永年愛用してきた刃金の包丁、プロに度々研いでいただいてもいまいち切れ味が。
リュウマチで力が入らなくなったわたし、切れない包丁で料理するのは難儀です。
Facebookで「これいいかも!」と目を付けていたセラミック三徳包丁をやっと買いました。
帰りに「トマト」も買いました。
看板に偽りなし、想像以上の素晴らしい切れ味に感嘆!!!!
料理がまた楽しくなりそうです
永年愛用してきた刃金の包丁、プロに度々研いでいただいてもいまいち切れ味が。
リュウマチで力が入らなくなったわたし、切れない包丁で料理するのは難儀です。
Facebookで「これいいかも!」と目を付けていたセラミック三徳包丁をやっと買いました。
帰りに「トマト」も買いました。
看板に偽りなし、想像以上の素晴らしい切れ味に感嘆!!!!
料理がまた楽しくなりそうです
朝食後、「1,2,3,4,5、6,7・・・」と数えながら薬を飲む。
横で見ている二人の男どもは毎度のことながらあきれ顔。
「子どもの頃から虚弱体質で毎月医者通いを欠かしたことがない」と亡き母から聞かされていました。
それでもかつては若さで乗り切っていたけれど、今は無理の効かないお年頃・・・
主な病気を羅列すれば
喘息、リュウマチ、結節性痒疹、好酸球副鼻腔炎、高コレステロール、骨粗鬆症等々
幸いなことに現代医学の進歩、新薬の開発のおかげでわたしの健康は維持されているのです。
【喘息】は当時は保険にも入れないほどの死に直結した病、2000年には1ヶ月ほど入院加療したこともありました。
あの後、予防薬が開発されて今では殆ど症状もでずに暮らせています。
【好酸球副鼻腔炎】耳鼻科で唯一の指定難病。
20歳頃からずっと鼻づまりがひどく、夜も眠れない時もありました。
慢性鼻炎、アレルギー鼻炎、鼻茸、花粉症等の病名をもらいました。
これまでに3度も鼻の手術をしましたが、それでも耳鼻科と縁が切れません。
4年前、別の耳鼻科で「最近の研究に依ると」と難病指定の病名がくだり、治療が始まりました。
「ディピクセント」という皮下注射が効くらしいとの学会研究発表があり試すことになりました。
ピッタンコわたしには効果テキメンで息はスウスウ、何年も諦めていた嗅覚の回復、即効です。
一本単価5万数千円の薬(自己負担1割で助かっています)を2週間に一回自己注射しています。
【リュウマチ】ホームドクターのM.K先生が早期発見して下さいました。
血液検査では判定不可能な微妙な値であるにも関わらず、二度までも紹介状を書いて下さり、
結果、専門医のリュウマチ認定がでて早期治療が始まりました。2年前のことです。
「寛解」を目標に2ヶ月毎の受診、血液検査などの値を見ながら薬を処方して頂いています。
ピアノが弾けなくなったことは大変なショックで、気持ち整理の為に奉仕も資料も手放しました。
料理もできなくなり、ペットボトルの蓋も開けられず、喪失感にさいなまれました。
今は痛みも軽減し、包丁が持てるようにもなったので、息子から食事の支度を奪い返しました。
料理は苦手分野だったのに、再び出来るようになったもんだから嬉しくて楽しくてたまりません。
キリが無いので持病の話しはここまでにしましょう。
今日は連れ合いに頼まれて銀行に行ってきました。
たった5千歩以下だったのに何だかムカムカと眩暈がします。
何だかねぇ、歳のせいかしら、我ながらやわで嫌になっちゃいます。
息子は薬の副作用じゃないのと申します。それもあるかもしれません。
連れ合いは足と目以外は至って健康で健康診断もオールA、薬も目薬以外はほゞほぼ一粒飲むだけです。
そういえば長~い付き合いで「疲れた」とか彼の口からは聞いたことがありません。
わたしが具合が悪いとか疲れたとか言うのが理解不能なのでしょうね、とても嫌みたいです。
なので・・・「お昼寝します」とだけ言ってまだ11時なのに2階にあがりました。
チョット待った! 恵み、感謝も書いておきたい。
わたしは「頭痛・肩こり・腰痛」といった痛みの自覚症状が殆ど無いんです。
「腹痛」も経験したことがないので「胃」がどこにあるのかも知りません
「病むこと」「痛むこと」「悩むこと」・・・それぞれに与えらた試練の中で神様に出会います。
「生きよ!」と傍らでささやく御声に出会います。
今朝のデボーション
「朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。
実をむすぶのはあれかこれか
それとも両方なのか、分からないのだから。」(コヘレト11:6)
忘れた! 恵方巻
忘れた! バレンタインデー
忘れなかった ひな祭り
3月に入りあと三日と慌てて壁に掛ける毎年なのに、今年は忘れなかった。
クロスステッチ刺繍の力作です。
介護の合間に1針1針、一年がかり。
あの頃は根気もあったんだなぁ、昨今こんな細かい手仕事はとても無理。
何年前の作品かと思い出そうとしたけれど・・・忘れた!
