上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

板付遺跡「弥生館」(3):博多区板付

2013年08月21日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
ところで「徐福伝説」をご存知ですか。
中国司馬遷の「史記」の記述によれば、「中国を統一した秦の始皇帝の命を受け、不老長寿の薬を探しに3000人の童男童女と技術者集団を引き連れ、五穀の種を持ち日本へ上陸しその地の王となり中国へは戻らなかった」とあります。
紀元前3世紀頃の話ですが、稲作の伝来とは時期が近いですね。
日本各地にその伝説が残っていますが、福岡県八女市や佐賀県佐賀市にもあります。

竪穴式住居をイメージした「弥生館」。



板付遺跡の説明。



出土した木製農具(レプリカ)。



出土した土器類。



出土したもみ殻で稲の種類を特定でき、渡来した原産地が分かるそうです。



稲の精米に使用した農機具。


展示品は木材を横割りにした「臼」ですが、中国貴州の少数民族の村で見た「臼」は材木を縦割りした形でした。

石器や銅製品。



小学生が当時へタイムスリップする再現ドラマが放映されています。


稲作伝来のルートはいくつかの仮説がありますが、北部九州へは中国揚子江下流から伝来した可能性が高いようです。

板付遺跡の発見は旧来の歴史を書き換え、弥生時代の始まりが紀元前12世紀まで遡る可能性が出てきました。



水田に残る「足跡」は何を後世に伝えようとしていたのでしょうか。


弥生人の遺跡から発掘された頭がい骨の形は、明らかに日本列島先住民の縄文人とは異なるそうです。
最新の日本人DNA鑑定から、縄文人と韓国・中国渡来人との混血だとも言われています。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS


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