心にストンと落ちるコトバ

2025-01-25 | 個人的なこと

自分のことも、そしてわたしのまわりにも試練や悩みや先の見えない不安はつきない。

それは大きいものもあり、小さいものもあり、思いがけなく突然起こることもある。

「だって生きているんだもの」とも・・・思う。

 

「やさしさの贈り物」(片柳弘史神父著)に心に沁みたコトバがあった。

 

  「力をとっておく」 1月23日

    先の事を心配していると、

    実際に起こっていないことのために

    心が消耗してしまいます。

    起こらないかもしれないことのために

    疲れ果てるほど、

    無駄なことはありません。

    何か起こるまで、

    その力をとっておきましょう。

 

  「祈りは愛」 1月25日

    愛する誰かが苦しんでいるのに、

    自分には何も

    してあげらることがない。

    そんなとき、わたしたちは

    その人のために祈ります。

    誰かのために祈るとは、

    祈らずにはいられないほど、

    その人を愛しているということなのです。

 

聖書のみ言葉に「アーメン! み心がなりますように」

  「思い煩いは何もかも神にお任せしなさい。

   神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」

                      (第一ペトロ5:7)

 

 

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下町ツアー

2025-01-22 | 個人的なこと

旧友、と言っても息子たちの小学校時代に知り合ったママ友(2人)に誘われて。

きっとわたしを慰め励まそうと誘って下さったのだと思い、感謝して参加しました。

2人とも下町育ちで私の全く行ったことのないエリア。

わたしは最寄り駅「武蔵新城駅」から、迷子(婆)にならない様にひたすら後をおう。

今回は谷中(次回もあるらしい)・・日暮里界隈を案内して下さいました。

日暮里駅正面の設計は有名な**さんとか、駅名がネコ模様だとか、流石に詳しい。

 

 

目指すは谷中にある「朝倉彫塑館」 朝倉文夫のアトリエを改装した美術館。

 

館内約1時間散策後は「夕焼けだんだん」や「谷中銀座」をブラ~リ&ペチャクチャ。

 

ランチは谷中古民家一軒家「吉里」に連れて行って頂きました。 

本日のメニューは「松花堂御膳」 (店の売りは鰻ですが、好き嫌いの多い人が一名)

こんな路地裏の小粋なお店、それもリーズナブルでしかも美味しい。

何十年ぶりかのたまり溜まったお喋りに心がホッコリ、優雅な一日でした。

 

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数えて見よ、主の恵み!

2025-01-17 | 個人的なこと

 

祈り会(1/16)で鈴木結生さんの芥川賞受賞を知った。

鈴木牧人先生(郡山コスモス通り教会牧師)ご一家をJOYチャペルにお招きしたことを思い出す。

一人息子の結生さんは当時小学生だった。

東日本大震災後、原発汚染の混乱の中で教会員に寄り添っておられたご家族。

 

記憶をたどりながら過去記録を探してみた。

あった!!

2012年11月18日「特別礼拝」で牧人牧師のメッセージ、加織夫人の特別賛美、伴奏は私だった。

当時の私のblogも、そして加織夫人からのお礼状も見つかった。

それによると、私たち家族はその前にも一度沖縄でお会いしているのだった。

那覇新都心教会で開催された「障がい者と教会委員会」日出海はメンバー、鈴木先生は役員。

 

すっかり忘れていたあの事、この事。

加織夫人のお話を思い出す。

「父(当時未信者)が、原発汚染を心配して沖縄に戻ってくるように勧めてくれるけど、今わたしたちは福島の人たちを見捨ててここを出るわけにはいかない。イエス様に遣わされた教会だから」

その後、頑なだったお父様がイエス様を信じるのだけれど、その時の信仰告白が手紙にある。

『娘たちは、父である自分より、確かな神様の護りの内にある動かされない信仰の父に護られ、その土台に立っていて、また多くの兄弟姉妹方に支えられて生きている。この世の頼りなきものではなく、変わることのない神様に委ねて生きる信仰 というものを、改めて考えさせられた…。』

 

そして翌年、2013年9月日出海のJOYチャペル転入会、同年12月に夫のバプテスマ。

鈴木結生さんの芥川賞受賞がきっかけで神様の恵みを再び噛みしめることができた。

 

 

日出海を天国に送ってから半年が過ぎようとしている。

わたしの日常はすっかり様変わり。

仕事も奉仕も全て手放し自分のことは二の次だったから、この頃の私はクロノスが狂っている。

次男が家事一切を担い「母さんは好きなことをして良いよ」と、嬉しいけど?? まだ暗中模索。

あんなに忙しかった毎時間毎分だったのに、毎日ノンビリだら~りと時を刻む。

日出海のまわりに何度も何度も起こる神様の不思議や奇跡、昨今はそれもない。

 

しかし、待てよ!

