地蔵尊の入り口は民家の隙間にあり、注意しないと見落としてしまいそうです。
この狭い石段を上がっていきます。
ちょうど地元の方が清掃をなさっていました。
地蔵尊の由来が詳しく書いてあります。
悲惨な歴史と地元の方々の篤信が感じられます。
1732年に西日本に発生した享保の大飢饉は江戸時代4大飢饉の一つと言われています。
西日本各藩の餓死者の合計数は12,000人、250万人が飢餓に苦しんだと記録されているそうです。
博多の町は人口の1/3にあたる約6千人が餓死したと伝えらる甚大な自然災害でした。
市内の他の場所にも「飢人地蔵」として残っています。
この狭い石段を上がっていきます。
ちょうど地元の方が清掃をなさっていました。
地蔵尊の由来が詳しく書いてあります。
悲惨な歴史と地元の方々の篤信が感じられます。
1732年に西日本に発生した享保の大飢饉は江戸時代4大飢饉の一つと言われています。
西日本各藩の餓死者の合計数は12,000人、250万人が飢餓に苦しんだと記録されているそうです。
博多の町は人口の1/3にあたる約6千人が餓死したと伝えらる甚大な自然災害でした。
市内の他の場所にも「飢人地蔵」として残っています。
市内には、まだあちこちに餓人地蔵があります。
ブログに載せただけでも、南公園や笹丘がありますし、
中州にもあり、毎年祭礼が行われているようです。
警固はもう少しで救護所へたどり着ける手前なので、真に哀れなことです。
手入れをされている、地元の方の篤い心が伝わってきます。