毎朝のデボーションは「スタディーバイブル(新共同訳)」を使用している。
日課はJOYチャペルの聖書日課と同じところ。
記録を見ると通読も6周目になっている。
先日、詩編145編を読んで、み言葉が心に引っかかって、まだ引っかかり続けている。
「神は恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ちておられます。」(詩編145:8)
はて?? 神の忍耐とはいったいどういう事???
わたしたち人間は試練や時には祈りがきかれず神の沈黙に忍耐することは往々にしてある。
しかし神様は何でもおできになる方なのに何を忍耐し、なぜ忍耐されるのだろう。
「人間に出来ることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」(マルコ10:27)
何でもおできになる方があえて忍耐されるとしたら・・それは辛く苦しい事だろうと思う。
これまで何気に読み飛ばしていた言葉「神の忍耐」に目が留まる。
ここにわたしの日常を思いめぐらす。