上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

福岡城物語:城下町の面影

2011年08月31日 06時22分33秒 | ふるさとの風景
福岡城は西暦1600年の関が原の合戦後、徳川氏から黒田長政が筑前国50万石(後に52万石)を与えられ、1601年より築城が開始されました。

天守閣があったと議論されていますが、正式な存在は確定されていません。

大阪城普請に全国大名が駆り出された時、徳川氏に配慮して「天守を解体し、資材を投入した」との意見もあるようです。

一部城門や楼が再建されたり保存されたりしています。



本丸天守台跡の石垣まで登ることができます。



西側は「大堀」が築かれておりましたが、大正時代に中国杭州市の西湖を真似た「大濠公園」として整備され、今では市内有数の高級住宅地となっています。



南丸にある国指定の重要文化財「多聞楼」は江戸時代から残っている数少ない建築の一つで、イベント時には内部を一般公開されています。


梅や桜の時期には城内の散策がお勧めです。

福岡市博物館:国宝「漢倭奴国王」金印を見る

2011年08月27日 06時56分14秒 | ふるさとの風景
早良区(さわらく)百道浜(ももちはま)地区に福岡市博物館はあります。
この辺りは大正時代からある海水浴場でしたが、1982年から大規模な埋め立てが始まり、今では放送局や図書館や人工海浜のある公園もでき、市民の憩いの場所となっています。

博物館は平成2年にオープンしました。


残念ながら内部は撮影禁止なので、常設展示されている国宝「金印」の写真は撮影できません。


常設展示場では稲作が伝わった弥生時代から大正時代までの福岡市を展示しています。

博物館を出て南の西新(にしじん)へ向かいます。

この辺りは生家に近く懐かしい場所ですが、漫画家長谷川町子さんも疎開されていて、終戦直後に「サザエさん」の4コマ漫画が地元紙に連載されていたそうです。

中央商店街では最盛期には100台の「リヤカー露店」が並び有名でしたが、今ではあまり見られなくなりました。

 


お昼は博多の味「皿うどん」(固焼きそば)と、



「冷やし坦々麺」でした。


次は中央区に戻り「福岡城」をご紹介します。

二つの天神様:福岡一の繁華街「天神」の由来

2011年08月24日 06時26分01秒 | ふるさとの風景
川端商店街を北に抜けて明治通りに出ると、通りの北側に新しい商業施設ができていますが、その博多川沿いの片隅に「鏡神社」と呼ばれる小さな神社があります。

ここは平安時代の西暦901年に、京都から大宰府に流された菅原道真公が博多に上陸された第一歩の地とされています。


当時この辺りは「渡唐口」と呼ばれ、遣唐使船の発着する港でした。

「遣唐使を廃止させた菅原道真公」にとっては皮肉な歴史のめぐり合わせですね。

一方、那珂川を西に渡った明治通り沿いの天神にもう一つ天神様があります。


こちらも菅原道真公を祀る「水鏡神社」で、由来は「鏡神社」と同じです。


水鏡神社の大鳥居扁額は元総理大臣広田弘毅が小学生の頃揮毫したものだそうです。


城山三郎著の「落日燃ゆ」を読むと、その理由がわかりました。

彼は地元の石屋の息子で、昭和の激動期に総理大臣や外務大臣を歴任した「平民」出身の政治家でした。

博多区御供所町辺り(2)聖福寺」には「東京裁判」中、判決を待たず先に自決した妻と一緒に埋葬されています。

博多川端商店街:博多商人の伝統を受け継ぐ商店街。

2011年08月20日 07時31分14秒 | ふるさとの風景
七夕の大きな飾り付けが並びます。


「川端ぜんざい」は昔懐かしいスイーツの原点です。



この奥にも博多山笠が常設展示してあります。



山笠には「飾り山」と「曳山」の2種類がありますが、この高さ9.5mの飾り山笠はこのまま市内を引き回しされます。



そのため曳き棒も4間(7.3m)の長めのものが使用されるそうです。


商店街を北進して明治通りに向かいます。

櫛田神社:1200年以上の歴史がある博多の鎮守様

2011年08月17日 06時23分42秒 | ふるさとの風景
「天神と博多の歴史」年表を見ると、櫛田神社は奈良時代の767年創建となっています。

ここの7月例祭が国の重要無形文化財にも指定されている「博多祇園山笠」です。

境内には「飾り山笠」が常設展示してありますが、山笠は期間中市内14箇所に公開され、櫛田神社に向く方が「表」でその裏側に「見送り」があり、毎年博多人形師がテーマを変え製作します。


