6時43分

2025-01-30 | 個人的なこと

6時15分、目覚ましの音で目覚め、まず寝室のカーテンの窓を開けます。

数日前まで真っ暗だったのに、日毎に太陽の昇るのが早くなっているのでしょうか。

「6時43分」今日の川崎市高津区の日の出時間、因みに昨日は6時44分でした。

 

日の出前を表す言葉、日本語は美しい。

  「黎明(れいめい)」 「朝明け」 「朝朗(あさぼらけ)」等々

東雲(しののめ)の空には、もうすぐ夜が明けるという幸せな空気が漂っています。

暗闇から曙(あけぼの)、主のご臨在を感じ心がジワ~ッとあたたかくなるような気がします。

 

  「夕べがあり、朝があった」(創世記1:5)

 

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自分にご褒美、またです(笑)

2025-01-27 | 個人的なこと

所用あって二子玉川に行きました。

息子が車で送ってくれて、予定より早~く着きすぎたので高島屋でウインドウショッピング。

 

の、つもりが・・・

靴売り場で素敵なデザインに圧倒され目も足も止まりました。

もうこの年齢になるとヒールは履けないし、オシャレな靴も向こうが拒否

結局「ゆったり、EEEコーナー」それも「セール」です。

試しに足を滑らすと吸い付く様にぴったりフィット、そのまま履いて帰りたいくらい。

心地よい御値段ではなかったけれど、ウオーキングにショッピングにと毎日使えば安いもの。

「え~い! 自分へのご褒美」とばかり買っちゃいました。

ご褒美貰えるほどのことは何もしていないのだけれど・・・まぁ良いかぁ

 

 

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心にストンと落ちるコトバ

2025-01-25 | 個人的なこと

自分のことも、そしてわたしのまわりにも試練や悩みや先の見えない不安はつきない。

それは大きいものもあり、小さいものもあり、思いがけなく突然起こることもある。

「だって生きているんだもの」とも・・・思う。

 

「やさしさの贈り物」(片柳弘史神父著)に心に沁みたコトバがあった。

 

  「力をとっておく」 1月23日

    先の事を心配していると、

    実際に起こっていないことのために

    心が消耗してしまいます。

    起こらないかもしれないことのために

    疲れ果てるほど、

    無駄なことはありません。

    何か起こるまで、

    その力をとっておきましょう。

 

  「祈りは愛」 1月25日

    愛する誰かが苦しんでいるのに、

    自分には何も

    してあげらることがない。

    そんなとき、わたしたちは

    その人のために祈ります。

    誰かのために祈るとは、

    祈らずにはいられないほど、

    その人を愛しているということなのです。

 

聖書のみ言葉に「アーメン! み心がなりますように」

  「思い煩いは何もかも神にお任せしなさい。

   神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」

                      (第一ペトロ5:7)

 

 

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下町ツアー

2025-01-22 | 個人的なこと

旧友、と言っても息子たちの小学校時代に知り合ったママ友(2人)に誘われて。

きっとわたしを慰め励まそうと誘って下さったのだと思い、感謝して参加しました。

2人とも下町育ちで私の全く行ったことのないエリア。

わたしは最寄り駅「武蔵新城駅」から、迷子(婆)にならない様にひたすら後をおう。

今回は谷中(次回もあるらしい)・・日暮里界隈を案内して下さいました。

日暮里駅正面の設計は有名な**さんとか、駅名がネコ模様だとか、流石に詳しい。

 

 

目指すは谷中にある「朝倉彫塑館」 朝倉文夫のアトリエを改装した美術館。

 

館内約1時間散策後は「夕焼けだんだん」や「谷中銀座」をブラ~リ&ペチャクチャ。

 

ランチは谷中古民家一軒家「吉里」に連れて行って頂きました。 

本日のメニューは「松花堂御膳」 (店の売りは鰻ですが、好き嫌いの多い人が一名)

こんな路地裏の小粋なお店、それもリーズナブルでしかも美味しい。

何十年ぶりかのたまり溜まったお喋りに心がホッコリ、優雅な一日でした。

 

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数えて見よ、主の恵み!

2025-01-17 | 個人的なこと

 

祈り会(1/16)で鈴木結生さんの芥川賞受賞を知った。

鈴木牧人先生(郡山コスモス通り教会牧師)ご一家をJOYチャペルにお招きしたことを思い出す。

一人息子の結生さんは当時小学生だった。

東日本大震災後、原発汚染の混乱の中で教会員に寄り添っておられたご家族。

 

記憶をたどりながら過去記録を探してみた。

あった!!

2012年11月18日「特別礼拝」で牧人牧師のメッセージ、加織夫人の特別賛美、伴奏は私だった。

当時の私のblogも、そして加織夫人からのお礼状も見つかった。

それによると、私たち家族はその前にも一度沖縄でお会いしているのだった。

那覇新都心教会で開催された「障がい者と教会委員会」日出海はメンバー、鈴木先生は役員。

 

すっかり忘れていたあの事、この事。

加織夫人のお話を思い出す。

「父(当時未信者)が、原発汚染を心配して沖縄に戻ってくるように勧めてくれるけど、今わたしたちは福島の人たちを見捨ててここを出るわけにはいかない。イエス様に遣わされた教会だから」

その後、頑なだったお父様がイエス様を信じるのだけれど、その時の信仰告白が手紙にある。

『娘たちは、父である自分より、確かな神様の護りの内にある動かされない信仰の父に護られ、その土台に立っていて、また多くの兄弟姉妹方に支えられて生きている。この世の頼りなきものではなく、変わることのない神様に委ねて生きる信仰 というものを、改めて考えさせられた…。』

 

そして翌年、2013年9月日出海のJOYチャペル転入会、同年12月に夫のバプテスマ。

鈴木結生さんの芥川賞受賞がきっかけで神様の恵みを再び噛みしめることができた。

 

 

日出海を天国に送ってから半年が過ぎようとしている。

わたしの日常はすっかり様変わり。

仕事も奉仕も全て手放し自分のことは二の次だったから、この頃の私はクロノスが狂っている。

次男が家事一切を担い「母さんは好きなことをして良いよ」と、嬉しいけど?? まだ暗中模索。

あんなに忙しかった毎時間毎分だったのに、毎日ノンビリだら~りと時を刻む。

日出海のまわりに何度も何度も起こる神様の不思議や奇跡、昨今はそれもない。

 

しかし、待てよ!

