6月27日 講壇の花
うれしいやら悲しいやら、長男の退院がのびて今日も教会に出向いての礼拝、6週目でした。
今朝の説教は詩編119編106「わたしの道を照らすみ言葉」
招きの言葉は詩編1編 ・・いかに幸いなことか・・わたしの愛唱聖句です。
毎朝のデボーションと、同時刻に2人の友人が送ってくださるみ言葉。
そして車に置いている聖句。
これがわたしの平安の源、神さまの具体的な支えです。
6月27日 講壇の花
うれしいやら悲しいやら、長男の退院がのびて今日も教会に出向いての礼拝、6週目でした。
今朝の説教は詩編119編106「わたしの道を照らすみ言葉」
招きの言葉は詩編1編 ・・いかに幸いなことか・・わたしの愛唱聖句です。
毎朝のデボーションと、同時刻に2人の友人が送ってくださるみ言葉。
そして車に置いている聖句。
これがわたしの平安の源、神さまの具体的な支えです。
長男の入院は今日で39日目になります。
退院に向けてのカンファレンスがありました。
K訪問医とO看護師、ほのぼの介護ステーションのH看護師、ケアマネージャーのSさんが同席してくださり、竹山病院はM医師と看護師、相談員数名、そして私たち夫婦。
病状経過説明と退院後の在宅ケアーに向けての質疑応答がありました。
チョッピリ不安もありますが、在宅チームの心強い支えが何よりも心強くありがたいです。
最後に面会が許されて・・・
お髭がボウボウで見るからに病人でしたが私たちを認識して精一杯の笑顔。
あと少しね、頑張れ!ヒデポン
いつもなら車でスイ~ッと行くのですが、暇にまかせてプラプラと一万歩も歩きました。
身体障害者の長男を乗せた車はこれを張っておけば駐車禁止のところも免除。
福祉サービスは多々ありますがすべてが自己申請です。
条件も細かく決められていて煩雑ですが億劫がっていては何事も進みません。
我が家は手間ひま惜しまず色んなサービスの恩恵にあずかっています。
感謝!
「毎日が日曜日」・・最近では使わなくなった言葉かもしれませんが、この頃の私です。
長男が家にいる頃は延べ3時間おきくらいにピンポ~ン♪と介護/看護の方が入れ替わり立ち替わり訪問してくださっていました。
*曜日は入浴サービス、*曜日はデイサービス、*曜日は訪問歯科 などなど。
スケジュール管理が怠りないよう、次に来てくださる方の名前や顔を思い出してお迎え準備万端の毎日。
ところが長男のいない昨今は「は~て?、今日は何日?、何曜日?、何をする日だっけ??」と
私が惚けないうちに早く退院してくれないかなぁ。
6月20日 講壇の花
長男が退院できれば教会での礼拝は今日が最後かな?と、複雑な気持ちで礼拝しました。
午後は墓前礼拝、せっかくですからこちらにも参加しました。
信仰の先達を偲びつつ、いずれはわたしも帰る天国に思いを馳せました。
クリスチャンは良いな、天国のそして永遠の命の希望があたえられていますから。
たとえこの世の別れは辛く悲しくあろうとも「再開」の約束に生きることができますから。
今週も私たちをいつも心にかけていてくださる主に信頼し、すべてを委ねて歩みましょう。
このところ夫の運転手ばかりしています。
やれ役所だ、病院だって。
今日はコロナワクチン接種で溝の口丸井まで送迎です。
「待つ間にショッピング、それともお茶しようか??」なんてワクワクしていたのですが。
ところがところが、時間が早すぎて開店前でした。
あぁ、誤算だぁ~~
かくして駐車場の車の中で「終わったよぅ~」の電話を受け取ることになりました。
庭のペチュニア
入院からそろそろ1ヶ月になります。
まだ病院から何の連絡もありません。
「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ロマ書5:3-4)
み言葉は真実です。
「待つ、待つ、待つ」と忍耐の私に「待ち望む」希望が与えられました。
「我らの魂は主を待つ。
主は我らの助け、我らの盾
我らの心は喜び/聖なる御名に依り頼む
主よ、あなたの慈しみが我らの上にあるように
主を待ち望む我らの上に」(詩編33:20-22)
状況は何ら変わりませんが、皆さんのお祈りと励ましに支えられ、その中で与えられた希望です。
うれしいやら、悲しいやら、今日も教会に出向いての礼拝でした。
長男の退院がまだだからです。
「思い煩いはどんなことも神にお任せしなさい。神はあなた方の事を心にかけていてくださっているからです。」(Ⅰペテロ5:7)
不安が襲うそんなとき不思議と知人、友人から思いがけない励ましのお電話やmail、お手紙をいただき、再び与えられたみ言葉にかえります。
顔を合わせての礼拝はことのほか主と友との交わりの時、祈りを肌で感じる時です。
あと少し、あと少し 「待つ」「待つ」「待つ」忍耐の日々を過ごしましょう。
先週、退院を目前に発作を起こし退院が延期となり、3週間が経ちます。
昨日お見舞いの許可がでたので竹山病院に行きましたが本題は病状説明でした。
詳細は省きますが・・・
度々の痙攣発作があり、発作を抑えるために内服薬の増量、それに伴い意識レベルの低下が見込まれる。 一旦は退院ができるかもしれないが、自宅での看護介護の継続は難しい、云々というお話でした。
家に帰って医師から聞いた話の反芻で頭が真っ白になって、涙が溢れて考えがまとまりません。
在宅医からも入院を機に次のステージに移ったかもとお話があったばかりでした。
しかし、しかし、しかし
長男と一緒に暮らす と、心に決めた途端、今泣いたカラスがもう笑った。
今朝、家族でこのことを共有しました。
在宅医、ケアマネ、そして入院中の竹山病院にも出向いて私たちの意向をお伝えし協力を仰ぎました。
竹山病院では特別に3分間の面会許可をいただき長男に話しができました。
たとえ寝ていてもこれだけは話しておきたかったのです。
「これ以上苦しまないように薬の調整をお願いしたのでこれからは寝ていることが多くなるかもしれない。 笑顔が出なくなるかもしれない。 お母さんはどんなにかあなたの笑顔に励まされたかと思うと辛いけど、これまで100万回それ以上の笑顔をもらって心の中にしみこんでいるからもう大丈夫。 お父さんもけんちゃんもみんなであなたが家に帰ってくるのを待っているから安心して治療してね。 イエス様も一緒だよ。」
うっすらと目をあけて聞いていた長男がうなずき微笑みました。
心が通じた一瞬でした。
6月第一の主の日、夫と共に晩餐式にあずかることができました。
というのも、長男がまだ退院できずにいるからです。
教会での主の晩餐は2020年2月以来、1年4ヶ月ぶりのこと。
なかなか家に戻れない長男のことを思うと嬉しさはなく、苦い葡萄酒でした。