上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

日蓮上人銅像:博多区東公園界隈(2)

2011年10月29日 06時55分20秒 | ふるさとの風景
鎌倉時代の1274年と1281年の2度にわたり勃発した「元寇」は、日本有史以来最初の国難でした。


蒙古来襲を予言し、鎌倉幕府を批判したとして日蓮は佐渡へ流罪となります。



銅像の台座7面には彼の一代記が刻まれています。


その内、対馬における元軍狼藉の図。

明治37年に建立された銅像は、西洋美術と日本の鋳造技術の融合だとか。



もう一つ、宗教色を排除した工芸美術的な説明があります。


市内に数ある元寇史跡の一つに指定されています。



十日恵比寿神社:博多区東公園界隈(1)

2011年10月26日 06時31分01秒 | ふるさとの風景
事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)と大國主大神(おおくにぬしのおおかみ)の二柱をお祀りしています。


事代主大神は「えびす様」、大國主大神は「だいこく様」のことです。


恵比寿様は本来漁業と関係が深いそうで、この手水取りの「魚」にもそれが現れていますね。

1月の大祭には100万人も参拝するそうですが、博多芸妓が正装で参拝するので有名です。


崇福寺:博多区千代町界隈(2)

2011年10月22日 06時15分36秒 | ふるさとの風景
崇福寺は1240年に大宰府に建立されましたが、1586年の大友氏と島津氏の岩屋城の合戦で焼失。


1600年に福岡藩初代藩主黒田長政によりここ千代町に再建されました。



山門は大正7年に福岡城の本丸表御門を陸軍より払い下げられ移築されました。



この山門は数少ない福岡城の貴重な建造物として、県の有形文化財の指定を受けています。


山門壁にも明記してあります。

市内住宅地にありながら、境内は広く墓地も併設されています。



もう一つの県指定有形文化財の「唐門」。


黒田家が豊前から福岡へ移封された時、最初に築城した名島城から移設されました。

墓地の一番奥にある黒田家の墓所。


藩祖黒田如水、初代長政、4代、6代、7代、9代と祀ってあります。


昭和25年に改葬され、これでも面積は往時の5分の1に縮小されたそうです。

濡れ衣塚:博多区千代町界隈(1)

2011年10月19日 06時02分10秒 | ふるさとの風景
その伝承は「義母が娘を疎んじ、漁師に頼み『娘が衣を盗んだ』と筑前の守だった夫に対して訴えさせた」と言う内容です。

他にも「衣を盗んだ」のではなく「漁師と密通した」との説もあるようです。

夫は騙されたとも知らず、娘を成敗します。


証拠の「濡れ衣」が娘の寝室から見つかったからです。

聖武天皇在位は奈良時代の西暦724-749年ですから、かなり古い伝承です。



石堂橋欄干の「濡れ衣塚」のレリーフです。


こんな有名な言葉がここから伝わったとは知りませんでした。

呉服町から明治通りを千代町方面へ進み、御笠川の東大橋を渡り国道3号線を左折してすぐ左手の川岸にあります。


千代町界隈には中学生時代に住んでいましたが、古い商店街が消え高層マンションが立ち並ぶ辺りの景色は、その頃とはすっかり変わってしまいました。

旧「上人橋通り」:城下町の面影

2011年10月15日 06時06分02秒 | ふるさとの風景
国体通りから警固1丁目と今泉2丁目の間を南へ薬院方面に走るのが旧「上人橋通り」です。

由来によれば、国体通りは城の堀に那珂川から水を引くための運河だったようです。

日延上人が住職を務めた香正寺の山門。


9千坪の敷地を誇った名刹も市街化の波には勝てませんでしたね。


夕闇が迫り、辺りには飲食店の明かりがともる頃です。

ファッションビルのGT-R:天神日産ショールーム

2011年10月12日 06時11分34秒 | 乗り物
受付のお姉さんに「写真撮影はOKですか?」と尋ねたら、「どうぞ、沢山撮ってください。」との暖かいご返事。


レーシング場で実際に走っているところの撮影は技術的にも難しいですが、ここでは間近で誰でも撮影できます。


過去のレースでの数々の栄光の歴史を放映・紹介していました。


こちらは映画にも登場した市販車。


運転席だけでも座ってみたかったです。


アメリカでも販売価格が高いので、映画撮影での使用はイミテーションだったとか。


こちらは電気自動車。



日本は高い技術力で、これからも世界を相手に健闘して欲しいものです。


けやき通りのお稲荷さん:赤坂稲荷神社

2011年10月08日 06時37分29秒 | ふるさとの風景
中央区を東西に走る国体道路(国道202号)の一部は通称「けやき通り」と呼ばれ、木漏れ日が差すケヤキ並木の両側はマンションが立ち並び、市街地では有数の高級住宅街です。



マンションの玄関脇には、地図にも無いような小さなお稲荷さんがたたずんでいます。


由緒書きを見ると地元の篤い信仰心で守られてきたようです。


安全で心暖かい町内のようですね。



菅原神社:大宰府への道

2011年10月05日 06時14分58秒 | ふるさとの風景
後ろのこんもりとした森の中に神社があるようです。


縁起を読むと、天神辺りに上陸した菅原道真公が大宰府への途中に休息した場所だとか。

「田の中天満宮」とも呼ばれていたのです。

狭い石段を森の方へ上って行きます。



小さな石の祠だけが残っていました。市内には他にも大小まだいくつかの「道真公ゆかりの地」が残っています。


道真公の「都落ち」は、当時から辺境の九州にもかなり強い印象を残したようですね。

咲き誇った芙蓉の花も、夏の終わりを告げています。

小烏神社:薬院村の鎮守様

2011年10月01日 06時52分31秒 | ふるさとの風景
この地に引っ越して来て、近所に小烏神社があるのを初めて知りました。


動物園に行く時には「古小烏」の電停で降りていたのを思い出したのです。


明治の頃は「薬院村」の鎮守様だったのですね。



社務所もある立派な神社です。



昭和の終わりに、まだ絵馬を奉納する氏子さんがいたのですね。



現在の「古小烏」辺り。


消えた地名はご近所の病院の名前に残っていました。