高さは10m前後で、この表は関が原がテーマですが、「武者物」と呼ばれ歴史故事が多いようです。

見送りは神話「天岩戸」がテーマです。



西側から神社を出て「川端通り商店街」を通ってみましょう。


アーケードの両側におよそ100店舗が並ぶ老舗の商店街です。

「博多町家」ふるさと館:明治の博多へタイムスリップ

2011年08月13日 06時40分21秒 | ふるさとの風景
祇園交差点から東長寺を右手に見ながら大博通りを北進し、二つ目の角を左折すると正面が櫛田神社ですが、その通り右手にに「博多町家」ふるさと館があります。

展示棟と町家棟と土産所の3棟が並んでいます。


町家棟は明治中期の典型的な町家建築で、博多織の織り元の店と工場と住居であった建物は、平成7年に福岡市の文化財として移築されました。

博多織の実演を見ることができます。



2階へあがる階段下の収納です。



玄関から続く土間を通り抜けると裏庭へ出ます。


こじんまりとした裏庭も落ち着きと懐かしさを感じさせますね。

展示棟には博多の成り立ちから明治の町の様子などが展示されています。


2階では博多人形の製作実演も見ることができます。

博多の街歩きには外せない場所ですね。


博多区御供所町辺り(4)承天禅寺:うどん、そば発祥の碑

2011年08月10日 06時36分31秒 | ふるさとの風景
大博通りから博多駅を背に、祇園の交差点を右に曲がると御供所町交差点です。

もう一つ先の交差点を右折すると、すぐ左手に承天禅寺があります。

承天禅寺は聖一国師が1242年に開山した禅寺ですが、うどん、そば、饅頭、博多織、山笠の発祥の地と言われています。


聖一国師が書いた「御饅頭所」の看板は、現在東京の「虎屋」に伝わっているそうです。



川上音二郎の生誕碑はここより北の博多区古門戸町「沖濱稲荷」にありますが、墓はここにあるそうです。



方丈前の石庭「洗濤庭」は波の起伏が大きく、かつて遣唐使たちが超えた東シナ海の荒波のように感じられます。


寺町と呼ばれるにふさわしい、御供所町界隈ですね。



鴻臚館:飛鳥時代からの外交使節迎賓館-中央区城内

2011年08月06日 09時34分10秒 | ふるさとの風景
「天神博多まち歩きマップ」にある「天神と博多の歴史」年表の最初は弥生時代の日本最古の稲作跡「板付遺跡」ですが、毎年古代米の田植えの神事が行われています。
秋の収穫時になったら取材に行ってみましょう。

2番目は志賀島で発見され国宝となっている「金印」ですが、西暦57年に漢の光武帝より送られたと言われています。現在福岡博物館に展示してありますので、これも後日取材に行ってみましょう。

3番目が飛鳥時代688年に歴史に登場する筑紫館(後の鴻臚館)です。
鴻臚館は7世紀後半から11世紀前半までの400年間、外交使節の迎賓館として歴史に刻まれています。
1987年に平和台野球場外野席の発掘調査で遺構が発見されましたので、私は学校で習っていませんでした。(笑)

かつて古代日本に3箇所(京都と難波)在ったと考えられていますが、遺構が確認されたのはここだけです。


歴史的に非常に価値があるもので、現在も発掘調査が続けられています。

鴻臚館の全体模型です。


南館遺構の一部分上に展示館が建てられています。


門の一部分が復元されています。


遣唐使の説明です。

15回派遣され8回も遭難した決死の船旅でしたね。

遣唐使船の復元模型です。


地図を見ると南路は東シナ海を渡り、揚子江を遡り現在の中国江蘇省楊州を目指して行ったようですね。

古代の国際港湾都市であった博多のロマンを感じるお勧めの場所です。

博多区御供所町辺り(3)大博通り

2011年08月03日 10時59分17秒 | ふるさとの風景
博多駅「博多口」から北西に向かう大通りが「大博通り」です。


大博通りの下は地下鉄「空港線」が通るメインストリートですが、裏通りには古い寺社が残っています。

御供所町へは地下鉄空港線の「祇園駅」が便利です。


日本全国に祇園の地名があありますが、博多三大祭の一つ「山笠」の正式名は「博多祇園山笠」です。

博多駅「博多口」隣の「バス博多ターミナル」から発着する「福岡都心100円バス」は都心部を巡回しており、街歩きにとても便利です。



博多まちづくり推進協議会が発行する「博多 天神 まち歩きマップ」では市街地散策の4つのモデルコースを紹介しています。


弊ブログでは今後、この「まち歩きマップ」を参考に福岡市(博多)のご紹介しましょう。