利益が莫大で、各商社ににとって繁栄の基盤になったことが想像できます。

1908年の怡和洋行<黄浦江人文热线>


1845年、怡和洋行は当事外灘1号地であった外灘と北京路の角の一等地に土地を借り、3階建ての社屋を建設しました。

2度目には同地に東インド風の社屋を建築しましたが、3度目に現存する6階建て鉄筋コンクリート造り6階立ての社屋を建築しました。

占地面積は2,100m2、建築面積は14,300m2。屋上はルーフバルコニーになっており、4方の手すりの壁には精巧な人物や動物、帆船等のレリーフがあり、中央には旗竿の立つ3段式円形の屋根を持った搭屋がありました。

太平洋戦争中は日本の三井洋行の管理下に置かれました。終戦の1845年秋には営業を再開しましたが、上海で「洋行の王」と称された昔日の繁栄には至りませんでした。

1983年、上海政府が屋上に2階分増築した時に、それらの芸術品は全て遺棄されたそうです。

今では上海市の文物保護法によって優秀歴史建築は保存されています。

歴史上「HSBCは彼らの利益を本国へ送金するために設立した」「彼らが英国議会を動かしアヘン戦争は決定した」とまで語り継がれる香港の怡和洋行は、今でも「香港政庁の次に従業員が多い」と言われるほど繁栄しており、「ヌーンデイ・ガン」の時報を今でも鳴り響かせています。

以前は回転寿司店が営業していましたが、今では高級レストランが入居しています。南京路側から1階中庭で営業しているカフェテラスに入ることができます。

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上海街歩きを極める(1)上海の地名

2010年08月28日 06時26分29秒 | 上海街角スナップ
1907年上海外国人居住区地図<黄浦江人文热线>



1865年から実施されたルールの1つ目は「南北に走る道路は中国の省名にし、東西に走る道路は中国の都市名にする。」です。

大きな南北の道路では外灘から西へ「四川路」「江西路」「河南路」「山西路」「福建路」「浙江路」「雲南路」「西蔵路」などがあります。

標識の「赤丸」は起点で「N」は北を指します。

東西の道路は北から「北京路」「寧波路」「南京路」「九江路」「漢口路」「福州路」「広東路」などですが、中国地理に疎い日本人には重要ではないので憶える必要はありません。

同じく「赤○」は起点で、「E」は東を指します。

大切なのは2つ目のルールの「延安路と中山東一・ニ路」基準です。
番地は南北の道路は延安路を、東西の道路は黄浦灘路(今の中山東一・ニ路)を基点とし、道路の右側を偶数番、左側を奇数番にする。」です。
少しややこしいですが、ゆっくり考えれば理解できます。
「T字」を右に90度倒し、「┤」とします。北を上にして縦棒が「中山東一・ニ路」、横棒は「延安路」です。

東西に走る延安路から北へ道を進むと番地が段々大きくなり、右側(東)が偶数で左(西)が奇数番地です。


延安路から南へ下がる道も南へ進むと番地が段々大きくなり、右側(今度は西)が偶数で左(今度は東)が奇数番地です。


東西の道は西に行くほど大きくなり、右手(北)が偶数で左手(南)が奇数です。

1番地の隣に2番地はありません。(道の対面にあります。)如何ですか、ご理解頂けたでしょうか。

なお、「中山路」は中国各都市にあるようですが、辛亥革命の父「孫文」が日本で使った「中山」の名前が使われているのでしょうから、比較的新しい名称だと思います。
上海の場合、環状線に使われており、「中山東一路・中山東二路(外灘)」「中山西路」「中山南路・中山南一路。中山南二路」「中山北路・中山北一路・中山北二路」と東西南北にありますので、タクシーをご利用の場合は注意してください。


付録ですが、上海は広いので番地が無限に大きくならないように、例外はあるようですが次の基準があり、こちらは憶えておくと便利です。
南北の道は蘇州川から北が「○○北路」、蘇州川から延安路までが「○○中路」、延安路から南が「○○南路」となっています。
延安路は例外ですが、東西は概ね西蔵路を基準として東が「○○東路」、西を「○○中路、又は○○西路」となっています。
従って、街歩きには「延安路と西蔵路が基準」とも言えます。

如何ですか、これを憶えるとあなたも「上海通」ですね。

(一部写真はストックから使用しました。)

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中山東一路26号:揚子大楼

2010年08月27日 06時26分10秒 | 上海優秀歴史建築
外灘26号地はサッスーン洋行が所有する土地でしたが、19世紀終わりに麻薬の商業取引が禁止されて経営が傾き、揚子保険に売り渡しました。

建物は1917年に起工し1920年に完成しましたが、第一次世界大戦後の混乱もあり、1928年から本社事務所として使用されたようです。

占地面積639m2、7階建てで建築面積は4,374m2。


太平洋戦争中は日本軍に接収されていましたが、戦後また復活しました。

新中国成立後は保険会社数社が入居しており、「保険大楼」と呼ばれていました。

最近まで農業銀行外灘支店が使用していましたが、2007年に撮影した写真には写っている上部の金文字も今は取り外され、営業を取りやめているようです。

2004年上海発行の本にも「左に傾いている」との指摘がありましたが、そのためなのでしょうか。

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中山東一路24号:横浜正金銀行上海支店

2010年08月26日 06時53分02秒 | 上海優秀歴史建築
上海支店の開設は1924年となっていますが、1893年には南京路で建物を借り、既に事務所を開設していました。

