![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/cd/5f5a007de8523e7b9f865c05e3a3003e.jpg)
望東庵の実家浦野家のご先祖は戦国武将で、黒田家へ仕える時に藩主へ献上したものだそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/73/4e2467af398e37158aeddcd320173e1f.jpg)
藩主より浦野家にはお返しにその兜の複製品を賜り「家宝」としていましたが、望東庵が少女の頃実家が火災に遭い消失しました。
その頃の逸話が残っています。
火災の時、急ぎ帰宅した彼女の第一声「水牛の兜は如何に」が藩主に伝えられ、「さすが武家の子女」と藩主より褒めの言葉があったそうです。
彼女にも戦国武将の熱い血が流れていたのですね。
この像は母里太衛兵のご子孫の方の寄贈のようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/67/4440fb9cc88f7a864c86a35f55e4e6b7.jpg)
母里太衛兵についてはまた別の機会にご紹介します。
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藩主より浦野家にはお返しにその兜の複製品を賜り「家宝」としていましたが、望東庵が少女の頃実家が火災に遭い消失しました。
その頃の逸話が残っています。
火災の時、急ぎ帰宅した彼女の第一声「水牛の兜は如何に」が藩主に伝えられ、「さすが武家の子女」と藩主より褒めの言葉があったそうです。
彼女にも戦国武将の熱い血が流れていたのですね。
この像は母里太衛兵のご子孫の方の寄贈のようです。
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母里太衛兵についてはまた別の機会にご紹介します。
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