上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

上海ライブ2014:松江のイギリス村「泰晤士小鎮」(2) 

2014年04月19日 06時00分00秒 | 上海観光
1.「シェイクスピア」の銅像のようです。村にある銅像はイギリスに因んだもの。

2.商店はイギリス風の建物。



3.住民の生活よりも観光客目当てのようですね。



4.若い女性は将来ここに住むことを夢見るのでしょうか。



5.おしゃれなパブ。



6.水路に咲くレンギョ。



7.役場のある広場


劇場もあるようです。

8.華亭湖


何と言っても広大な自然が素晴らしいですね。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:松江のイギリス村「泰晤士小鎮」(1)

2014年04月16日 06時00分00秒 | 上海観光
1.イギリス村の教会
本物の教会を中心にイギリス風の建物で統一された分譲住宅地です。

2.住宅地全体はイギリスの郊外の村を模しています。



3.分譲地は池や水路に囲まれた自然をそのまま取り入れたリゾート地のような佇まいですね。



4.中心にある教会広場


あちこちで結婚写真の撮影が行われています。

5.教会内部



6.日曜日にはミサも行われているようです。



7.大きくて立派な教会です。



8.レンタサイクルで村を観光することができます。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:早春の水郷「風jing」(5)-お土産 

2014年04月12日 06時00分00秒 | 上海観光
1.平日ですが、そろそろ観光客も増えてきましたね。

2.日本の「粽」の原型ですね。


醤油で味付けしたもち米を熊笹の葉二枚で包み茹でます。塩卵の黄身や豚肉が餡になります。

3.「錫箔」店。


「錫箔:xibo」は折り紙のように馬蹄形(金塊に似せ)に折り、墓参時に墓前で燃やします。天国も金次第です。

4.昭和日本の「駄菓子屋」のような店が懐かしいですね。



5.こちらは「黄酒:紹興酒」の店です。


黄酒は壺に密閉して熟成させます。鹿児島の黒酢も同じような製法ですね。

6.「蛙:カエル」の醤油煮でしょうか。


カエルは中華では一般的な料理で、鶏肉に似た食感です。

7.民芸品店の竹細工


生活用具ですね。

8.お餅と羊羹の中間のような「餻:gao」


出来立ては柔らかく、目の前でスライスしてくれます。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:早春の水郷「風jing」(4)-郷土料理 

2014年04月09日 06時00分00秒 | 上海観光
1.「唔呶喔哩:wunuwuli」酒店。
古そうな額の店名には全て口編が付いていますが、どんな意味なのでしょうか。

2.メニューにあるおすすめ料理


「黄金」などの名前が縁起が良さそうです。

3.冷菜。「豚肉の醤油味煮凝り」


このまま食べると塩辛いですが、ビールや熱いご飯と一緒だとちょうどよいかも。

4.素朴な湯豆腐の醤油掛け



5.「マーラントウと豆腐干炒め」


地元野菜と豆腐干(豆腐を干したもの)の炒め物

6.「小鮒のから揚げ胡椒味」


メニューにあった「黄金」の小鮒です。

7.店内の様子。水路のある廊下の両側に小部屋が並びます。



水郷は物資の集まる港ですから、貨物を積み下ろす労働者や旅人などが集まってきたのでしょう。
素朴な料理はどの料理も注文を受けてから早く調理できて、塩辛く、酒のつまみに最適なようです。
往時の鎮(村)の繁栄ぶりが偲ばれます。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS


上海ライブ2014:早春の水郷「風jing」(3)-名所旧跡

2014年04月07日 06時00分00秒 | 上海観光
1.「施王廟」は明代1579年創建の道教寺院。清代の1904年に再建されています。

2.「丁聰漫画陳列館」丁聰(1916-2009年)は1930年代に活動を開始した愛国的漫画家だそうで、父親も有名な風刺漫画家でした。


ラジオやTVも一般的でなかった時代に「漫画」は大衆啓蒙に重要な役割を果たしたようです。

3.宋代の大邸宅「三百園」。



4.「三百園」は宋代の進士「陳舜兪」の住居で、彼は当時の農業副大臣でした。



5.「火政会」鎮の消防署。



6.ポンプ車などの展示


消防署前の運河には消防艇もあったそうです。

7.「人民公社旧跡」


毛沢東の掛け声で1958年から全国各地に人民公社が設立されました。

8.人民公社跡に残る「毛沢東のスローガン」


1981年1月にその活動は終了しましたが、今ではその活動が国家を消耗させたと厳しく批判されています。

9.古い「郵便局」もありました。「郵電」ですから郵便と電報、長距離電話の業務をしていました。


鎮の生活に密着した建物も残っていますね。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:早春の水郷「風jing」(2)-石橋のある風景

