
国立精神・神経研究センター病院
わたしは付き添いを免除されて家に戻ってきました。
主治医、婦長さんが「共倒れになったら大変。退院したら家に戻るのでしょう」と計らってくださいました。
気がつけば今回の入院は17年前の原点に神さまが戻してくださった出来事。
忘れないように今のうちに自分自身のために書き留めておこうと思いました。
以下、超長文です。 時間とご興味のある方は是非読んでください。
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5月に誤嚥性肺炎で入院し、6月30日に退院。その後、毎日のように発作がありました。
その度に在宅医のK先生が24時間対応してくださり、申し訳ないけれどわたしも何せ必死で。
座薬を入れて30分ほどすると治まるのですが、その間体中汗ビッショリで痛ましい限りです。
「今度薬の調整の為に入院しましょうね」と紹介してくださったのが国立精神・研究研究センター病院。
日本で最先端の医療をしている病院だからと。
なんと17年前に脊髄小脳変性症の病名宣告をうけた病院です。
「特定疾病の難病、今の医学では治せない、進行性の病気」等などと、頭が真っ白になり、来る日も来る日も枕がビッショリになるほど泣いた辛い思い出が頭をよぎりました。
わたしの反応を察知してK先生は別の受診先をと考えてくださいました。
けれど・・よくよく考えてみればこんな偶然、神さまが私たちを17年前の原点に帰してくださったのではと、思い直して再度紹介をお願いしました。
「分かりました。時間がかかりますけれどチャレンジしてみましょう。」とK先生。
17年間の出来事はあまりにも壮絶で、あまりにも神さまの祝福がいっぱいで、一冊の本が書けるくらい、今は割愛します。
それから予約許可の連絡がくるまで、毎日の発作を目の前に待つことの長いこと、長いこと。
「7月28日(水)9時までに小平の病院に行ってください、朝早いけど頑張って!」と月曜日に突然の電話。
火曜日にはKクリニックに紹介状をいただきに行き、関係各所に連絡。
入院かどうかは外来初診しなければわからないとのことでどちらでも良いように大量の荷物の準備。
途中で発作があったら大変と福祉タクシーを手配し、もし、入院できなかったら連れて帰ってこなければならないので、私は自分の車で後を追うことに。
さて、当日 7月28日(水曜日)
朝一番で栄養と薬を胃ろうから挿入。発作があるといけないので前もって座薬を投入。
夫に長男の付き添いをしてもらって吸引器だ、ティッシュだ、人工鼻だ、それカニューレだと頭はグルグル行き巡る。
7時15分介護タクシーが迎えに来てくれて
7時30分 予定通り出発。 私はぴったり介護タクシーの後を追う。
9時 病院到着、さすがプロ時間ぴったりだわ。
9時35分外来診察がはじまる。
介護タクシーはとても親切で入院できるか帰ることになるのか、分かるまで待っていてくださった。
以下、前回の書き込みと重複しますが・・・
診察にあたってくださったのは 阿部先生 この病院の院長でした。
初診で その日に入院することは ありえないことだそうです。
話をしているうちに 金澤一郎先生の弟子、夫と同郷(宮城)等で不思議な縁に驚きました。
東北人は人情にあつい。遠くから大変でしたねと入院を懇願する私に善処してくださいました。
阿部先生管轄の病棟は満床で、隣の診療科(同じ神経内科)の高尾先生に個室を提供してくださるよう手配してくださいました。高尾先生は井田病院、聖マリアンナ医科大学の秋山医師ご存じでこちらも縁を感じ嬉しくなりました。
と、いうわけで なかばゴリ押しの 入院、主治医は高尾先生となりました。
一泊15.000円は痛いけれどそれでも入院させていただけるなら何のその。

入院早々タイミング良く⁉️発作が起こり、百聞はなんとやら。口で説明するより何より一番、お手柄です。
発作対応もあり退院まで 付き添いをしてほしいと看護師から要望が有りました。
無理に入院させていただいた手前、また初めての病院ではそれも仕方あるまいと腹をくくって快諾。
コロナ対応もあり、付き添いは限定一名、4日前から毎日体温チェックと厳しい。
病棟から出るのも中に入るのも看護師にインターホンをおして開けていただく。
付き添いが決まったので夫を一旦家に送り 私も宿泊の準備をして 再び小平の病院に引き返しました
自宅→小平→自宅→小平 この日は片道27㎞、1時間半を一往復半
今朝は興奮していたのか朝3時に目が覚めて、眠らなきゃと思いながら「羊が一匹、羊が二匹・・・あれ、今何匹だっけ?」なんてそのまま5時半起床だった。
運転しながら眠たい。眠気を覚ますドリンクをグイッとのみ、ほっぺをピシャピシャ叩きながら「安全運転、高齢者ドライバー頑張れー!」と病院にたどり着く。
この病院では難病患者が入院されておられるので付き添いの方が多い。職員は看護が中心で、 介護はできるだけ付き添うの方にお任せスタイルです。吸引 経管栄養 投薬おむつ交換 髭剃り歯磨き などなど できることは何でもやります。 家の仕事がないのでいつもよりずっと楽です。
個室は簡易ベットあり、テレビ、シャワー、トイレ、Wi-Fi等など揃っていて快適です。
付き添っている間にオムツは持参とか、お尻ふきのティッシュは?とか、ゴミ袋は?着替えは?バスタオルは?お風呂のシャンプーは?などなど、必要なものが山ほど出てきて、付き添っていて良かった。そのたびに川崎から持って行くのでは偉いこっちゃと思いました。
やっと病院のルールにも慣れた頃、主治医と看護婦長さんから私の身体を気遣って付き添いを免除してくださるとのお話がありました。
長男の異変に直ぐに気がつくように、病室をナースステーション近くに移してくださるとのお話。
付き添いにも慣れて退院までずっとこの生活が続くものと思っていたので多少拍子抜けしました。
しかし、周りを見渡せば付き添い介護をしている白髪頭は私だけ。
せっかくのご配慮をありがたくお受けして、浣腸と入浴介助、お昼の胃ろう注入をしてから病室を後にしました。
長男には「イエス様が一緒だから大丈夫ね」とお祈りしてまた迎えに来るときまでと笑顔で別れました。

夕方家に着き、「絶対に起こさないでね」と夫に告げてバタンキュー。
緊張が解けたのでしょうか、やはり疲れていたのでしょうか。
お腹も空かないし、ず~~~っと寝ていました。
一昼夜寝て午後3時頃、栄養のあるものを身体に入れなくてはならぬと思い、むっくり起きてくいどんの焼き肉「石焼きビビンバ定食」を食べに行きました。 そしてまたまた一昼夜寝ました。あと少しで回復します。

この17年、神さまが私たちにしてくださった良き出来事を一つ一つ思い起こす時となりますように。
恐れなく、悩むことなく、一つ一つを恵みに変えてくださる神さまの不思議な業にまた出会うことが出来ますように。