今日は馴染の散歩コース、江川せせらぎ遊歩道です。
梅の季節だわぁ~と、いつもより頑張って梅林めざしてゆっくりゆっくり歩きました。
ゆっくりゆっくりなので物珍しい周りの景色にも目が留まり・・・沖縄スズメウリのリース。
【水琴窟】も今日は足を止め・・・耳を澄まして妙なる響きに心和むひと時を過ごしました。
一万歩越え、笑顔のウオーキングでした。
今日のウオーキングはいつもと違ったルート、なだらかな坂道を選びました。
上り坂はハアハア~息を切らせながら一歩ずつ、ガンバレ頑張れと自身を鼓舞して。
登りきったところでホッと一息。
気持ちのユトリも手伝ってか思わず合唱の授業の暗譜曲を口ずさみつつ歩みます。
【天国メドレー】
♪御国に集まる日のあゝ懐かしや
やがて我らきよい向こう岸で、共に手と手取りて喜び合おう
み空の彼方かしこには楽しき住まいありて、世の悩みにも嵐にも乱さるる憂いなし
楽しき国よ、慕わしき家よ、かしこは常に空晴れて群雲のわく日なし
(中略)
救われし者は全て主のもとに行かん、輝く主の住まいへ我れ行かん
我れ行かん、輝く明日にあゝ主よ、彼方のみ国へと我れ行かん
やがて天にて喜び楽しまん、君にまみえ勝ち歌を歌わん ハレルヤアーメン♪
空を見上げれば果てしなく広がる蒼穹。
青空の高みに日出海の笑顔がヒョッコリ浮かんで、思わず知らず涙が溢れてしまいました。
人生の半分を病との闘い、愚痴も嘆きも何も言わずに沢山の笑顔で返してくれたっけ。
いや、一度だけ病室の外にも響き渡るような慟哭が・・それは2014年イブのことでした。
鎮静剤注射で寝入ったのを見届けで教会へ、私のクリスマス奉仕はこの日が最後となりました。
2か月後には気管切開で声を失い、苦しいとも言えなくなっちゃって・・辛かったよねと涙。
神様はそんな日出海を病も無い麗しの天国へと迎えてくださった・・本当に良かったねと涙。
「やがて天で会える、必ず会える。その日までもう暫く待っててね」と心で語るのでした。
箴言21章、今朝のデボーション個所である。
2度も似たような内容が出てきて心グサッ!
思い当たることアリアリ!!