2014年04月05日 06時00分00秒 | 上海観光
1.鎮の中心「三橋」は運河の十字路にに架かる3つの橋の総称です。
富を蓄積した商人は子弟の教育に励みます。科挙時代に「風:fengjing」は3人の「状元」、多くの「進士」「挙人」を輩出し、彼らは中央政府で活躍したようです。

2.「三橋」の一つ「竹行橋」から見た「清風橋」(左)と「北富橋」(右)。


右の「北富橋」は明代1489年の創建。

3.「清風橋」。



4.「清風橋」から見る南側の風景。



5.鎮の中で一番背の高い「泰平橋」。



6.「泰平橋」からの眺め。


右に「舞台」が見えます。唯一の娯楽、民俗劇などが上演されたのでしょう。

7.石橋を渡り古い鎮を巡ります。



8.古い街並みが観光地には少ない生活感を感じさせ、繁栄した往時を偲ばせます。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:早春の水郷「風jing」(1)-呉越国境の鎮だった

2014年04月02日 06時00分00秒 | 上海観光
1.楊が芽吹き始めた早春の水郷、運河には楊がよく似合う。
(ご覧になるPCのOSによっては「風:fenjing」の:jingのフォントがないようです。「:jing」は「さんずい+頸の左側」です)

2.呉越国境の碑


「春秋戦国時代(紀元前770年-紀元前403年の後期)、北が「呉国」南が「越国」でした。
西暦1430年に初めて記念碑が建てられた。」とありますから、村は2千数百年の歴史がありますね。

「この川より北が江蘇省、南が浙江省だったのですが、1951年に南部が北部に合併され江蘇省に編入、
1958年にふたたび上海市に編入された。」とあります。

3.風jingの鳥瞰図。


右上部分で水路が十字に交差しています。

4.中国北部に比べ雨の多い江南独特の風景です。



5.写真1を反対側からみた風景。


飾られた船は婚礼にも使用されたのでしょうか。

6.まだ午前中で観光客も少ないです。


食堂はお昼の仕込み中。

7.静かなたたずまいの道を歩きます。


(昼前には遠足の学生が大勢来訪して賑やかでした)

8.水路を使った交易が村に富をもたらせました。



9.立派な護岸ですが、運河の護岸が住居の建築よりも優先されていたのかもしれませんね。


奥の橋は「致和橋」、創建は元代の1328年ですから、700年も前からこの風景なのでしょう。

台風も地震も、大きな水害もない地方ですから、村も保存状態が良いですね。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS





上海ライブ2014:上海最古の地上建築物「松江唐経幢」

2014年02月19日 06時00分00秒 | 上海観光
1.松江は上海市内を流れる黄浦江の源流に位置し、唐代の751年に華亭県として県庁が設置されたのが始まりで1000年以上の歴史があります。

2.「松江唐経幢」は方塔公園の西側「中山小学校」の構内にあります。


守衛に見学希望を告げ、身分証明書を提示して入門を許可されます。

3.人工芝のグラウンドのある立派な小学校です。



4.高さ9.3m、21段の構造になっています。


1960年代まで管理されておらず、半分は土中に埋没していたそうです。1962年から修復復元作業が開始されました。

5.全国重点文物保護単位に指定されています。


国宝級の遺跡です。

6.第一段の台座には波濤の装飾があります。


4段目には跪く獅子が、6段目には菩薩が彫られています。

7.上部19段目には仏像、菩薩、供養人等16尊が刻まれています。


石灰岩もさすがに1000年以上も経過して破損欠落も見られますね。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:南宋開山の名刹-松江区「西林禅寺」

2014年02月17日 06時00分00秒 | 上海観光
1.松江中山中路から見た「西林禅寺」。黄色の壁は禅寺を表しています。
「西林禅寺」の母体は「西林精舍」と呼ばれ、唐代の西暦872年の始建とされますが、禅寺としての創建は南宋時代の咸淳年間(西暦1265年)とあります。
元代の初期に兵火に焼かれ、明代(西暦1387年)に再建されています。。

2.「大雄寶殿」


山門を入り広場正面に見えます。

3.広場左手の「鼓楼」



4.広場右手の「鐘楼」




5.「大雄寶殿」内の仏像



6.「大雄寶殿」内、背面の阿弥陀如来像



7.「龍泉」


掃除の行き届いた寺で、池の鯉も美しいです。

8.「西林塔」


上海で最も高い八角七層、高さ46.5mの宝塔。明代の西暦1388年創建とありますが、後年数度の修築を行っています。

9.「毘蘆殿」


仏教には詳しくありませんが「毘盧遮那仏」は奈良の大仏も指すようです。

10.「八角堂」


入り口が開いていたので覗いてみました。

11.内部は壁面が総ガラス張りとなっています。


無限の極楽浄土を表しているのでしょうか。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:上海最古の回教寺院「松江清真寺」 