主の恵みは「今このとき」だけではない。

「過去」の恵みを忘れず反芻することももっと大切ではないかと心を刺す。

鈴木結生さん、受賞おめでとうございます。そして有難う。

祈りのカードに追加します。

 

 

新生讃美歌103番

  1. 望みも消え行(ゆ)くまでに 世の嵐に悩むとき
    数えてみよ主の恵み 汝(な)が心は安きを得ん
    数えよ主の恵み 数えよ主の恵み
    数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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神の忍耐とは

2025-01-12 | 個人的なこと

毎朝のデボーションは「スタディーバイブル(新共同訳)」を使用している。

日課はJOYチャペルの聖書日課と同じところ。

記録を見ると通読も6周目になっている。

 

先日、詩編145編を読んで、み言葉が心に引っかかって、まだ引っかかり続けている。

 「神は恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ちておられます。」(詩編145:8)

 

はて?? 神の忍耐とはいったいどういう事??? 

わたしたち人間は試練や時には祈りがきかれず神の沈黙に忍耐することは往々にしてある。

しかし神様は何でもおできになる方なのに何を忍耐し、なぜ忍耐されるのだろう。

 「人間に出来ることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」(マルコ10:27)

 

何でもおできになる方があえて忍耐されるとしたら・・それは辛く苦しい事だろうと思う。

これまで何気に読み飛ばしていた言葉「神の忍耐」に目が留まる。

ここにわたしの日常を思いめぐらす。

 

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「侍」(遠藤周作著)を再読

2025-01-08 | 個人的なこと

遠藤周作の名著「侍」をまた読んだ。

因みに私は本を増やさない為、いや本棚を整理する為にkindle(電子図書)を愛用している。

 

何度読んでも新鮮なのはこれも「恵み・賜物」の一つかと苦笑い。

読み進めていくうちに「侍」が長谷倉六右衛門という名前だと知りこれまた新鮮。

???? どこかで聞いたような ・・・

 

そういえば義兄から「支倉焼」と言う美味しい仙台銘菓を何度か送っていただいた。

その時に電話口で「昔、仙台からヨーロッパに渡って宣教師として戻った人のお菓子」と。

兄の曖昧な説明と、聞いたわたしも曖昧な記憶で・・・事実誤認情報なのだけれど。

 

長谷倉? 支倉焼?  ヒョットシテ同一人物???

調べたら「侍」支倉常長をモデルにした小説、遠藤の信仰を知る思いだった。

 

義兄は1/1が84歳の誕生日、「干支6周目」、連れ合いが何かプレゼントしたいと言う。

何かといってもねぇ、さんざん考えて思いついたのがこの本、Amazonから🎁包装で送った。

ノンクリスチャンの兄にどこまで伝わるかは分からないけれど、小さな種まきである。

 

読み終えた感想の一つとして、心に残る言葉

  「わたしがどんなにあの方を見捨てようとしても

   あの方は決してわたしをお見捨てになりません。」

 

 

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2025年、テーマは「愛」

2025-01-01 | 個人的なこと

 

今年はどんな年になるのでしょう。

祈りのうちにテーマが与えられました。

わたしに一番足りないものです。

それは・・・「愛」

 

  「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。

   このうちで最も大いなるものは、愛である。」Ⅰコリント13章13節

 

  「一切のことを、愛をもって行いなさい」   Ⅰコリント16章14節

 

 

そして「ニューイヤーコンサート」、音楽に心が震える一年の始まりでした。

指揮者のリッカルド・ムーティがアンコールの前に母国語(イタリア語)で聴衆に語りました。

  「平和・絆・愛を全世界に!」

 

とても大きな宿題をいただいた一年の始まりでした。

 

 

 

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美味しゅうな~れ!