「いさかいが好きな妻と一緒に家にいるよりは/屋根の片隅に座っている方がよい。」9節
「いさかい好きで怒りっぽい妻といるよりは/荒れ野に座っている方がよい。」19節
かつて若くて元気な頃のわたしは連れ合いの言動にイラつくことが多かった。
屋根に荒れ野に追いやっていたいたのだなと今更ながら反省しきり。
歳を重ねるにつれて怒りを吐き出さずにグッと我慢することができるようになり。
近頃ではわたしより数歩先に老いを歩む彼に怒りを覚えることは殆ど無くなった。
「自分の口と舌を守る人は/苦難から自分の魂を守る。」23節
昨日の祈り会で「ルツ記」を学んだ。
姑のナオミ、その人柄は2人の嫁に何と優しく麗しい関係かと思う。
ナオミ家族の神への信仰は異教の地モアブに於いても10年変わりなく続いていたであろう。
モアブに育った二人の嫁もまた結婚生活の中では当然この神に触れていく。
わたしは思う。
ルツは姑の優しさにもまして、この神に決別することが出来なかったのではないかと。
「あなたの民はわたしの民/あなたの神はわたしの神。」(ルツ記1:16)
”これはまさにルツの信仰告白”と牧師から学んだ。
一方、弟嫁オルパは大好きな姑に涙の口づけして別れて行った。
彼女は再び生まれ育った偶像を拝むモアブに戻ったのである。
わたしは祈る
「W.W.J.D」
「What Would Jesus Do?」「もしイエス様だったら(こんな時)どうするだろう?」
忘れもしない・・昨年10月12日 「後期合唱授業第一日目」の真夜中のことでした。
突然左脇腹の激しい痛みと、脂汗、嘔吐で救急車かと迷っているうちに明け方治まりました。
後日、数回軽い痛みの前兆はありましたがあれは何だったんだろうと気になったり忘れたり。
ホームドクターに相談したところ「背中なら腎臓結石の疑い」と言うことでした。
恥かしながら虚弱体質なのに身体の事は良くわかっていないわたし。
「腎臓ってどこ?」「何するの?」「エッ、左右二つあるの」なんて、いい歳してお粗末。
12月にCT検査、1月に超音波検査を受けました。
ホームドクターM.K医師が「石は見当たらない。しかし尿道の変形が気になるので画像に写らない腫瘍などが無いか専門病院で調べてもらいましょう」と紹介状を書いてくださいました。
本日(2/3)虎の門病院分院泌尿器科に受診しました。
問診、ファイバースコピー(内視鏡のようなものらしい)、エコー検査などから先生曰く。
「結石も無いし、腎や泌尿器内も綺麗なもんです。良かったですね」と。
念のため6か月後に再診予約をとって様子見と言うことになりました。
少しドキドキしていましたけれど年をまたがって気になっていた事が一気にすっ飛びました。
神様から預かった身体の管理も大切な務めです。
腎臓の石だけでなく、わたしの心の石をも取り除いてください。
「わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。」(エゼキエル36:26)
6時15分、目覚ましの音で目覚め、まず寝室のカーテンの窓を開けます。
数日前まで真っ暗だったのに、日毎に太陽の昇るのが早くなっているのでしょうか。
「6時43分」今日の川崎市高津区の日の出時間、因みに昨日は6時44分でした。
日の出前を表す言葉、日本語は美しい。
「黎明(れいめい)」 「朝明け」 「朝朗(あさぼらけ)」等々
東雲(しののめ)の空には、もうすぐ夜が明けるという幸せな空気が漂っています。
暗闇から曙(あけぼの)、主のご臨在を感じ心がジワ~ッとあたたかくなるような気がします。
「夕べがあり、朝があった」(創世記1:5)
所用あって二子玉川に行きました。
息子が車で送ってくれて、予定より早~く着きすぎたので高島屋でウインドウショッピング。
の、つもりが・・・
靴売り場で素敵なデザインに圧倒され目も足も止まりました。
もうこの年齢になるとヒールは履けないし、オシャレな靴も向こうが拒否
結局「ゆったり、EEEコーナー」それも「セール」です。
試しに足を滑らすと吸い付く様にぴったりフィット、そのまま履いて帰りたいくらい。
心地よい御値段ではなかったけれど、ウオーキングにショッピングにと毎日使えば安いもの。
「え~い! 自分へのご褒美」とばかり買っちゃいました。
ご褒美貰えるほどのことは何もしていないのだけれど・・・まぁ良いかぁ
自分のことも、そしてわたしのまわりにも試練や悩みや先の見えない不安はつきない。
それは大きいものもあり、小さいものもあり、思いがけなく突然起こることもある。
「だって生きているんだもの」とも・・・思う。
「やさしさの贈り物」(片柳弘史神父著)に心に沁みたコトバがあった。
「力をとっておく」 1月23日
先の事を心配していると、
実際に起こっていないことのために
心が消耗してしまいます。
起こらないかもしれないことのために
疲れ果てるほど、
無駄なことはありません。
何か起こるまで、
その力をとっておきましょう。
「祈りは愛」 1月25日
愛する誰かが苦しんでいるのに、
自分には何も
してあげらることがない。
そんなとき、わたしたちは
その人のために祈ります。
誰かのために祈るとは、
祈らずにはいられないほど、
その人を愛しているということなのです。
聖書のみ言葉に「アーメン! み心がなりますように」
「思い煩いは何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」
(第一ペトロ5:7)