2014年02月15日 06時00分00秒 | 上海観光
1.「松江清真寺」北大門。 
「松江清真寺」は元代の西暦1314年に建立された上海地区最古のイスラム教寺院です。

2.「内照壁」


北大門の外には「外照壁」があります。中国古代建築の特徴で、外部から視線を遮蔽しています。

3.「邦克門楼」


礼拝堂「礼拝大殿」の外門です。元代の創建で明代に再建されています。東南アジア的な屋根の装飾ですね。

4.「北講堂」


明代の建築とされています。

5.「北講堂」内部


中国江南の伝統的な応接間です。

6.「北講堂」内部の展示


イスラム教の紹介が展示されています。

7.「北講堂」内部の展示


初めて知りましたが、上海地区には20近くのイスラム寺院があるそうです。

8.「南講堂」内部


清代の建築とされています。

9.「イスラム時計」


一日五回の礼拝時間を表しているようです。

10.「礼拝大殿」



11.「礼拝大殿」の内部


仏像などの直接的な礼拝対象はありません。

12.内側から見た「邦克門楼」




撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS

上海ライブ2014:望郷の「十鹿九回頭」-松江区「酔白公園」(4)

2014年02月12日 06時00分00秒 | 上海観光
1.「十鹿九回頭」の石刻は普照寺前の石橋の壁にあったものですが、橋が撤去された後、巡りに巡りここに安置されています。

2.「十鹿九回頭」の石刻


10頭の鹿が描かれ、9頭が右を向き、右下の1頭だけが左を見ています。

3.「十鹿九回頭」の由来


「松江は昔から作物も豊かな土地で、仕官や商売で松江を出た人々の内10人に9人はまた故郷へ戻る」そうで、
「松江人の故郷に対する愛着を10頭の鹿に刻んだ」とあります。「葉は落ちてまた根に帰る、人は故郷の土を忘れない」

2.賞鹿亭


三国志の頃はこの辺りには鹿が生息しており、武士が鹿狩りなどをしていたそうです。

5.蓮池


蓮の花の咲く初夏の頃は、また一段と園内も見事でしょう。

6.泉水


大自然の滝の風景を切り取り、箱庭のように造られた泉水。

7.築山


これも大自然の山の風景を切り取り、ミニチュア化されています。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS




上海ライブ2014:孫文の足跡「雪海堂」-松江区「酔白公園」(3)

2014年02月10日 06時00分00秒 | 上海観光
1.西の外園から東に進み、内園の最初の建物が「雪海堂」です。

2.小さな池に噴水のある中庭です。



3.「雪海堂」は清代末期の建築で、前庭に白梅が植えられていたのでこの名前が付けられました。



4.民国元年の西暦1912年12月27日に孫文が松江を訪れ、ここで講演を行いました。



5.上海の革命軍が武装蜂起したのが前年の11月3日、翌4日には松江の学生軍が武装蜂起し松江造幣局を攻撃しました。



6.孫文が酔白池を訪問したころの写真でしょうか。



7.孫文が残した足跡は松江の誇りです。


酔白池の魅力をもう少しご紹介しましょう。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上海ライブ2014:「雕花亭」-松江区「酔白公園」(2)

2014年02月08日 06時00分00秒 | 上海観光
1.公園西側の正面玄関を入り最初に見れる建物です。

2.江南の伝統的な建築スタイル。


中庭を囲み東西南北に4つの部屋があります。

3.何気に置かれている椅子。座ることもできます。



4.扉や窓枠にもびっしりと彫刻が施されています。



5.天井の梁にも彫られています。



6.中庭奥の正面の部屋には三国志の赤壁の場面が飾られています。幅は約1.5m程のここ一番の大作です。


他の三国志場面にはアクリル板が張られていますが、これは手で触ることもできます。

7.炎に逃げ惑う曹操。



8.中国の伝統的な宝物ですね。


国立博物館に行かなくても郊外の公園で中国の宝物を見ることができます。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上海ライブ2014:「ムーンゲート」-松江区「酔白池公園」(1)

2014年02月05日 06時00分00秒 | 上海観光
1.ムーンゲート
「酔白池公園」は上海五大古典園林(豫園、曲水園:青浦、古掎園:南翔、秋霞園:嘉定)の中でも一番歴史のある園林です。
元来、明代の画家「董其昌」の所有でしたが、清代1650年、工部主事「顧大申」が園林部分を改築したものです。
建国後の1959年に修理、増築を重ね公園として一般開放されました。
また、文革終了後の1983年にいくつかの建物が新しく増築されています。