2024-12-31 | 個人的なこと

今日で怒涛の2024年が終わります。

元旦早々能登の地震、民族戦争、個人的にも哀しい、愛しい、悲しいことが立て続けの年でした。

 

2024年のテーマは「喜」

この世的な喜びは決して多くはありませんでしたが「感謝」に満ち溢れた年でした。

神様がすべてに良き時と万全の備えと祈りの友を与えてくださり、喜びをいっぱい下さいました。

 

 「いつも喜んでいなさい。

  絶えず祈りなさい。

  どんなことにも感謝しなさい。」(Ⅰテサロニケ5:16~18)

 

クリスマスも新年のお祝いも控えめにと、おせちも正月の準備も今年は省略です。

「あんこ」だけは作りました。

「美味しゅうな~れ! 美味しゅうな~れ!」と言いながら3時間あまり。

  (NHK朝ドラ再放送「カムカム・エブリバディ」の見すぎかな(笑)

連れ合いは仙台出身で子供のころから正月は雑煮とあんころ餅が欠かせないのだそうです。

結婚したその年から53年も作らされてきたのでそれだけは今年も用意することにしました。

彼の喜ぶ顔が見たくって、ナンチャッテ。

 

沸騰させないように弱火で静かに豆が柔らかくなるのを待ちながら思いました。

「何をすればよいか、アンコ自身が教えてくれる!」

焦らず、触らず、時が来るのをジッと祈りながら待つ。

53年目にして初めて、豆もつぶれず見事に美味しいあんができました。

「早く!早く!」と早急に答えを欲しがるわたしに「今は待つ時」と教えてくれた年の暮れでした。

 

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かな(哀・愛・悲)しい 別れ

2024-12-29 | 個人的なこと

今年は大切なひととの「かなしいお別れ」が3つ。

 

しい別れ・・5月、Wさん

1981年、バプテスマを受けた時には信仰の先輩として。

その後私がJOYチャペルに教会籍を移した前後には偶然同じ教会に所属されて。

40数年来の信仰の友、常に少女のような「誠実・謙遜・清潔」を備えたひとでした。

同い歳の友との別れは哀しい。

わたしもそのうち行くから天国でまた楽しい話しを聞かせてね。

 

 

しい別れ・・8月、長男

難病宣告から20数年、この日が来るのは分かっていたはずだったけれど。

神様が日出海の苦しみや痛みを全て解き放って天国に招いてくださって。

安堵感と平安、天国で再会の希望、時折ふとしたことで寂しさを覚えます。

私も今は天国への階段を喜んで一歩一歩登っている。

老いを自覚する昨今、登り階段はキツくて息切れする時もあるけれど、登る。

齢51年の生涯、お腹に命が宿ってから52年の愛息との別れでした。

 

 

しい別れ・・今日(12/29)、ピアノの師

結婚前から師事していたピアノのN先生の葬儀でした。

神学校、長男の介護などレッスンを休止した時期もあったけれど通算約55年の師弟関係。

クリスマスカードをお送りすると必ず電話があり、何度励ましをいただいたことか。

ところが今年は日出海の召天もありカードを出さずじまい、悔やまれてなりません。

紆余曲折を乗り越えられた先生は、ピアノだけでなく人生の師匠でもありました。

亡母と同じ歳くらいなので多分100歳?最後まで現役でいらっしゃいました。

訃報を聞いた時は悲しくて悲しくて涙が止まりませんでした。

そして、、今日も、、

 

 

「やさしさの贈り物」(片柳弘史神父著)より

 

  別れの苦しみは、

  わたしたちが相手と深く結ばれたしるし。

  苦しみが深ければ深いほど、

  その人とのつながりも深いのです。

  別れを悲しむよりも、

  深く結ばれたことを喜びましょう。

  本物の絆は、

  いつまでも消えることがありません。

 

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今年のChristmasは・・・

2024-12-25 | 個人的なこと

22日のクリスマス礼拝、

24日のキャンドルサービス、

25日は連れ合いのデイサービスでのクリスマス会。

 

どれも恵みはいっぱいなのに・・・

今年のChristmasは何故かいつもと違った物憂さを覚えます。

あゝ主よ。

神がこのわたしの心に寄り添い、近く、より近くにいてくださるChristmas。

 

  「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」

   この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。(マタイ1:23)

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日々新たにされて

2024-12-11 | 個人的なこと

足元の落ち葉・・・働きを終えて・・そして新しい命へと繋がる愛おしさ

 

デボーション、詩編119編を読み進めています。

105節には古くからの愛唱聖句「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光」(口語訳)

 

詩編119編が多様な言葉で「律法」を歌った詩であることに気付きを得たわたし。

例えば・・・掟、教え、戒め、定め、道、み言葉、仰せ、命令・・などなど

 

「律法はわが足のともしび、わが道の光」

はて?

再び立ち止まって詩編119:105と向き合う朝でした。

 

 

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