上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

寒い日には「水晶鍋」がちょうど良い。

2013年03月30日 06時00分00秒 | グルメ
鍋料理は自分の好みのスープとタレと具材を選択できるので、みんなで食べるのには好都合です。

鍋料理で食べるのは初めてですが、これは「鯰」の薄造りです。


油が乗っていますが、川魚の臭みは全然ありません。

これも珍しい「アヒルの腸」です。


麺のように長いですが、煮るとコリコリして淡白です。

これは「山芋」。



「湯葉」の油揚げ。



大きな「川蝦」。


新鮮なので歯応えが違います。

撮影:CANON PowerShotS100

今日の一枚:幼稚園バスとミニトマト

2013年03月29日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
インフレで物価も高くなり、上海の魅力の一つが薄れてきましたが、質の変化が感じられます。

その1-かっこいい幼稚園バスが登場した
まだまだ庶民には高級マンションや高級外車には手が届かないでしょうが、一人っ子の園児を集めるためでしょうか、きれいな幼稚園バスを見かけるようになりました。

その2-果物が急に甘くなった。

今までは、「質よりも量」だったのが、「高くても美味しい物」が市場にも出回っています。
苺やミカン、リンゴにミニトマトが日本並みに甘くなりました。
高級スーパーには1個100元(1500円相当)の輸入青森リンゴが売られていますが、下町の市場で売られるリンゴも品質が高くなりました。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

旧上海城の歩き方(5):上海城の道教寺院「白雲観」

2013年03月27日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1888年「徐至誠」は北京の白雲観で修行をし、道教の経典明代版「正統道蔵」8000巻余を授かり上海へ戻り、「雷祖殿」を「海上白雲観」と改名しました。
現在上海図書館に「正統道蔵」は保存されているそうです。
1894年には明代の銅像7尊と天師2尊、天君5尊を、1984年には明代、清代の銅像2尊を祀りました。

正門の「霊官殿」には道教神36天君の一つ、道教の法を司る「王霊官」が祀ってあります。



「王霊官」の両側には四大天君「岳天君」「温天君」「馬天君」「殷天君」が並びます。

道師が祈祷する時、これらの天君は降臨するそうです。

「霊官殿」をくぐると広場があり、正面に本殿があります。



本殿には道教の祖神「太上老君」が祀ってあります。



道教は多神教だそうです。


「太上老君」の両側には、それら神々の物語が現されているのでしょうか。
仏教の眠くなるような単調な木魚と念仏と違い、道教の祈祷は京劇の鳴り物のように鐘や胡弓の伴奏が賑やかです、

2階は広場を囲む回廊となっており、道教の神々が祀ってあります。



「関帝」も道教神の一つで、右「文昌帝」、左「趙公明」と伴に「財神殿」に祀ってあります。



「雷祖殿」に祀られた右「南極老人星君」は人の寿命を司る神です。


左は「真武大帝」勇猛で北方を鎮めるそうです。

「娘娘殿」に祀られた「王母娘娘」。


中国語の「娘」は口語で母親のことを指します。

「薬王殿」に祀られた神医「孫思邈」。



ここは亡くなった方々の位牌を安置する場所です。


位牌には亡くなった両親の遺影と家族の名前が記されています。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

旧上海城の歩き方(4):上海城市の城郭「大境閣」

2013年03月25日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
入場料5元を払い入ります。


1階の歴史紹介では上海城の地図が展示してあります。

城壁の外側に丸く、内側にも運河が掘られています。

2階のテラスは弓を射る兵士が駐屯したのでしょう。


立派な関帝像が祀ってあります。


右側には「月下老人」。中国の縁結びの神様です。


左は「財神趙元帥」とあります。


道教の神「趙公明」はインドのマハーカーラ神、大黒天とも言われています。

「信義千秋」。関羽の信義の物語は2千年も前の話ですね。



壁には清代の「同治伍年」1866年の刻印があるレンガが残っています。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

旧上海城の歩き方(3):上海の孔子廟「文廟」-2

2013年03月23日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
(5)魁星閣


「魁星」は北斗七星の第一星で、文運を司る神とされます。

1階には孔子像が鎮座します。


創建は1780年、清代1855年に再建されています。高さ約20m、六角形三重の外観。

(6)儒学署

清代1855年創建。孔子の祭祀を司り、併せて儒学者教育の地でした。

現在は米国籍華僑より寄付された茶器の展示館となっています。


(7)儀門


文廟の中心「学門」より続き、「明倫堂」「尊経閣」に至る門。

学校の正門として使用されたのではないでしょうか。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

今日の一枚:浦東の村のタクシー

2013年03月22日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
地下鉄4号線の「浦東大道」からバスで1時間、すぐ近くを外環が走る外高橋にほど近い郊外の村には、信号機が1つだけ在りました。