主の恵みは「今このとき」だけではない。

「過去」の恵みを忘れず反芻することももっと大切ではないかと心を刺す。

鈴木結生さん、受賞おめでとうございます。そして有難う。

祈りのカードに追加します。

 

 

新生讃美歌103番

  1. 望みも消え行(ゆ)くまでに 世の嵐に悩むとき
    数えてみよ主の恵み 汝(な)が心は安きを得ん
    数えよ主の恵み 数えよ主の恵み
    数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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神の忍耐とは

2025-01-12 | 個人的なこと

毎朝のデボーションは「スタディーバイブル(新共同訳)」を使用している。

日課はJOYチャペルの聖書日課と同じところ。

記録を見ると通読も6周目になっている。

 

先日、詩編145編を読んで、み言葉が心に引っかかって、まだ引っかかり続けている。

 「神は恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ちておられます。」(詩編145:8)

 

はて?? 神の忍耐とはいったいどういう事??? 

わたしたち人間は試練や時には祈りがきかれず神の沈黙に忍耐することは往々にしてある。

しかし神様は何でもおできになる方なのに何を忍耐し、なぜ忍耐されるのだろう。

 「人間に出来ることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」(マルコ10:27)

 

何でもおできになる方があえて忍耐されるとしたら・・それは辛く苦しい事だろうと思う。

これまで何気に読み飛ばしていた言葉「神の忍耐」に目が留まる。

ここにわたしの日常を思いめぐらす。

 

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「侍」(遠藤周作著)を再読

2025-01-08 | 個人的なこと

遠藤周作の名著「侍」をまた読んだ。

因みに私は本を増やさない為、いや本棚を整理する為にkindle(電子図書)を愛用している。

 

何度読んでも新鮮なのはこれも「恵み・賜物」の一つかと苦笑い。

読み進めていくうちに「侍」が長谷倉六右衛門という名前だと知りこれまた新鮮。

???? どこかで聞いたような ・・・

 

そういえば義兄から「支倉焼」と言う美味しい仙台銘菓を何度か送っていただいた。

その時に電話口で「昔、仙台からヨーロッパに渡って宣教師として戻った人のお菓子」と。

兄の曖昧な説明と、聞いたわたしも曖昧な記憶で・・・事実誤認情報なのだけれど。

 

長谷倉? 支倉焼?  ヒョットシテ同一人物???

調べたら「侍」支倉常長をモデルにした小説、遠藤の信仰を知る思いだった。

 

義兄は1/1が84歳の誕生日、「干支6周目」、連れ合いが何かプレゼントしたいと言う。

何かといってもねぇ、さんざん考えて思いついたのがこの本、Amazonから🎁包装で送った。

ノンクリスチャンの兄にどこまで伝わるかは分からないけれど、小さな種まきである。

 

読み終えた感想の一つとして、心に残る言葉

  「わたしがどんなにあの方を見捨てようとしても

   あの方は決してわたしをお見捨てになりません。」

 

 

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1月5日 新年礼拝

2025-01-05 | 教会のこと

2025年最初の礼拝、神さまの招きをいただき家族揃って教会に行きました。

異邦人の博士たちが救い主の誕生を知らせる星を見て大いに喜び礼拝した箇所からのmessageです。

礼拝は喜び、生きる力、時には慰め、そして主の招きに応えて応答する恵みの場所。

 

思い起こせば昨年の新年礼拝は連れ合いと一緒でした。

それを最後に彼は頑なに家でYouTube礼拝と言い張り、ひとり教会での礼拝をささげました。

性格の変化に戸惑い、なかなか理解出来ないわたし。

それから8ヶ月、長男が天国に召された直後まで別々の場所での礼拝が続きました。

 

10月に次男が仕事を辞め「3人で礼拝に行こう!」と、あれからまる3カ月が経ちました。

 

神様のなさることは何とも奇想天外、まか不思議、今年もこれからもどんなことが起こるやら。

主のご計画は決して悪いものではなく、私たちに幸いを与えてくださる。

家族で礼拝できる喜び、これがいつまで続くのかは未知、決して当たり前のことではありません。

思い煩いは一切を神にお任せして、今日一日の恵みを感謝いたしましょう。

礼拝さえも主の御ゆるしがあってこそ、わたしの思いではなく神さまのみ心がなりますように。

 

 

 

 

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2025年、テーマは「愛」

2025-01-01 | 個人的なこと

 

今年はどんな年になるのでしょう。

祈りのうちにテーマが与えられました。

わたしに一番足りないものです。

それは・・・「愛」

 

  「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。

   このうちで最も大いなるものは、愛である。」Ⅰコリント13章13節

 

  「一切のことを、愛をもって行いなさい」   Ⅰコリント16章14節

 

 

そして「ニューイヤーコンサート」、音楽に心が震える一年の始まりでした。

指揮者のリッカルド・ムーティがアンコールの前に母国語(イタリア語)で聴衆に語りました。

  「平和・絆・愛を全世界に!」

 

とても大きな宿題をいただいた一年の始まりでした。

 

 

 

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