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身近に歴史上人物の足跡がありました。
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比叡山への道もここから始まったのですね。
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ちなみに、福岡市内の寺社数は、京都に次ぎ全国2位だそうです。
私見ですが、理由の一つは福岡城の防衛のため、城の北側の博多湾沿いと、東の石堂川左岸へ大小の寺社を移転さたからではないでしょうか。。
撮影:CANOB EOS5D3
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比叡山への道もここから始まったのですね。
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ちなみに、福岡市内の寺社数は、京都に次ぎ全国2位だそうです。
私見ですが、理由の一つは福岡城の防衛のため、城の北側の博多湾沿いと、東の石堂川左岸へ大小の寺社を移転さたからではないでしょうか。。
撮影:CANOB EOS5D3
>福岡市内の寺社数は、京都に次ぎ全国2位
その後も続々、博多経由で日本に入ってきた「新しい仏教」が果たして都で受け入れられるか、その「様子をしばらくみてから」の意味で「博多に留まった」という解釈をしていた本を読んだことがあります。
遣唐使は7世紀から9世紀にかけ15回実施されましたが、8回は遭難したそうです。
留学生や学問僧の他にもガラス、鍛冶、鋳物、木工などの技術者も含め、最盛期には総勢4-500人ほどが4隻の船に分乗し船出したそうです。
ルートは前半は朝鮮半島沿岸を進んだ北路、後半は五島から西へ進み揚子江を目指した南路が多かったようです。
揚州から陸路で西安を目指しました。
往復とも無事だったのは5割以下ですから、まさしく命がけの使命でしたね。
財政難から菅原道真が中止を命じましたが、
その本人が九州へ流されたのも皮肉な運命です。
寧波へは駐在員の頃観光で行きました。
蒋介石の故郷が近くにあり、観光地になっています。
上海と違い山もあり海鮮料理もあります。
今は杭州湾に橋が出来、車で日帰りが出来るようですね。
杭州、紹興、寧波は上海から1泊あれば旅行できますので、西の揚州、南京と併せ、是非訪れたい古都です。