そこから、2人しか乗れない三輪タクシーに分譲し、知人の実家を訪問しました。


春節に里帰りできなかった娘夫婦と孫の訪問を、老夫婦は手料理で暖かく迎えてくれました。
村の若者は殆ど上海に住んでおり、老人しか残っていません。逆に付近の工場などに勤める地方の人が村に移り住んでいるとか。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

旧上海城の歩き方(2):上海の孔子廟「文廟」-1

2013年03月20日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
1928年には文廟公園として一般開放され、都心部にあっても緑豊かで鳥のさえずりが聞こえます。


1931年に市民衆教育館となり、最初の市立図書館が併設されました。
文革では他の宗教施設などと同じように徹底的に破壊されましたが、1983年以降再建が始まりました。

(1)大成殿

正門を入り次の大成門をくぐると、正面に孔子像と主殿の「大成殿」があります。

創建は元代の1294年ですが、清代の1855年に再建されています。


他の孔子廟には無い上海文廟随一の宝物、「論語」1万6400字の全文碑刻が壁に沿って展示されています。


(2)尊経閣(蔵書楼)

創建は明代の1484年。民国20年:1931年に上海市最初の市立図書館となりました。

楼内には明・清代の貴重な復刻書物が展示してあります。


(3)聴雨軒

池のほとりに造られた聴雨軒。

雨の日には雨音を聞きながら茶を飲むのも一興でしょう。


池には「龍吟虎嘯」、安徽省で産する霊壁石あります。

重さは5.6トンあるそうです。

(4)明倫堂

科挙試験では元、明、清代ここで学んだ上海籍の「進士」279名が記録されています。

内「状元」(試験が行なわれた年の最終試験の第一等合格者、1300年間で552名ある)3名が含まれます。

役人や豪商の師弟しか入学できなかったようです。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

ご訪問者10万人突破のお礼。

2013年03月18日 12時27分49秒 | 上海街角スナップ
「変わり行く上海の下町」

2010年7月に上海でFC2がアクセス不能となったため移転してきましたが、900日余りでご訪問者が10万人を越えました。

ご来訪の皆様に、改めてお礼を申し上げます。

その間、東日本大震災などもあり、一時虚脱感もありましたが、拙い写真をご覧頂有難うございます。
写真撮影の気力体力が続く限り継続したいと願って言います。

今後とも宜しくお願いいたします。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

旧上海城の歩き方(1):中華路界隈

2013年03月18日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
上海県城は中国では珍しい円形の5km程の城砦を持っていましたが、1912年頃に撤去され、北半分が人民路、南半分が中華路と名付けられた環状道路となりました。

環状道路を時計の文字盤に例えると、4時の方向に地下鉄9号線小南門駅が開通しました。



付近には歴史の生き証人、優秀歴史建築1910年建築の「火警鐘塔」があります。


高さ36m、1911年11月3日早朝、辛亥革命武装蜂起の鐘が打ち鳴らされました。

董家渡路の入り口には歴史を持った小吃店があります。



5時の方角には優秀歴史建築、1920年建築の旧「上海電話局南市総局」の建物が残っています。


中国政府による電話業務は1907年2月から始まりましたが、開業時の契約者は97家だったそうです。

環状道路には電気バスが運行されています。



8時の方角には上海の孔子廟「上海文廟」があります。


賢くなるよう、お参りしてみましょう。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

上海ストリート:武康路のノルマンディー・アパートメント

2013年03月16日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
武康路が淮海中路から北東へ進む、ちょうど三角形の角地に建っています。

フランス租界の高級アパートを代表するようなフランス・ルネサンス風の重厚な外観は人目を引きます。


武康路側から建物を見ると、3棟の建物がガラス張りの外廊で繋がっているように見えます。



1994年に上海優秀歴史建築に指定されています。



租界時代は高級アパートとして、多くの外国人が住んでいました。


フランス租界時代、大型の建築物にはフランスの地名が名付けられました。

戦後、上海人民政府の管理となり、上海の文化芸能界の著名人が多く住んだそうです。



内部は1寝室、2寝室、3寝室、4寝室の4種類総計63戸があり、全て北側に浴室や台所を完備しています。


他に使用人室30戸があり、エレベーターも3基設置されているそうで、住宅としては今でも十分快適なようですね。

淮海中路側1階はアーケード式回廊となって、商店や企業の事務所となっています。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

