死ぬまでに感じる時間の長さを縮める一つめの方法は
何も考えず、流されるままに従い、そして必要以上に何も知ろうとしないこと
けれどそれは、他者を知る為の扉が どのような形であれ
狭くなるか、閉じるという意味も多少は合わせ持っているはずである
何故なら光というのは
伝わってこそ光であって
光がどこへも伝わらないということは
結局は世界が闇で包まれたまま
その永遠を隠し持つことに他ならないからである
多くの幻想が伝わる事で虚構としての位置を獲得し
位置を獲得したエネルギーが具現化の流れの中で物質化されてきたように思う
全ての謎を解くことが死そのものである物理世界の閉塞的な現実感は
その法則が過去に立脚する限り
抗えないほどに無意味として存立する
存在を証明すること
存立の起源を勝ち取ること
ただ、そこにあるのを認めること
全ての無意味を現象として開き直ること
そのようなものは。
科学と呼んでも道徳とは呼べない。
法則とは呼んでも倫理とは呼べない。
だから結局
ひとつの小さな手が掴むことが出来るのは
自分の手の長さを超えない世界の物象でしかなく
掴めないことを嘆くのが嫌ならば
はじめから掴もうとしない方がはるかに手っ取り早い
科学は思想を生む
宗教は思想を生む
科学は宗教を生む
宗教は科学を生む
そしてまた、科学的宗教も、宗教的科学も、
洗脳と結びついて権力を得る。
エネルギーの権化、物質化には、何故こんなにも特別な位置が与えられているのか
それは僕が物理現象を現実とすり替えて信じているという可能性を示唆するけれど
結論として受け入れるだけの言葉なら、
何も考えていないに等しい。
疑うことが苦しさを伴う地平でなら
素直に受け入れて整える姿勢の方が遙かに楽だろう
疑うことが全く苦痛に感じないほどの病理なら
全てを否定して知り続けるしかないだろう
だけど僕は。
そのどちらも、等身大の僕を超えようとする力の発露であるから。
だから僕は。
意識の目覚めと共に
ブラックホールをさらけ出す
業はどこまでも深い
自分を知ろうとする限り
僕の世界は死に近づく。
何も考えず、流されるままに従い、そして必要以上に何も知ろうとしないこと
けれどそれは、他者を知る為の扉が どのような形であれ
狭くなるか、閉じるという意味も多少は合わせ持っているはずである
何故なら光というのは
伝わってこそ光であって
光がどこへも伝わらないということは
結局は世界が闇で包まれたまま
その永遠を隠し持つことに他ならないからである
多くの幻想が伝わる事で虚構としての位置を獲得し
位置を獲得したエネルギーが具現化の流れの中で物質化されてきたように思う
全ての謎を解くことが死そのものである物理世界の閉塞的な現実感は
その法則が過去に立脚する限り
抗えないほどに無意味として存立する
存在を証明すること
存立の起源を勝ち取ること
ただ、そこにあるのを認めること
全ての無意味を現象として開き直ること
そのようなものは。
科学と呼んでも道徳とは呼べない。
法則とは呼んでも倫理とは呼べない。
だから結局
ひとつの小さな手が掴むことが出来るのは
自分の手の長さを超えない世界の物象でしかなく
掴めないことを嘆くのが嫌ならば
はじめから掴もうとしない方がはるかに手っ取り早い
科学は思想を生む
宗教は思想を生む
科学は宗教を生む
宗教は科学を生む
そしてまた、科学的宗教も、宗教的科学も、
洗脳と結びついて権力を得る。
エネルギーの権化、物質化には、何故こんなにも特別な位置が与えられているのか
それは僕が物理現象を現実とすり替えて信じているという可能性を示唆するけれど
結論として受け入れるだけの言葉なら、
何も考えていないに等しい。
疑うことが苦しさを伴う地平でなら
素直に受け入れて整える姿勢の方が遙かに楽だろう
疑うことが全く苦痛に感じないほどの病理なら
全てを否定して知り続けるしかないだろう
だけど僕は。
そのどちらも、等身大の僕を超えようとする力の発露であるから。
だから僕は。
意識の目覚めと共に
ブラックホールをさらけ出す
業はどこまでも深い
自分を知ろうとする限り
僕の世界は死に近づく。