翌年に始まった日清戦争時はフランス銀行に業務を委託していましたが、戦後中国での地位を確立し、その後勢力を増していきました。

中国では大連支店(1909年)・北京支店(1910年)・ハルビン支店(1912年)・青島支店(1919年)・漢口支店(1921年)奉天支店(1925年)・天津支店(1926年)がありましたが、各支店の建物も多くは現存しているようです。


上海支店だった現存の建物は1924年8月に竣工。占地面積は2,500m2、6階建てで建築面積は18,932m2あります。

外灘24号地はサッスーン洋行が所有する物件でしたが、その頃麻薬取引禁止とともにサッスーン洋行の経営が傾き1923年に買い取りました。

外壁には武士と菩薩の塑像があったそうですが、これが文革時に傷つけられた菩薩像でしょうか。

大日本帝国の栄枯盛衰を物語るようです。

現在は中国工商銀行外灘支店が営業しています。

優秀歴史建築にも指定されています。

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中山東一路23号:中国銀行大楼

2010年08月25日 06時38分27秒 | 上海優秀歴史建築
1934年に社屋の建替え計画が持ち上がり、英国建築学院を卒業した中国銀行建築部の中国人設計士が設計を担当しました。

当初は34階建ての計画でしたが、隣の沙遜大楼を高さで超えてしまうため、当事租界の最有力者であった沙遜の干渉に遭い、地下2階を含め17階建てに変更しました。

沙遜大楼の金字塔よりわずか0.3m低くしたそうです。

1937年竣工の大楼は占有敷地面積5,075m2、建築面積32,548m2。

地下には当事最先端の金庫室があり、全館14基のエレベーターを持ち、空調設備や消防設備なども最先端でした。

太平洋戦争が勃発し、旧日本軍が上海を占領した時には横浜正金銀行が管理下に置きました。

中華人民共和国成立後は国営銀行に戻り、本店を北京に移しましたが、2004年には民営化とされました。

2007年には世界第9位にランクされ、国内13,000箇所、世界25か国に事業所550箇所を展開するまでに発展しました。

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中山東一路20号:華懋飯店(沙遜大厦)

2010年08月24日 07時25分23秒 | 上海優秀歴史建築
1階フロアーは昔の古典的な十字形のレイアウトが復活し、中央のロビーは八角形で4箇所の入り口と、4箇所に上海のレリーフが飾られています。

1956年から「和平飯店」が営業していましたが、2007年4月から改装工事が始まり、3年後の今年7月28日に再オープンしました。

新和平飯店は上海で最も宿泊費が高い5星ホテルとなったそうです。

新ホテルの客室はスイートを中心に256室、レストラン5軒にバー、ロビーカフェテリア、寿司バーなどが設けられているそうです。


従来5階から10階がキャセイ・ホテルでしたが、9カ国の特徴的な内装が施されたVIPルームがありました。

5階はドイツ、インド、スペイン、日本式、6階はフランス、イタリア、米国式、7階は中国、英国式があり、全て東の外灘に面していました。

新ホテルは印度、英国、中国、米国の4部屋は従来どおりの形式を保っており、その他は新しく設計となったそうです。

8階はバーやダンスホール、中華レストランなど、9階はパーティホールなどがありました。

10階の一部はサッスーンの英国式住宅でした。

屋上には三角形の銅ぶき屋根を持った等屋があり、内部にはレストランもあったとか。

ベランダも備え個人的パーティが催されて、下層から料理を運ぶエレベェーターも有ったとか。

旧和平飯店は過去に各国大統領や著名人など多くの客をもてなしてきました。新和平飯店は、また上海へ来訪する多くの貴賓をお迎えすることでしょう。

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徐家匯:港匯広場(3)-お昼は飲茶で

2010年08月23日 07時55分58秒 | グルメ
定番料理のご紹介、先ずはせいろ蒸しから。









 海老シュウマイの皇帝です。川海老が丸ごと入っています。プリプリの食感は新鮮さが決め手。










 野菜の芽と海老が具のヘルシーな蒸し餃子です。










 蟹肉が入った豚のひき肉具のシュウマイ。










 鶏の足の煮込み。この料理が店の実力を示します。










 豚の骨付き肉の煮込み。上海人は「骨の周りの肉が一番美味しい」と言います










 大根下ろしが入った餅で、香港の正月家庭料理の定番ですが、ちょっとピリ辛。消化は良さそう。










 名前は焼飯ですが、あわび出汁のおじや風。食べきれずに残ったらお持ち帰りです。


  以上で、お勘定は大体一人1000円前後です。
 
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中山東一路19号:匯中飯店(パレスホテル)

