嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

小さな粉が流れるだけで 僕は「砂」と呼ぶことができる。

2006年03月09日 18時30分04秒 | 駄文(詩とは呼べない)
「居場所」に対する期待は絶望感を引き立てるための香辛料になる
どこかに自分の安心できる居場所があるんじゃないか?
と問いをもたげる淡い期待は
自分探しの原動力ともなるけれど
どちらかと言えば世界に対する絶望に繋がる事の方が多い
自分を行動させるためには
いつも自分の周りにある空気を破壊せねばならない
僕を俺が追いつめていかない限り
僕が俺の周りで踊る事なんてないのだ

自暴自棄、という言葉が嫌いだ
自暴自棄というのは自分を持っている人のためにある言葉だ
自分に意志が無い者
意志が人に、社会における小さな個人に、巨大な奔流に飲み込まれる小さなオリジンに
本当に宿っているのか疑わしい場に
自分の意志が全く発見できる気配すらない空間に
そんなつまらない言葉は冷たく側をかすめて通り過ぎるだけだ

自分を壊したいわけじゃない
むしろ自分を探したいという感情に近い
妄想の中ではいつだって行動的で
それが現実に結びつくための歯車をいつだって僕は探してる

だけどそういう期待こそが幻想だ
自分をかたどるあやふやな輪郭線は
自分の意志を諦めた者にしか見えないのだと思う

何故なら。

傍観者達が持つ流れこそが悪意を増幅し
小さなよどみはどうしようもないほどに渦を巻く

加害者も被害者もどこにもいない
ここには傍観者だけがいるからだ

元気出してね

という言葉。

死なないで

という言葉。

その気持ち解るよ

という言葉。

それらはいつも嘘の中でしか翻訳されない

見つめる視線こそがモーターを回す悪意で
それらは数をますほどに流れを速めるから
人はそれを。

勘違いして意志と呼ぶのだろう

僕が居る世界のニオイを嗅ぐ
臭いとも匂いとも書きたくないようなニオイ。

鉄の毒液が僕を錆びつかせていく

僕の居場所は、この世界には無い。