上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

味噌食い地蔵:警固ウォーキング(1)

2011年12月17日 06時22分44秒 | ふるさとの風景
地蔵尊の入り口は民家の隙間にあり、注意しないと見落としてしまいそうです。


この狭い石段を上がっていきます。


ちょうど地元の方が清掃をなさっていました。


地蔵尊の由来が詳しく書いてあります。

悲惨な歴史と地元の方々の篤信が感じられます。

1732年に西日本に発生した享保の大飢饉は江戸時代4大飢饉の一つと言われています。

西日本各藩の餓死者の合計数は12,000人、250万人が飢餓に苦しんだと記録されているそうです。

博多の町は人口の1/3にあたる約6千人が餓死したと伝えらる甚大な自然災害でした。

市内の他の場所にも「飢人地蔵」として残っています。




最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (ヒロ)
2012-09-23 19:19:08
今日味噌食い地蔵にお参りしてきました。自分は警固小学校出身なので行ったことはあったのですがこんな深い理由があるとは知りませんでした。改めてなくなった方々を弔いに行きたいと思います。勉強になりました^^
返信する
ヒロさん (haichaolu)
2012-09-23 20:14:06
今日は。
市内には、まだあちこちに餓人地蔵があります。
ブログに載せただけでも、南公園や笹丘がありますし、
中州にもあり、毎年祭礼が行われているようです。
警固はもう少しで救護所へたどり着ける手前なので、真に哀れなことです。
手入れをされている、地元の方の篤い心が伝わってきます。
返信する

コメントを投稿