「豫園」は伝統的中国建築が見られる上海ではもっとも有名な場所ですが、歴史的に当主が没落した後に人手に渡り建築物が次々と増築されたので邸宅としての統一性が取れていません。
「酔白池公園」では蘇州まで行かなくとも江南の名邸宅を十分に楽しむことができます。

2.西側人民南路にある公園正面入り口。


地下鉄「酔白池公園駅」3号出口を上がってすぐにあります。

3.園内案内図


西側園林地区の「外園」と東側建築物のある「内園」に大きく分かれます。

4.入り口の「照壁」


入り口を入った正面にある伝統的な「照壁」。清代の酔白池と付近の風景が彫られており、清代の様子を垣間見ることができます。

5.江南の伝統的な石橋


運河に架かる石橋は小舟が通れるように高さが保たれています。樹木も石橋を中心にデザインされているようです。

6.回廊と東屋


梅雨もあり雨が多い江南地方ですが、雨の日でも回廊で建物を回れます。

7.酔白池大門


清代江南建築の特徴が残る酔白池の正門。

8.糸巻きのような入り口。


壁で遮蔽された庭の景色を色々な形をした門から垣間見ることで空間に変化と広がりが生まれます。

9.ツボの形をした入口。



10.回廊と東屋


回廊を巡り、雨の日も庭を楽しむことができますね。

11.蝋梅


花弁の形は不揃いですが、強い甘い香りが春の音連れを予感させます。

12.再びムーンゲート。


入り口から見える風景は計算されつくしています。

13.扇方の窓。


扇の形は縁起の良い末広がり。中国では「八」も縁起の良い数字です。

各所に江南園林芸術の粋が込められています。写真は平面芸術なので、美しい風景を切り取る「構図」の練習にはもってこいです。
時間をかけてゆっくりと園内を回りましょう。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS

上海ライブ2014:宋家姐弟の生家「黄炎培故居」(2)

2014年01月27日 06時00分00秒 | 上海観光
1.「風雲家族」の源流川沙
1890年から2004年まで宋家家族はこの地で過ごしました。

2.家族写真


いつ頃の撮影でしょうか、唯一残る家族全員の写真だそうです。
1917年に長男子文と三女美齢が米国留学から帰国した直後でしょうか、父嘉樹は翌1918年に亡くなっています。

最前列の男子は1906年生まれの三男「宋子安」、1928年に米国ハーバード大を卒業。政治活動は行わなかった。

二列目左が1889年生まれの長女「宋靄齢:Ailing」。14歳でアメリカに留学、1910年帰国後孫文の秘書となる。1914年に横浜で孔祥熙と結婚。

   中央が1894年生まれの長男「宋子文」。米国留学博士号取得、1917年帰国、1923年に孫文の英文秘書、政治家、外交家、金融家、国民党政権時財政部長。

   右が1893年生まれの次女「宋慶齢」、15歳でアメリカ留学1913年に帰国。結婚した姐靄齢の後任として孫文の秘書となる。
   両親の反対を押し切り1915年に孫文と東京で結婚。新中国建国後、中央人民政府副主席。

三列目左が1866年生まれ父「宋嘉樹」、12歳で母方の伯父を頼り渡米するが16歳で家出。
   放浪の末キリスト教徒となり神学校に進学、牧師の資格を取得。
   当時、米国での中国人労働者迫害の惨状を目撃し強大な祖国が必要と痛感、民主革命思想を母国に目覚めさせるために帰国を決意したとされる。
   1886年に上海で宣教活動を始め、1897年に「倪桂珍」と結婚。

   右が母「倪桂珍」、1869年生まれ。17歳で上海裨文女子中学卒業後教師を務める。明代の大科学者、上海の地名「徐家匯」のもとともなっている徐光敬の末裔とされる。

最後列左男子が1899年生まれの次男「宋子良」。アメリカ留学後、中国国貨银行総経理などを歴任。

   右が1897年生まれ三女「宋美齢」、1910年米国留学、1917年帰国。1927年蒋介石と結婚。英語以外に六か国語を操り、ピアノの演奏も相当だった。米国で他界、享年106歳。

3.当時の宣教活動が描かれています。



4.家族が暮らした部屋。



5.壁には十字架が架けられています。


やはり、宋慶齢の展示が中心となっています。

6.思い出の写真。


左は母と三姉妹。中央は母と宋慶齢。右は中西女塾時代の宋慶齢。

7.家族が暮らした南側の2階の部屋。


幼い兄弟姉妹たちはこの窓から往来を眺めたことでしょう。

8.新川路



兄弟姉妹たちが眺めた通りも当時とはすっかり変わったでしょうね。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 IS