2010年08月22日 06時52分25秒 | 上海優秀歴史建築
辛亥革命の蜂起が成功した1911年、12月末に孫文が上海に来訪し中国同盟会本部が大ホールで歓迎大会を開催しました。

そこで孫文が記念すべき「民生主義」の演説をしたそうです。

占地面積は2,125m2、建築面積は11,607m2、6階建てで高さは30mあります。


ルネサンス式で比較的シンプルな外観ですが、赤色のレンガで縁取りされています。


新築当初、屋上には庭園とバロック式の2つの搭屋がありましたが、1914年に6階から火災が発生し焼失しました。


1930年代には中国人に開放されました。

或る日、魯迅が着飾って出かけましたが「中国人ボーイのように思われて、エレベーターには乗せてもらえなかった」と記述しているそうです。

1965年からは和平飯店が南楼として使用していました。


現在、1階では外国ブランドの時計メーカーが営業しています。

外灘へお越しの際は、1階だけでも内部の見学に是非お立ち寄り下さい。

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中山東一路18号:麦加利銀行大楼

2010年08月21日 10時55分25秒 | 上海優秀歴史建築
「いらっしゃいませ、ようこそバンド18へ。」

「この建物は1922年に英国のチャータード銀行(麦加利銀行)が建てたんです。」



「5階建てで占地面積は1,755m2、建築面積は10,256m2ございます。」


「チャータード銀行は1853年設立の英国皇室特許を持つ植民地銀行で、上海支店は1858年に開設されました。」


「中華人民共和国成立後の1955年、チャータード銀行は営業規模を縮小し、建物は政府の管理下になりました。」



「2002年から台湾の企業が改修工事を担当し、2004年に工事が完了し、1階-3階には海外服飾宝飾品のブランド店が出店しています。」



「4階は多目的展示場、5階は広東料理店、6階にはフランス料理店もございますよ。」

「外灘へお越しの際は、是非お立ち寄り下さい。」

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中山東一路17号:字林西報大楼

2010年08月20日 07時21分14秒 | 上海優秀歴史建築
1921年に新社屋の建設が始まり、1923年6月に竣工した建物は地上8階地下1階、屋上に1対の搭屋を持ち高さは地上40mで当時外灘一の高層ビルでした。


占地面積は1,043m2、建築面積は9,043m2、外壁には日本から運ばれてきた1200トンの花崗岩が使用されています。

外壁にはイタリア人の職人が製作した1対の女神像があったそうですが、惜しくも文化大革命時に破壊されてしまいました。


建物の1、5、6階以外は保険会社等テナントに賃貸しし、その内、主要テナントは1921年上海に開業した米国友邦人寿保険公司でした。

当時、友邦人寿保険公司は香港、シンガポールなど中国国内外に15の支店を展開するほど繁栄していたそうです。

1948年には年間112,920ドルの賃料で建物のほとんどのフロアを保険会社などに賃借しました。

1951年に<字林西報>は停刊となり上海を去りましたが、1998年、半世紀ぶりにに米国友邦保険公司が開業し再度入居しています。

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中山東一路16号:台湾銀行上海支店

2010年08月19日 07時00分40秒 | 上海優秀歴史建築
1895年(明治28年)日清戦争の結果、下関条約によって台湾が日本に割譲されました。

1899年に日本は植民地銀行として台湾に台湾銀行を創設しました。

台湾銀行は1911年に上海に支店を開設しました。


1926年に占地面積904m2、鉄筋コンクリート造り4階建ての社屋を建築しました。

九江路の角地に建っていますが、台湾銀行のすぐ西には当時旧三菱、旧三井、旧住友の各銀行が集まって営業しており、今でも建物が残っています。

現在は中国招商銀行が営業中です。1994年に優秀歴史建築に指定されています。

建築的には地元では余り好評ではありませんが、日本が建てた西洋建築が、今でも海外に残っていると言うのも興味あるものです。

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徐家匯:港匯広場(2)-高級化する食品スーパー

2010年08月18日 07時42分17秒 | 上海街角スナップ
2004年に「Ole’」1号店をシンセンに開店し、2008年にはシンセン2号店、2010年には上海を始め、北京、杭州、寧浪、広州など6-8店舗の開業が計画されています。

面積4000m2の売り場は高級食品が売り物で、商品の70%は輸入品だそうです。

輸入食品を主力として扱う店は、上海市内には日系の久光デパートしか今までありませんでした。

日本の青森リンゴや静岡産メロンも並んでいます。

値段は日本のデパチカ並ですが、従来野菜くずなどが床に散乱しているのが当たり前の売り場を目にしていた上海人に、高級スーパーはどのように評価されるでしょうか。

お菓子売り場には日本の菓子メーカーの中国産商品もあります。

食の安全に関心が高まっている今日、信頼性の高い食品が選ばれるはずです。

良く見ると杭州で製造しているようですが、高級スーパーに今後日本の菓子メーカーの活路が見出せるでしょうか。

上海の富裕層が「Ole’」受け入れるか、これからも上海市場からは目が放せませんね。

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