今日の一枚:下町の屋台

2013年03月15日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
日本では「露店」や「屋台」は縁日くらいしか見られませんが、上海の下町ではバス停付近などでは、まだまだ見ることができます。

最近では「食品添加物」や「大気汚染」など、環境問題にも関心が高いのですが、露店の衛生管理は「没問題」なのでしょうね。

EOS5DIIIから「親指AF」の練習をしています。
以前は「シャッターボタンを半押ししAF」「AEロック」「カメラを振って構図を決める」伝統的な動作でしたが、
今はシャッターボタンには「測光を外し、AEロックを割り当て」て、「親指AF」「シャッター半押し」「カメラを振って構図を決める」動作です。
測光は「スポット測光」にして、シャッター半押しの時にロックされるので、スナップの時に測光が空などに引っ張られることも無くなったようです。
親指と人差し指で使うボタンが2つだけなので、咄嗟の撮影にも間に合います。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

上海ストリート:イスラムの牛肉ラーメンを食した。

2013年03月13日 06時00分00秒 | グルメ
白い回族の帽子を被った、いかにも回族のような親方。


麺の注文を受けると、それから麺を打ちます。


手で麺を伸ばすラーメンです。
 

ちなみに中国語でラーメンは「拉麺」と書きますが、「拉:ラー」は「引く」と言う意味で、商店の開き戸などには「拉:ラー(引く)」と反対側は「推:トイ(押す)」と書かれています。

伸ばした面を小窓から表の釜に投げ込みます。




出来上がった「牛肉ラーメン」、油は使ってなく、辛くなく塩味でした。


次回は他のメニューにも挑戦してみましょう。


撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

上海ストリート:北外灘は港湾埠頭だった。

2013年03月11日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
今は新しい旅客ターミナルができましたが、神戸・大阪-上海の定期船が着岸しています。



旅客ターミナルにできた、総ガラス張りの近代的な新しいターミナルビル。



埠頭付近は公園ができ、昼休みのサラリーマンなどの憩いの場所となっています。



対岸には浦東の金融街の高層ビルが望めます。



右手上流方面に外灘が望めますが、ここは夜景のビューポイントかもしれません。



港をイメージしたコーヒーショップなども営業しています。



定期航路の客船はフェリーのように車両も積める様になっていますが、貨物用コンテナも運んでいるようです。



港湾施設との境のフェンスには、昔の港湾の風景がパネルになって紹介されています。


撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

上海ストリート:東大名路の優秀歴史建築

2013年03月09日 06時00分00秒 | 上海優秀歴史建築
虹口区は蘇州川の北側ですが、3号線1本だった地下鉄路線が環状4号線、人民広場直通の8号線、楊浦区の奥へ続く10号線などの開通ラッシュで急速に再開発が進んでいます。

旅順路付近、国際客運中心の側にレンガ建ての古い建物が見えます。



現在、国際コンテナ貨物船運行会社の建物となっていますが、1908年竣工の旧耶松船廠の建物です。



1850年代にアメリカ資本でドックが造られましたが、1860年代に英国資本の耶松船廠となりました。



戦時中は日本の軍用倉庫として使われました。



とんがり屋根の塔とそりあがった青色瓦の軒は「ビルマ風建築」だそうです。



当時の港でもひときわ目立った建物だったでしょう。



撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4

今日の一枚:下町の自転車修理店

2013年03月08日 06時00分00秒 | 上海街角スナップ
上海では普通の自転車はずいぶんと少なくなり、「電動自転車」が多くなりったので、自転車修理店も少なくなったようです。

右側通行の自動車も「右折」は赤信号でも可能ですが、エンジンを積んだ自動車やモーターバイクと違い、電動自転車は音も無く高速で信号無視して走ってきますので、歩行者は横断歩道を青で渡っていても注意が必要です。

上海の小学校では登下校には必ず保護者が付き添います。
下校時の小学校前では毎日保護者の集団が子供の下校を待っています。

交通法規では「歩行者優先」の決まりはあるのですが、信号無視が当たり前の歩行者が多く、その歩行者を優先していると自動車は交差点を何時までも通過できません。

歩行者も習慣を変えなければ、小学校の送り迎えは無くならないでしょうね。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmL F4